第48話 わがままは言いません(約束する時は心底そう思って約束しているのです。そういうものです)

 サリーさんはすぐには動けなかった。俺は停留所のベンチにサリーさんを座らせた。

 頭はあまり下げさせないようにして、深く被った頭巾を少しずらす。あまり空気がこもらない方がいい。弟も乗り物酔いしやすかったので、いくらか対処法を覚えていた。

「ゆっくり深呼吸して」

 サリーさんはうなずき、ゆるゆると息を吐いた。閉じた目がつらそうだ。


「気持ち悪い?」

「少し、でも大丈夫」

 全く大丈夫ではなさそうだ。白い顔を更に青くして、心配をかけまいとして笑ってみせるのが健気で、かわいそうでならない。

 弟も無理をして我慢してしまう質だった。

 年の離れた弟がまだ小さかった頃は乗り物を酔いしやすくて、その度に家族中で大騒ぎして弟を介抱した。

 冷たいものでもあればいいんだけれど、ここでは勝手がわからない。カズミンはいつの間にか姿が見えない。

「クロノ、大丈夫よ」

 青い顔でサリーさんが微笑み、つらそうに目を閉じる。サリーさん。変わってあげられたらいいのに。


 そばにいても何もできずに泣きたいような気持ちになった時、カズミンが戻ってきた。

「クロノ、何て顔してるのよ。サリー、ほら、冷たい水よ」

「ありがと……」

 サリーさんはカズミンが持って帰った結露したビンを受け取り、弱々しく礼を言った。冷たい飲み物を買ってきてくれたらしい。サリーさんはビンを頬に当て、ほっと息をついた。少し楽になったのだろうか。そうだといいんだけど。


 カズミンはまだぐったりしたサリーさんの前に立ち、厳しい表情で腰に手を当て、見下ろした。

「あんたって、昔からそうよね。自分のできることを把握できないで気持ちだけで動いて、まわりにその尻拭いをさせて。いいご身分よね、だから美人って嫌いよ。自分で動かなくてもまわりが動いてくれるものね」


「カズミン、それは」

「クロノは黙って」

 ぴしゃりと言われて俺は黙った。サリーさんは青白い顔をカズミンに向けている。大きな目が揺れて、今にも涙がこぼれそうだ。

「ごめんなさい、私」

「飲みなさいよ、まずは。すっきりするから」

 サリーさんは言われた通りビンの栓を開け、戸惑ったように辺りを見た。

「コップなんかないわよ、それに口をつけて直に飲むの」

 サリーさんは困ったようにカズミンを見、それから俺を見て、ビンを見た。

「お上品ぶってたら生きていけないのよ、塔の外はね。あんたも、もともとこっち側でしょ」


「カズミン」

 俺はたまらず声をあげた。

「カズミン、お願いだからもう少しゆっくりサリーさんに教えて。カズミンの言ってることはわかるけど、サリーさんもちゃんと考えてるから」

「なら自分でそう言ったらいいのよ」

 カズミンはぷいと横をむいた。

「サリーがそんなに一人前だと思ってるなら、クロノも、トマ爺もヨッコも、黙って見ていたらいいのよ。子供のお世話みたいに、何かする前からああだのこうだの。だからサリーが自分でしなきゃいけないことをしないで済ませてしまうのよ。サリーをダメにしたいならそれでいいけど」

 俺は黙らざるを得なくなった。

 サリーさんは意を決した様にビンに口をつけた。


 冷たい物を飲み、サリーさんは少し落ち着いたようだ。

「隊長さん、ごめんなさい。ありがとう」

 さすがにしゅんとして、サリーさんが言った。

「わかったら次のバスで帰りなさいよ」

 カズミンは矛先を収めない。

「……」

 サリーさんはすがるように俺を見た。さっき言われてしまったので、俺からは口を出しにくい。がんばって。


 サリーさんはカズミンを見ておどおどと言った。

「隊長さん、私も連れて行って。私も町が見たい」

 カズミンはそっぽを向いている。俺もすがるような気持ちでカズミンを見た。俺だけではサリーさんの面倒をきっと見切れないから、やっぱりカズミンが了承してくれなければ連れて行けない。でも、サリーさんがそんなに見たがっている町を見せたい。


