第172話 黒と金の決闘

「殿下、恐れながら申し上げます。お時間の方が、だいぶ……」

 俺と同じく背景と化していたおじさんがおそるおそる時計を示す。王子が何だと、と声を荒らげる。

「遅れているのか!お前たち、何をやっているんだ、邪魔が入ったらどうする!さっさと始めろ!」

 やっと始められるようだ。既に疲れていた俺たちは、金の騎士に手伝われて兜をかぶり直す王子を、何の感慨もなく眺めた。

 

 目の前に金の塊がいる。

「クロキシノー……?」

「クロノです、黒野くろの貴史郎きしろう

 カーキ色のおじさんが紙片を手に目を凝らしたり細めたり、手を近付けたり伸ばしたりした。無理せずその胸ポケットのメガネを活用してほしい。その無駄な運動に黄土色のおじさんも加わる。

「クロノキロシ?」

「クロノキツロ?」

「あの、もう、クロノだけでいいです」

 おじさんたちは頑なにメガネをしない。俺はすぐに諦めた。


「それでは挑む者、セーラレイン殿下侍従、クロノ。貴殿が通したい望みを述べよ!」

 それなら、とすぐに呼び上げられた。

 俺は驚いた。え、俺が挑戦者なんだ。意外に思い、まあどちらでもいいので気を取り直す。多分挑戦される方がカッコいいとか、くだらない理由だと思う。

「王子殿下には、姫殿下、セーラレイン様との結婚を諦めてもらいます。あと、王子殿下の従者の去就にも口を出さないでほしいです」

 広場に集まった人々が騒めいた。王子が戦うということくらいしか聞かされずに集められたのだから仕方ないだろう。


「受ける者、ゴーベイ・ノ・アリワラ殿下。殿下の求める対価をお示しください」

「セーラレインを今すぐに僕の妻とする!家来どもも今まで通り、僕に付き従え!」

 王子が揚々と宣言する。何とか気持ちを立て直し、こちらを見守るサリーさんの顔がまた嫌悪に歪む。だが、今度はぎりぎり冷静さを保つことができたようだ。


 サリーさんはそれ以上取り乱すことなく、凛とした姿勢を崩さなかった。さっきはひどかったから。

 俺はちょっと振り返ってそれを確認し、ほっとした。サリーさんがそれに気づいて少し苦笑する。


 大丈夫、さっきはごめんなさい。

 サリーさんはもう泣いてはいなかった。軽く頭を下げ、うなずいてみせてくれるくらい落ち着いたようだ。

 それならここにはシーラさんたちも付いていてくれる。もう大丈夫だろう。


 俺は目の前の金色を見た。

 俺がこれに瞬殺されたらおしまいだ。集中して、とにかくケガをしないで、逃げる。


 以前、カズミンに教えてもらった。間違いなく安全に逃げ切る方法は、相手を倒すことだそうだ。

 確かに倒してしまえば追いかけてこられないし、援軍も呼べない。

 赤鬼と呼ばれ、戦場で鬼神の働きをしたというカズミンらしいと思ったものだ。


 だが、王子を前にして思う。ただ逃げれば王子は勢いに乗るだろう。カズミンの言う通り、倒せないまでも、こちらもやる気であることを見せ、警戒心を持たせることは有効なのではないだろうか。

 もとより俺の信条は不意打ちだ。まず出会い頭にぶちかまして、やる気を見せながら逃げ回る。これが俺らしいのではないだろうか。


「互いの要求は以上である。この決闘に当たり、取り決めのないところは慣習に従い、それに則ることとする。ここまではよろしいですかな?」

「無論だ!」

 王子が答え、俺も無言でうなずいた。

 王子の装備の確認はしないようだ。慣習通りならおそらく、同等の装備であるとかの規定があると思う。

 だが、俺が異議を申し立てない限り、もういいのだろう。もちろん異議を申し立てたところでどうにかなるとも思えない。


「では、この決闘で互いの了承により特に取り決めたことを確認致す」

 カーキ色のおじさんがすっとメガネをかけた。大事なことだからだ。かけるんじゃないか。俺の名前はどうでもいいのか。まあどうでもいいか。


「勝敗を決する条件は、次のふたつに限る。ひとつ、相手が負けを認めた時。ひとつ、それ以上戦い続けられなくなった時。他の理由での勝敗は決せず、決したら如何なる理由においても勝敗は覆らない。それぞれの判断は我々が行う。よろしいですか?」

「わかっている、いいから早く始めろ!」

 王子がイライラと声を張り上げた。遅くなったのは王子のせいだ。


「それでは双方、離れて、向き合って」


 俺はサリーさんを振り返った。

 サリーさんは祈るように胸の前で手を握っていたが、俺の視線に気付くと、そっと手のひらに包んでいた銀色のものをこちらに見せた。


 あっ、あれ。

 俺が贈った、簪。

 はっとした俺を見て、サリーさんは泣きそうな顔でうなずき、微笑んだ。


 サリーさん、石が砕けて壊れてしまったままの簪を、まだ持っていてくれたのか。


 さらわれるようにして連れてこられたのだから、用意してきたものではない。

 きっといつも身につけていてくれたんだ。


 俺は鞘につけた黒いリボンに触れた。

 サリーさんはきっと、俺と同じ思いでいつもあの簪を持っていたんだ。

 時には頼り、時には背中を押してもらう。少しでもその存在を近くに感じられる心の拠り所、お守りとして。


 思いが同じであることは、何て嬉しいんだろう。

 サリーさん。

 俺たち、ずっと同じ思いを持っていたんだ。


 俺はやっぱり、ここで死ぬのかな。幸せ過ぎる。

 俺も微笑み、サリーさんの姿を目に焼き付けるように、じっと見つめた。

 それでもいいかな。負けなければ何でもいい。サリーさんが守れるなら。

 俺があんまり見つめたからだろうか。サリーさんの瞳が揺れる。姫が保てなくなってしまいそうだ。

 それは避けなければ。みんなが見ている。


 大丈夫。俺の中にサリーさんはちゃんと、いる。


 俺は王子に向き直った。既に剣を抜き、盾を構えた王子が笑う。

「メガネ、お前の首をセーラレインとの初夜の床に飾ってやる」

 俺は答えず、剣を抜いた。


「始め!」

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