第112話 お妃様とリンゴ
集団がついに年配の衛士まで飲み込みそうになったその時、奥からよく通る声がした。
「静かにしなさい、何の騒ぎですか」
厳しさの中にも優しさをたたえた女性の声。誰、と俺が思うより先に、目の前の衛士たちが一斉に頭を下げた。
「第一王妃殿下、シズカ様よ。クロノも頭を下げて」
サリーさんがお辞儀をして俺に囁き、俺も慌てて頭を下げた。
「陛下がお休みなのですよ。一体どうしたの」
声を聞きながら俺は思い出した。夜会の時、サリーさんを引きとめ、会場に呼びかけたお妃様だ。俺はちらと目を上げた。
「あら?あなた」
目が合った。まずいと思って頭を下げ直したが、一旦目にとまると黒い服の俺たちは目立つ。
「じゃあ、あら、やっぱり、セーラレインさん」
「王妃殿下、お騒がせ致しましてすみません」
サリーさんが緊張した声で答え、ぐっと頭を下げる。さすがに衛士の子たちも固くなっている。
突然お妃様が咳払いをした。サリーさんが頭を下げたままぎゅっと体を硬直させる。俺は頭を下げたまま、周囲を確認した。何かあったら、サリーさんだけは守る。
しかしお妃様の声は明るかった。
「2人とも、陛下のお見舞いにきてくれたのですか?ちょうど良かったわ、いらっしゃい」
「え、お、王妃殿下!」
年配の衛兵が飛び上がる。
「おそれながら、ヤード公、摂政様から通達が出ております。姫殿下はお通しいたしかねます」
「あなたが通したと言わなければいいのです」
お妃様がきっぱり言った。声もなく若い衛士集団がどよめく。
「し、しかし、おそれながら」
「では報告書にはこう書きなさい。姫魔女は追い返されて泣きながら帰った、第一王妃が証人だと」
お妃様は優しく、しかし有無を言わせぬ様子で命じた。
「ではセーラレインさんとその者、いらっしゃい」
「は、はい。クロノ」
サリーさんは慌てて立ち上がった。俺も呼ばれたので立ち上がり、サリーさんに続いた。
ようやく居住区の、色の違う床を越えた。白河の関か。何だかどっと疲れた。
先を急いでいたサリーさんが急に立ち止まり、振り返る。
サリーさんは小声で衛士たちに呼びかけた。
「みんな、こんなこと、もう2度としないで。でも、ありがとう。お仕事、頑張ってくださいね」
姫のお小言からの、満面の笑顔、激励。
これがわざとでないなら、サリーさんはやっぱり凄腕の魔女だ。
若い衛士たちをさらにめろめろにして、ダメ押しの魔法をかけた姫魔女だけが何もなかったかのようにお妃様のあとを追う。末恐ろしい。
俺は若いみんなの未来を案じつつ、サリーさんのあとについた。
角を曲がり、みんなから姿が見えなくなった途端、お妃様が声を殺して笑い出した。
「ああ、おかしい!本当に陛下のおっしゃった通りなんだもの!」
「え、あの、お
サリーさんが戸惑う。お妃様は腹を抱え、俺を見た。
「彼がクロ君ね。陛下が教えてくれたわ。トラブルの真ん中で右往左往して、雨に濡れた野良犬みたいに逃げ惑いながら、どんどんトラブルの中心に突っ込んでくって」
そ、その言われようったら。呼ばれ方も犬みたいだし、ひどいものだ。俺、何だと思われているんだろう。
お妃様が涙を拭って、また吹き出す。
「すぐにわかった、笑っちゃうところだった。もう、トラブルを楽しんでいるようにしか見えないわ」
心外だ。俺は穏やかな生活がしたいのに。
「セーラレインさん、クロ君、ちょうど良かったわ。陛下が休暇を取られたのはいいんだけれど、あれほど精力的に動き続けていらした方でしょう。もう飽きちゃったみたいでね、手を焼いていたのよ」
お妃様が苦笑する。俺とサリーさんは顔を見合わせた。
「お父様は、お加減は……そんなによろしいんですか?」
サリーさんが変な言葉で尋ねる。お妃様はぞんざいにうなずいた。
「元気、元気。わがまま放題よ。長く休みのない状態が続いていたから、ちょうどいいと思って休暇を取っていただいたんだけど、大変なことになっちゃったわ。……でも叔父様はちょっと、張り切りすぎね」
お妃様は一瞬ひどく気の強い、負けん気の強い顔でにやりと笑った。あれ、このお妃様、優しいだけじゃなさそうだな。
「……!」
奥の方から声がする。お妃様が肩をすくめる。
「ほら、お呼びよ。行きましょう」
お妃様についていくと、奥から聞こえる声が言っている言葉が聞き取れるようになってきた。
「シズ!シズ、何をしている、俺のリンゴがもうねえぞ!早くむいてくれ!」
俺とサリーさんはまた顔を見合わせた。
お妃様が扉を開ける。
開けた途端に王様の大きな声がした。
「シズ!遅いぞ、どうせ衛士どものケンカだったろう。そんなもの放っておけばいいのだ。早くリンゴを持て」
「陛下、あんなにあったのに、もう召し上がってしまわれたんですか」
入口で立ち止まり、お妃様が呆れたように言う。
「飯が少ねえんだ、リンゴくらい好きに食わせろ」
「毒で倒れて療養していることになっているのですから、病人用の食事になるのは当然でしょう」
お妃様が苦笑して部屋に入る。俺とサリーさんは戸惑って立ち止まった。
「どうしました、いらっしゃい」
お妃様が振り返って微笑む。
「何だ、誰か来たのか。医者なら何度来ても無用だ、俺に必要なのはリンゴだ。シズ、早くリンゴをむいて」
足を組んでソファに寝そべり、皿を振り回していた王様が、俺たちを見て飛び起きた。非常にくつろいでいるところにお邪魔して申し訳ない。が、その驚いた顔が見られたのは気分がいいぞ。
俺とサリーさんはお妃様のあとに続いて部屋に入った。
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