第168話 君のお母さんの形見の石を、俺は本当は大切にしたかったんだ。持ち出してしまったために砕くことになってしまったけれど、本当は。みんなの思いのこもった石だったから。

「クロノ、ご挨拶を申し上げましょう。手を貸して」

 優雅にお辞儀をし、顔を上げたサリーさんの目が魔女のそれになる。


 サリーさんはいざとなると過激なところがある。俺は少し不安だったが、サリーさんが大丈夫、と微笑んだので手を差し出した。

 その手に触れ、サリーさんが歌い出す。座ったばかりの老人たちが腰を浮かせた。俺の中を強い力が巡る。


 さっきとは比べ物にならない力に俺は戸惑い、サリーさんを見た。サリーさんが微笑んでうなずく。

 大丈夫よ。

 軽く触れた手のひらから、サリーさんの声が聞こえたような気がした。

 サリーさんがそう言うなら。俺もうなずき、力の流れに集中した。

 そうだ、大丈夫。強い力だが敵意はない。サリーさんは落ち着いている。


 人々が騒めき、騎士たちが身構える。こちらに向かってくる者もいる。エリアさんたちが俺たちに身を寄せるようにし、シーラさんとトミヨ君がそれを守るように前に立って剣に手をかける。


 サリーさんは不穏な喧騒をものともせず朗々と歌った。人々がサリーさんに気付いたようだ。騒めきに魔女、という言葉が混ざり出す。

 遅れて、魔術師団の歌が始まった。しかし場の空気はもう、サリーさんのものだった。


 歌が終わり、サリーさんが不敵に微笑む。

「手遅れよ」


 何があったかわからない俺たちに、サリーさんが説明した。

「この空間の精霊は私が支配したのよ。しばらくはここで、空間を介して魔法を使うことはできないわ」

 魔術師団が慌てているように見えるのはそういうことか。向かってきた騎士たちもじりじりと下がる。


「姫殿下は、もう魔法の力をなくされたとの噂でしたが」

 シーラさんが驚いたようにサリーさんを見た。サリーさんが涼しい顔で答える。

「私の従者、クロノが届けてくれたので、また少しだけなら使えるようになりました。場外乱闘なら私が受けると、皆さんにお伝えくださいな」

 サリーさんは金色の騎士たちに微笑みかけた。騎士たちが顔を見合わせ、いそいそと引き上げていく。


「やっぱり、団長は姫魔女の運命の人なんですね!」

 トミヨ君が涙ぐむほど熱く叫ぶ。恥ずかしい、やめてほしい。

「団長?」

 首を傾げるサリーさんに、俺は苦笑した。

「俺、魔女の騎士団の名誉騎士団長になったんだ」

「何、それ?初耳だわ。あなたが騎士、しかも団長だなんて」

「決闘が終わったら説明するよ」

「うん。教えて、面白そう」

 サリーさんが嬉しそうにうなずく。約束がまた増えた。


 サリーさんとの約束は、俺の帰る場所だ。

 約束は守る。

 俺はきっと帰ってくる。サリーさんの元へ。


「サリーさん、また、俺の言うこと聞いてくれる?」

「ええ、恋人だから。そう約束したものね」

 小声で尋ねると、サリーさんも小さく答えた。今は2人きりではないけれど、恋人の言葉として聞いてもらえるようだ。


 俺はサリーさんを見ないまま、小さく言った。

「決闘の間、サリーさんひとりで魔法を使わないって約束して」

 俺の言葉にサリーさんは戸惑った。

「……できないわ、もしあなたが危なくなったら」

「大丈夫、自分で何とかする。だからお願いだ」


「どうして?」

 サリーさんもこちらを見ることなく、しかしうつむいて呟いた。

「私、あなたの役に立ちたい。私にまだ魔力が残っているのなら、あなたのために使いたい」

 またそんな、抱きしめたくなるようなことを言う。


 俺は拳を握り、苦笑した。

「それじゃまた石が砕けちゃうよ。もしかしたらその黒い指輪も。君のお祖母さんも、お義母さんも、大切にしてきたものなのに。君のお母さんの石みたいには、させたくない」

