第59話 シャルウィダンス?(無理無理無理!)
サリーさんにとって、わたあめはお父さんの優しさを思い出す味なのだ。だから無理に町に出てでも、わたあめがほしかったのか。
言葉が途切れると、外から微かにヴィオさんとカズミンのはしゃいでいる声が聞こえた。この部屋は畑の真上だから、結界の隙間から漏れる声も聞こえるのだろう。
少し耳をすませて、サリーさんが小さく笑った。
「まだ飲んでるのね。楽しそう」
俺は立ち上がり、少しだけカーテンを開けて窓から畑をのぞいてみた。
「あれ、暗い」
あんなに明るかったはずの畑は、まわりと同じように夜の闇に沈んでいた。声は少し聞こえるのに。
サリーさんも隣に来てカーテンの隙間をのぞきこんだ。そして不思議そうな俺に説明してくれた。
「結界が張ってあるから、光があまり漏れないのよ。本当なら声もすごく聞こえるはずよ、すぐそこだから」
「そうなんだ。すごいね、魔法って」
「この窓にも結界が張ってあるのよ。トマ先生が魔法陣を書いてくれたの」
中からは普通に見えるし音も聞こえるが、こちらの様子は外から見えにくいのだそうだ。マジックミラーのような感じか。
本当に箱入りなんだな。
俺はふと隣に立つサリーさんを見つめた。箱入り娘はいつの間にか新しい飴をなめたらしく、頬のぽっこりがまた大きくなっている。
しなやかな髪、柔らかそうな頬。
突然俺は泣き出しそうになった。
サリーさん、君が生きていて良かった。
あの時、糸が切れたようにベッドに横たわっていた君を見た時、世界が終わったかと思った。
俺は訳もわからずこの世界に来た。
そのせいでこんなにかけがえのないものを失ってしまうのかと、俺の命の帳尻合わせに、こんなに美しい、優しいものを失くしてしまうのかと思って、怖くて、恐ろしくて、泣きたくなった。
「サリーさんが生きていて良かった」
「え?」
サリーさんが振り返る。
「どうしたの急に」
微笑むその瞳。吸い込まれそうだ。
俺はまたサリーさんを抱きしめてしまいそうになって、少し離れた。サリーさんは言葉を探すようにその場に立ち止まったまま俺を見つめていたが、ぱっと笑顔になった。
「ねえ、私たちも踊ろう」
「えっ」
「妖精さん、メヌエットを流して」
サリーさんが部屋に呼びかけるようにすると、どこからともなく音楽が流れだした。
「えっ、これ、どこから?」
驚いてきょろきょろしていると、サリーさんが笑った。
「クロノの部屋にもあるでしょ」
妖精は掃除をするものだけではない。部屋に呼びかけると妖精が人の声を理解して頼んだことをしてくれる。音楽を流してくれたり、ここにはないけれど俺の部屋の方にはテレビもあるのだそうだ。知らなかった。
「クロノは本も持ってないよね。部屋では何をしているの?」
呆れたようにサリーさんが俺を見る。
「えっと、剣の練習とか、おやつの試作とか」
「そうだった。クロノは忙しいのよね」
サリーさんが笑って俺の手を取る。そうだ、そっちも問題だった。
「待ってサリーさん、俺、踊れないよ」
「メヌエットよ?あなたの世界にはなかったの?」
その名前は聞いたことがあるような気がするが、それが踊るための音楽だなんて知らなかったし、そもそも社交ダンスなんてしたことがない。俺は自慢じゃないがものすごく音痴なので、拍子すらうまく取れない。俺が踊れるのは盆踊りだけだ。
「じゃあ簡単だから覚えて。最初はお辞儀よ。そしたらね、左足を引いて」
お辞儀はできたが、あとはばたばただった。音楽に合わせることができないので、とにかく数を数えて丸暗記したステップを踏む。いや、そんなに簡単に丸暗記できるほどの頭はない。
「次は後ろ、1、2、3」
サリーさんはスリッパで軽やかに踊りながら、悪戦苦闘する俺を楽しそうに見、手を取り、離れ、寄り添った。
振り回されるようにしてようやく1曲が終わり、やっと解放されるかと思ったら次が始まった。
「ガボットよ」
何だそれ、わからない。まだ終わらないのか。俺にはガボットもロボットもみんな同じに思える。
俺は汗だくの手を何度もズボンで拭った。冷や汗か、動き回ったせいなのかわからない。
サリーさんがくるりとまわると、夜着の裾がふわりと舞う。きれいだ。きれいだから、落ち着いてただ見ていたいよ。
いつ終わったかわからない2曲目が終わる。サリーさんは涼しい顔だ。俺だけ水を浴びたみたいになっている。せっかく風呂に入ったのに。
「ワルツならいい?」
サリーさんがぐっと身を寄せた。こっちは汗だくなのに。
「良くない、全部、わからない!」
「ほら、1、2、3」
俺は悲鳴をあげながらサリーさんの言うままに必死に足を動かした。
ワルツは今までのと何が違うんだ。踊りはますます難しいような気がするけど、振り回され過ぎてそれもわからないくらい訳がわからない。もうやめたい。
でもさっきまでよりずっとサリーさんが近い。嬉しいけど楽しめない。サリーさんが腕の中にいるので、足元が見えず不安だ。サリーさんは楽しそうだ。そんな顔はこんなに混乱しながらじゃなく、ただ眺めていたいよ。
「ダンスはできた方がいいわ。ダンスパーティーは出会いの場よ。こんなに近くにいられるんだもの。素敵に踊れたら、素敵な女性と知り合うきっかけになるわ」
それは、サリーさん。どういう意味で俺に。
少し棘を含んだ言い方でサリーさんが気になることを言うが、追及したいが、正直それどころではない。
踏む。転ぶ。サリーさんまで巻き添えにしてしまう。
突然照明が消えた。
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