第165話 後悔

 俺たちは建物を出た。

 建物の外観を見てサリーさんが戸惑うかと思ったが、姫たる者は些末なことなど気にもならないらしい。何の反応もなくサービスタイムの大きな懸垂幕の下を通り過ぎて、どピンクの建物を後にする。


 俺もサリーさんの後ろに続いて歩きながら、建物のことについては考える余裕もなかった。

 いつもは静かであろう小さな町が騒然としている。人々が戸口に出て湖の方を見ていたり、野次馬が道を急いでいたり。王子は既に力で町を動かした。俺の決闘の相手が。


 俺は王子を見くびったのか。俺には何の力もないのに。まさか、こんな大きなことになるなんて。

 強い風の中を歩きながら、俺は思った。

 俺では取りきれなくなってしまったらしい責任を、サリーさんが少しでも背負おうとしている。後悔が俺の足を重くする。


 そんな俺に、サリーさんが微笑みかけてくれる。

 きれいね。

 轟音のせいで叫ばないと話もできないので、口だけを動かしてサリーさんが言った。サリーさんの指差した先の花壇に、ちぎれそうに風に煽られている色とりどりの満開の花がある。

 手を。

 求められるまま手を差し出すと、サリーさんはそっと俺の手に触れながら、花の上に反対側の手をかざした。俺の体に小さな力の流れを感じる。


 行きましょう。

 少し先でシーラさんが立ち止まったのを見て、サリーさんはすぐに歩きだした。

 花壇の花はほっとしたように、そよ風ほどの風に揺れている。周囲を吹き荒れる風の強さは変わらないのに。


 魔法だ。サリーさんが何かの魔法で、花を守ったんだ。

 俺はしばらく動けず、花を見た。

 俺の姫魔女が、今だけ俺の恋人である優しい姫魔女が、きれいだと言った花。

 せめてもの慰めにサリーさんの手に持たせたいと思い、手折ろうとして、やめる。せっかくサリーさんが守ったのだ。この花は今、生きている。

 苦しくなって、俺は深く息をした。


 サリーさんも自分が全てを救えるとは思っていない。

 それでも。

 気まぐれでも、不公平でも、サリーさんは目に付いたものを助け、守らずにはいられないのだろう。

 姫魔女は自分の力を理解した。俺がいれば、小さな魔法は使えるのだ。

 それなら、痛ましい光景を嘆くより、救う方に力を注ぐ。サリーさんはそう決めたらしい。


 魔法を使う時に俺の体の中を走るのは、サリーさんから預かっている魔力と、その源となる思いだ。

 俺にはわかる。サリーさんのいたたまれなさと、それでも思うように情けをかけることができた喜び、そして他の同じような苦しみを救えないことへの後ろめたさ。


 俺はたまらずうつむき、目を閉じた。

 そんな人が俺を守ろうと命をわけてくれた。


 俺はその恩返しをしたくてこの命を使うつもりだったけれど、安易なヒロイズムに酔っていただけだろうか。自分の力を見誤って。

 俺はメガネの上から左目を押さえた。

 指先に傷跡になった皮膚の段差が触れる。そのいびつさは自分勝手な俺のようだ。

 俺の願いは二転三転し、口にした言葉は心を曖昧にして、サリーさんをあれだけ傷つけたことが果たして必然だったのかをわからなくさせようとしている。

 サリーさんの魂は、俺の器には勿体ない。


 さらさらと揺れる花に、歩いていくサリーさんの流れる白い長い髪が重なって見える。結局結いそびれてしまった。

 俺はまたサリーさんを危険にさらした。だが、それはもう動き始めていて、止められない。サリーさんはもう責任を背負い始めた。

 俺は花を見つめて立ち尽くした。 

 最後をついてきていたエリアさんとトミヨ君が、俺を見て立ち止まった。

 俺は不思議そうな2人に何でもないと首を振り、少し先で足を止めているシーラさんとサリーさんのもとへ急いだ。


 やっと輸送艇のエンジンが停止したようだった。

 轟音が収まり、風も止んだので、ようやく少しだけ景色(風光明媚とは程遠い金ピカ入りではあるけれど)と会話を楽しみながら歩いてきた矢先だった。

 決闘する広場に到着した俺たちはまた言葉を失った。


 そこはちょっとした公園のようなところだった。湖に面した広場で、小さな東屋があり、まわりを囲むように植えられた木の下にぽつんぽつんとベンチが置いてある。

 観光客や地域の人が散歩に来て憩うにはちょうどいいくらいの場所に、不釣り合いな汗だくの黄土色がいる。


 黄土色の兵士が3人、懸命に穴を掘っている。

「お前たち、何をしているんだ!」

 シーラさんが大声で問いただすと、シーラさんに気付いた3人は居心地の悪そうな顔をした。おそらく出来の悪い部下だったのだろう。シーラさんは更に質問を重ねた。


「殿下のご命令により、落とし穴を、掘っております!」

 やけっぱちみたいに最寄りの兵士が怒鳴る。彼はサリーさんに剣を向けた男だ。

 おそらく本来の自分の仕事の範疇ではないのだろう、泥にまみれてうんざりしている。王子の命を聞く従者が少なくなって、何でもしなければならなくなったのが不満なようだ。自業自得だろう。


 俺は息を吐いた。王子め、本当にやれることは何でもするんだな。だが、それだけ覚悟があるということだろう。俺は覚悟が足りない。

 サリーさんを守らなくてはいけないのに。今、後悔なんかしている場合じゃないのに。

 俺は近付いて落とし穴をのぞいた。3人が作業をやめて少し離れる。いやいや掘っているので捗らないらしく、3人がかりで1メートル四方を五十センチも掘れていない。落ちても死にはしなそうだ。足ぐらいはケガをするかもしれないけれど。


 俺は周囲を見た。場所を覚えておこうと思った。

 俺が離れたので、黄土色が戻ってきて穴掘りを再開する。ここを諦めて他を掘り直す気はなさそうだ。こちらにとってはそのやる気のなさは好都合だ。だが、効果の程はともかく、落とし穴は確実にここにできる。


 王子は怒っていた。その怒りのまま、全力で俺を潰しにきている。王子の力は王子だけのものではなかった。俺は見誤ったのだ。

 無謀だった。何も持たない俺が、身ひとつで王子に楯突くなど。

 なのに、俺にはたくさんの人の運命が、何より大切な人の命運がかかっている。


 会社員時代、納期の見積もりが甘くて自分だけでなくまわりを全て振り回し、それでも請け負った仕事を果たせなかったことを思い出した。

 あの時はみんなに迷惑をかけて、つらい思いをさせて、ひどい目にあわせたのに結果が伴わなかった。今でも関わった人たちの顔を思い出せる。

 それ以来、同じ失敗をしたくないと思ってここまでやってきたのに。

 今更悔やんでも遅いけれど、俺はどうしてこの責任を自分で果たせると思ってしまったのだろう。

 

 俺は唇を噛んだ。すると、サリーさんがそっと俺の手に触れた。サリーさんが小声で歌う。おそらく隣にいる俺にしか聞こえていない。

 俺の何かの力がまた動いた。魔法だ。

 しかし、しばらくしても何も変わった様子はなかった。何の魔法だったのだろう。不思議に思ってサリーさんを見ると、サリーさんはにっこり笑って、急に驚いたように俺の背後を見て声を上げた。

「あら」


 何かと思い、俺は振り返った。

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