「でも」

 我慢できないように声をあげたサリーさんを小さく手で制し、俺は繰り返した。

「サリーさんだけで魔法は使わないで。約束して」


 サリーさんは目をそらし、息を細く吐いて、うなずいた。

「わかった。約束するわ」

 俺はほっとした。これで君はもう無茶できない。


 静かに佇んでいたシーラさんが顔を上げた。

 アユさんがそっとうなずき、トミヨ君も緊張した顔をこちらに向ける。エリアさんの両親が手を取り合う。

「クロノ様、そろそろ、時間です」

 エリアさんが固い声で俺に告げた。

 俺はうなずき、サリーさんと正対して、その前にひざまずいた。

 

 目が合った。

 思いが溢れる。


 サリーさん、好きだ。愛してる。俺は君のために戦う。君の全てを受けて、戦う。

 その結果、もし君を斬り殺すことになっても、俺は君を思う。

 俺は君を愛している。


 サリーさんは揺れる瞳を閉じ、開いて、静かに俺を見つめた。


「殿下、行ってきます」

「ええ。私の刃として、役目を果たしてください」

 サリーさんは微笑んだ。俺ははい、と短く答えた。


「姫殿下、あの……それだけですか?もっと、その……」

 エリアさんが口を挟み、アユさんに引き止められた。エリアさんがそれでも納得いかないようにサリーさんを見る。

「で、でも、姫殿下」

「大丈夫だよ」

 俺はエリアさんにうなずいてみせた。お互いの気持ちはもう、確かめてある。


 エリアさんが泣き出しそうな顔をする。トミヨ君がそっとエリアさんの肩を支え、ご両親が反対側を支えた。

 アユさんもつらそうな顔をしている。戦場に立つシーラさんを見送った時のことを思い出してでもいるのだろうか。シーラさんがそんなアユさんの肩に手を添えた。


 サリーさんは姿勢を正し、真っ直ぐに立っていた。

 凛として、微笑みを絶やさず、俺を信じて、たったひとりで。


 だから、俺もひとりで行ける。

 俺と君はひとつだ。どこまでも、君となら行ける。


 おじさんが2人、広場に進み出た。そういえば彼らが立会人だったかもしれない。

 俺は彼らの方に向かった。シーラさんが付き添ってくれる。

 驚くほど気負いはない。余計なものはサリーさんが全て取り払ってくれた。

 俺はおじさんに求められるまま剣を渡し、確認を受けた。おじさんたちは俺の剣の素性を知り、ひどく慌てていた。

 しかし、注意などはされなかった。俺は剣の名前を言って指定した訳ではないし、王子はどうせすごくいい剣を持ってくるに違いない。


 それにしても王子、遅いな。

 おじさんたちが何度も時計を見る。指定された時間はとうに過ぎているのだろう。こちらの世界にも巌流島みたいな話はあるのだろうか。

 まあそうだとしてもあれは一流の達人同士の話だ。三流剣士の俺には関係ない。王子も多分そんな大した理由で遅れているのではなく、勿体ぶっているだけだろう。遅刻したら負け、という条件をつけておけば良かった。


 時間がかかるのはかまわないので、俺は静かに待った。

 待ち切れなくなったような黄土色のおじさんが、金色の騎士を呼ぶ。

 騎士ががちゃがちゃとこちらに駆けてくるその時、高らかにラッパの音が鳴り響いた。


 人々がそちらを振り返る。管楽器に続いて弦楽器が加わり、音楽を先頭に、掲げられた旗がひらめいた。

 金の騎士たちが音楽に合わせて歌い出す。人々もそれにつられて歌い出した。歌詞の内容から、どうやら国歌らしい。

 広場に音楽が、旗が近づき、歌う人々が道をあける。

 遂に、王子が姿を現した。

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