第174話 俺の背中を押してくれるのは、君の声だ

 反撃に転じられない。逃げることもできない。

 どうしていいかわからないまま、ただ疲労していく。体の動きが鈍っていく。


「ちょろちょろと、うるさいな!いい加減、諦めろ!」

 王子がぜえぜえと息を切らしながら叫ぶ。王子も疲れるのか。

 はっとした。ちらりと何かが見えそうになる。


 距離が離れたので、俺は何とか考えようと剣を握り締め、王子を見た。

 そうだ、俺より速い剣などいくらも見ているじゃないか。それより洗練された、鋭い剣と戦ったじゃないか。

 ヨスコさんは王子よりずっと強かった。

 そのヨスコさんに勝つため、カズミンと練習した。カズミンの力は桁外れで、まるで次元が違うみたいだった。

 長年をかけて鍛え上げられ、経験を積んだ力を嫌というほど食らわされてきたじゃないか。


 あの2人に鍛えてもらった俺が、魔法で強化されて今速く強いだけの王子と、戦えないはずがない。

 何より、俺が剣を持っているのは、サリーさんを守るためだ。


 まだある。何か、まだあるはずだ。

 少し休めたからだろうか。また考えられるようになってきた。王子はまだ息を弾ませ、動けないでいる。そうだ、疲れれば誰でも動けなくなるんだ。


 それなら、相手により攻撃をさせて疲れさせ、俺は疲れない程度に攻撃する。王子の剣はさほど神経をすり減らすことなくかわせるのだ。

 そうして自分の体力を温存する。そして今のように王子が疲労して動けなくなったら、またたたみかける。

 よし。


 行くぞ、と思って踏み込むのと王子の剣が掲げられたのは同時だった。構うものか、いくらでもかわしてやる。


 しかし俺は思わぬ方から力を受けた。

 突然腹に強い衝撃があった。あっと思う間もなく頭が逆に吹っ飛ぶ。

 何だ。

 俺のメガネが。


 目の端に、割れて飛ぶメガネが少しだけ見えた。そのまま俺が倒れるより先にメガネが落ちて軽い音を立てる。


「クロノ様!」

 エリアさんの声が遠く聞こえる。

 かばえず、地面に打ちつけた頭がくらくらする。顔の左側だけ異様に汗をかいているみたいだ。生ぬるいものがじっとり流れる。

 違う、血か。何故。

「いいぞ!今度こそ当たりだ!致命傷の弾の方にボーナスを出してやる!」

 王子がはしゃぐ。ああそうか、撃たれたのか。

 忘れていた。狙撃手がいるんだった。

 人々の悲鳴が、喧騒が消えていく。音が遠くなる。意識が朦朧とする。


「クロノ!立ちなさい!」

 ……ああ、サリーさん。

 厳しい声が俺の意識を叩き起こす。

 

 俺ははっとした。

 俺は深く息をした。顔は血が出ているけれど、掠ったかメガネの破片で切ったか、そのぐらいだ。痛みで却って頭がはっきりする。

 腹はまだ鈍く痛むが、血は出ていない。

 そうか、短剣だ。その辺りにサリーさんからもらった短剣を持っていた。

 立てる。まだやれる。


「クロノ!」

「はい!」

 サリーさんの声に応え、叫んだら意識がはっきりした。

 サリーさん、君の声は俺を導く。君はどんな暗闇でも光る、俺の求める光だ。

 勝ち誇り、背中を向けていた王子が驚いて振り返る。俺は震える足を押さえつけて立ち上がった。

「何だと……また外したのか、下手くそ!」

 王子が毒突く。俺は剣を持ったままの手の甲で顔の血を拭った。


「もう面倒だ、撃ち殺せ!」

 王子がまた剣を高く上げる。あれが合図だったのだ。まだよく動けない俺はなすすべなく、ただ剣を握りしめた。


 そのまま、広場が静まり返る。

「……撃ったのか?何をしている、合図だぞ、撃て!」

 しばらくしても俺が倒れないので、王子はきょろきょろしながら何度も剣を振り上げた。しかしどこからも弾は飛んでこなかった。


「殿下、ご無体はそこまでです!狙撃手は確保しました!」

 広場の外、通りの向こうの木の上から女性の声がした。みんながそちらを見つめる。木の上からぐったりした男を抱え、ロープ1本でさっと降りてきた黄土色のワンピースの女性は、アユさんだった。

「こっちも捕まえました!」

 反対側の建物の上からはトミヨ君が手を振っている。


「よくやった、アユ。クロノ様、娘は王妃殿下付きの侍女ですが、特殊警備も担当しております。私が仕込んだのですが、この通りです」

 シーラさんが険しい顔を少しだけ嬉しそうに緩めた。確かにすごい。そりゃ自慢の娘さんだろうね。


「何をする!お前、僕を裏切るのか!処刑だ!裸にひん剥いて、父親に引かせて町中を死ぬまで引きずり回してやる!」

「そんなことはさせません。その者たちの行動は私の命です。責任は私にあります」

 叫ぶ王子に、サリーさんがきっぱりと応じた。王子が怯む。


「セーラレイン、僕に逆らうのか、女の癖に!もう可愛がってやらないぞ!」

「誰も、処刑はさせません。私の身の定めは、その決闘次第です。私は、あなたの好きにはならないわ」

 王子ががん、と乱暴に盾の下部を地面に叩きつけた。

「絶対に僕の妻にする!死んだ方がマシだと思うほど泣かせてやるからな!」


「させません」

 俺はまた頬を拭いながら言った。血は止まらないが、かなり休めた。これなら動ける。

「卑怯な奴め!女に手助けされて、決闘と言えるか!」

「……」

 俺は何と返していいかわからず、とりあえずメガネを拾ってポケットにしまった。レンズが割れ、フレームも壊れているが、直せるかもしれない。サリーさんが選んでくれた大事なメガネだ。カズミンも。


「卑怯だぞ、こいつの負けだ!おい、こいつを負けにしろ!」

 王子が立会人のおじさんたちに詰め寄る。頬が痛むが、俺はできるだけはっきりと言った。

「負けは認めません。俺はまだやれます。死ぬか、負けを認める以外で勝敗は決まらない約束です」

「何だと……」

 王子がうめくように言って振り返る。メガネがないと少し見づらいが、あんな金ピカの大きな目標は見間違えない。


 背中を押してくれ、サリーさん。

 俺は息を詰め、待った。


「クロノ、戦いなさい!」

「はい!」

 凛とした声に勇気をもらい、俺は剣を構えて踏み込んだ。

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