「お願い」

 サリーさんが重ねて言った。カズミンはそっぽを向いたまま、目だけでじろりとサリーさんを見た。

「わがまま言ったら、置いてくわよ」

「言わない」

「私はもう隊長じゃないんだから、カズミ様と呼びなさい」

「はい、カズミ様」

「クロノと私より仲良くしないで。デートの邪魔するんじゃないわよ」

「それは無理」


「何でよ!」

 素直にうなずいていたサリーさんが即答したので、カズミンが目をむいた。

「私の侍従だもの」

「今は私の彼氏なの!」

「そ、そそ、それは違います」

 俺は何とか滑り込んだ。そこだけははっきりさせておかなければならない。

 ああん意地悪ぅ、とカズミンが内股で地団駄を踏む。


「俺からもお願いします、俺だけじゃ連れて行ってあげられないから」

 俺も必死に頼んだ。カズミンがついに折れた。

「わかったわよ、クロノがそこまで言うなら連れてってあげる。でも本当にわがまま言うんじゃないわよ。あと私から離れないで。あんたは国を4つも沈めてる。あんたを殺したい奴なんかごろごろいるんだからね」

「はい」

 俺ははっとした。素直にうなずくサリーさんの表情には、特に驚いたような様子はない。先から承知しているということか。


「カズミ様、よろしくお願いします」

 サリーさんはカズミンに頭を下げて、その手を握った。

「あと、私のこと美人って言ってくれてありがとう。そんなことあんまり言われないから、嬉しい」

 カズミンがすぐにサリーさんの方を向き、何か言いたそうにしたが、サリーさんが子供のように無邪気な笑顔でカズミンを迎える方が先だった。カズミンが天をあおぐ。

「あんた、それ……今度使わせてもらうわ」

 サリーさんの笑顔はカズミンをも陥落させることができるのか。

 カズミンもサリーさんの手を振り解くことはできず、2人は手をつないだ。

「立てる?サリー」

「はい、もう大丈夫」

 仲直りしたようだ。良かった。


 俺はやっと安心してまわりを見た。

 大きな町だ。張り巡らされた水路のすぐそばに、高い建物が整然と並んでいる。俺はあまり建物には詳しくないが、やっぱりヨーロッパの古い市街地のような印象だ。あの石畳の道が水路になればこんな感じかと思う。

「クロノ、今渡れるわよ、早く」

 町を見上げていると、カズミンが俺を呼んだ。返事をしながらカズミンに目を戻すと、カズミンは躊躇なく水路に足を踏み出した。

「え、あ、カズミン!」

 落ちる!

 俺は目を瞑った。が、続いて聞こえるはずの水の音はしなかった。

 俺はそろそろと目を開けた。


 カズミンと、手をつないだサリーさんが水の上に立っている。

「何、クロノ?」

 2人は怪訝そうな顔をしている。俺は驚いて声も出ない。カズミンが俺の顔を見て苦笑した。

「あんたの故郷は舗装した水路もなかったの?」

「ほ、舗装」

「町の水路は殆ど舗装してあるから、普通の人間くらいの重さじゃすぐには沈まないわよ。早く、クロノも来なさいよ」

 2人は水路を渡り切った。俺は恐る恐るつま先を水路に乗せてみた。


 ああ、確かに沈まないな。アスファルトほど硬くはないが、砂よりも沈まない。柔らかい土くらいの感触だ。

 俺は思い切って足を踏み出した。水の上を歩くなんて不思議だ。何だかとても気持ちいい。

「何よ、楽しそうな顔しちゃって。行きましょう」

 カズミンとサリーさんが笑っている。俺はきょろきょろしながら2人の後に続いた。

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