第145話 毒も吹っ飛ぶ勢いで、君が、俺を見つめるから(泣)

 狙いすまして投石紐スリングを王子の足に向かって投げる。それを追うように、俺は脱衣所を飛び出して踏み込んだ。

 王子の足がすっと投石紐スリングをかわす。まさか。気付かれたか。

 投石紐スリングがあらぬ所に当たってカン、と音を立てる。完全に隙をついたと思ったのに。だが、次の行動にはもう出ている。王子がその音でこちらに気付いてももう遅い。


 迷わず振れ。

 俺は自分を叱咤した。王子はまだ振り向かない。その無防備な首だ。


 俺は渾身の力で剣を横に振り抜いた。

 

 首は飛ばなかった。

 寸前で首が、というか頭が突然目の前から消えた。舞い上がった金髪が一筋、直前までそこにあった首を狙った刃に切り裂かれ、剣のを追うようにきらめいて散る。

 王子がベッドに頭を突っ込むようにして倒れ込んでいる。

 俺ははっとして、しかしすぐに胴体に狙いを定めた。


「うーん」

 俺が剣を振り下ろしかけた時、ベッドに突っ伏した王子がうめいた。俺は慌てて剣を止めた。

 王子の体がへにゃりと崩れ、ずるずると床にずり落ちていく。


 ぼとり、と王子は芋虫のように床に転がった。眠っている。

 ネムリイバラが効いたのだ。


 俺は王子を見下ろした。寝ている。間違いない。足先でつついてみる。ううん、とうなったきり動かない。

 俺は肩で息をしながら、見たくもないだらしない裸の男を見た。男で裸という共通点があることが嘆かわしい。俺はあの不摂生な会社勤めの頃でもここまでだらしない体ではなかったぞ。


 その割に部分的に元気はありそうなのでうんざりする。見るのも嫌で蹴ってうつ伏せにした。こいつしかも何だかくさい。安い香水のつけ過ぎと、加齢臭の混ざったにおいだ。最悪だ。

 床でもサリーさんの側に置いておくのが腹立たしい。俺は王子を廊下に叩き出そうと思ったが、俺は裸で外に出られないし、王子がすぐに助けられても癪だ。仕方ないので入り口のところに投げ出す。

 それから俺は罠としてばら撒いていたネムリイバラをかき集め、とりあえず全部刺しておいた。これでしばらく動けないだろう。


 ひと通り処理して、俺はまだ剣を握ったままだったことに気がついた。固く握りすぎて指がすぐに動かない。

 指を引きはがしながら、俺はようやく我に返ったような気がした。

 斬らなくて済んだ。殺さないで済んだ。とりあえずは。

 今さら汗が吹き出す。昂った気持ちが収まらず、荒い息のまま振り返って、俺は硬直した。


 久しぶりにそのまんまるな目を見た。今日はずっと薄目だったから。


 サリーさんが目をまんまるにして、口まで半開きにして、呆然と俺を見つめていた。


 サリーさんは気配を感じて起きたのだろう。あちこち暴れて動き回ったから。

 そして毒の眠気すら吹っ飛ばす光景を目にして、そのまんまるになったのだろう。

 起きたら目の前で裸の男が剣だけ持ってうろついていたら、そりゃそうなる。

 

 振り返ったまま固まる俺を、サリーさんはそのまんまるな目で、閉じるのを忘れたみたいに、上から下まで見ていた。

 素っ裸で剣だけを持ち、汗だくで息を切らしている俺は、サリーさんからどんな風に見えただろう。


 しばらく硬直は解けなかった。血液だけが猛烈な勢いで頭に集まっている。

 俺はゆるゆるとしか動かない手をやっとの思いで体の前に置き、ゆっくりと首を横に振った。

 サリーさんはふっと正気に戻ったように穏やかな目になり、小さくうなずいた。

 俺たちの間に何の了解があったのか。

 自分でもわからない。もう何もわからないし、わかりたくない。


 サリーさんは無言で静かに布団に潜り込んだ。

 俺は言葉もなく悄然と脱衣所に戻った。


 夢うつつで剣を鞘に戻す。

 投げ捨てたタオルが投げ捨てられたまま脱衣所の床に落ちている。俺はまだ湿っぽいそれを広げ直して座り、膝を抱えた。

 俺は少し泣いた。


 それから間もなく、また部屋の鍵が開く音がした。俺は膝に顔を埋めたまま振り向きもしなかった。どうせ王子は寝ている。

 扉の開く音と同時に上がった悲鳴で誰が入ってきたかはすぐにわかった。まあそうだろうと思った。


「きゃー!いやー!」

「こいつ、何てものをエリアさんに見せるんだ!」

 エリアさんとトミヨ君だ。

 悲鳴と共にごとごと音がする。おそらく裸で眠っている王子を外に叩き出したのだ。


「ろ、ろろ廊下はダメよ、こんなもの出しておけないわ。その辺に突っ込んでおきましょう!」

 エリアさんが隣の空き部屋を指示したようだ。どたんばたん音がして、少し静かになる。それ一応そっちの王子なんだけど、わかってやってるのかな。


「……姫殿下!」

 見苦しいものを排除して落ち着いたのか、やっと2人は状況を理解したようだ。エリアさんが悲鳴のような声で叫ぶ。

「姫殿下、ご無事ですか!?」

「はい」

 サリーさんのずいぶんはっきりした声がした。そろそろ毒が切れてきたのか。


 それはようございました、心臓が止まるかと思いました。ご説明したいことはたくさんありますが、まずはお召し物を。お着替えを。

 おおよそそんな話をエリアさんはしていたようだ。トミヨ君の声がしないが、着替えるようなので外に出たのだろう。

 俺はずっと膝を抱えていた。


「トミヨ様、いいわよ」

 エリアさんが声をかけ、扉の開閉する音がした。トミヨ君がサリーさんにうわずった声で挨拶している。

 俺は膝を抱えてぼんやり床を見つめていた。怒りとか悲しみとか、もう超越してしまった気がする。


 しかしこのままでは本当に忘れられてしまいそうだ。俺はよろよろと立ち上がり、脱衣所の扉を細く開けた。

「おかえり、ねえ、俺の服」

「姫殿下、お目覚めがおつらくありませんか。このお茶をどうぞ、少し楽になるはずです」

「エリアさんが姫殿下を心配して、探してきたんです。ネムリイバラの花のお茶です」

 2人が盃ほどの小さな器をサリーさんに差し出している。


 あいつら、サリーさんに何を飲ませる気だ。俺はハラハラしたが、何しろまだ裸だ。扉の隙間から懸命に叫ぶ。

「ちょっと、俺の服!」

「ネムリイバラの棘の毒消しには、花のお茶がいちばんいいんです。悪いものじゃありません、ご覧ください」

 エリアさんが同時に淹れたらしいお茶を飲み干してみせる。

「姫魔女、じゃなかった、殿下、エリアさんは本当に殿下のことを心配しているんです。これは毒なんかじゃありません!」

 トミヨ君も勢いよくお茶を飲み干し、勢いよく吹き出した。


「と、トミヨ様」

 ひどいしわがれ声で、エリアさんが咳き込んでいるトミヨ君を心配する。サリーさんの笑い声がした。

「2人とも、無茶しないで。私は魔女です、薬草のことはよく知っているわ。ネムリイバラの花のお茶はとっても渋いから、そんな風に飲んだら喉をおかしくしますよ」

 サリーさんはそう言って、お茶を少しずつ口に含んだ。

「でも、この国でだってネムリイバラの花のお茶はとても希少なものでしょう。私のために、ありがとう」


「そ、そんな」

「殿下、勿体ない」

 2人がしわがれ声を詰まらせる。

 サリーさんはきっと、見る者全てを虜にしてしまうあの姫スマイルで2人に微笑みかけたのだろう。わかるよ、わかる。でも、俺、裸なんだって。


「ねえ、俺の服!パンツ、くれよ!」


 苛立って扉に手をかけて叫ぶと、こんな時だけ俺の声はみんなに届いた。

「……」

「……」

「……きゃー!」

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