第47話 ここで降ります

「ここが空いてるわ、座りましょう」

 それなりに空いた車内を進んで、カズミンが後部の2人がけの座席に座り、隣をぽんぽんと叩いた。カズミンだけでほぼ埋まっているのに、俺が座ったらぎゅむぎゅむになる。

「いや、俺は立ってます、ほらあの、何事も鍛錬ですから」

「ええ、いいじゃない。揺れたら危ないし」

 手を引こうとしたカズミンがまた俺の後ろをのぞき込む。

「あら、それもついてきたの。何なのそれ?」

「あ、あの、これは」


 俺の後ろの黒頭巾は俺の服の裾をしっかり掴み、俺の背中に隠れるように身を寄せた。カズミンが少しむっとしたように身を乗り出す。

「ちょっとあんた、馴れ馴れしいわね、離れなさいよ」

「カズミン、待って、危ないから」

 止めようとした時にバスが揺れた。黒頭巾は大きくよろめき、俺は慌てて腕を掴んだ。その拍子に頭巾が取れた。


「あ!あんた、サリー!」

 バスの中にカズミンの素っ頓狂な声が響く。俺はその寸前にサリーさんに頭巾を被せ直すことに成功していた。バスの中の乗客が数人振り返ったが、すぐに興味をなくして前を向く。

 中身はやっぱりサリーさんだった。


「ちょっとクロノ、あんた何やってんのよ!サリーまで連れてきたの?」

「気付かないうちについてきちゃったんです、どうしよう」

「気付かな過ぎでしょ!」

 カズミンが声をひそめ、俺も動揺しながら小声で答えた。どうしていいかわからず、とにかく危なくないようにカズミンの隣にサリーさんを座らせる。サリーさんくらい細いとカズミンの隣にもぴったり収まった。


「何でサリーが隣に座るのよ」

「クロノは私の侍従です。私を優先するのは当然です」

 不満そうなカズミンに、つんとすましてサリーさんが答える。バスはもう動いているので、隠れる気もなくなったらしい。

「はあ?大した言い草ね。だいたい何よあんた、その格好。男物じゃない」

「変装だもん。クロノの服借りたの」

 ええっ、それやっぱり俺のなんだ。勝手にそんな。洗ってあるけど、くさくないかな。俺が部屋の鍵を閉めないからか。それにしたって。

「クロノ、どういうことよ。服の貸し借りって」

 カズミンの目に殺気がこもる。こ、怖い。俺は必死に言い訳した。

「あの、あの、サリーさんが勝手に」

「私の侍従よ。どうしようと私の勝手だわ」

 サリーさんが割り込み、カズミンが矛先を変える。


「あんたね、さっきからずいぶんじゃないの。デートの邪魔しておきながら生意気よ!」

「デート?そんなの聞いていないわ。クロノ、どういうことなの?」

「いや、あの、違います、そんなじゃないです、違うんです!」

「やだクロノ、2人っきりて出かけるんだもん、デートじゃない」

「2人っきりじゃないわ」

「だからあんたが邪魔なのよ!」


 もう何だかわからない。せっかくの異世界の街並みをロクに見る余裕もない。顔を突き合わせ、他の乗客を慮ってひそひそケンカする2人を俺はハラハラと見守った。

「どうするのよ、今頃ヴィオとヨッコが真っ青になってるわよ。あんたもう帰りなさいよ」

「帰るならクロノ、伴をしなさい」

「ダメよ、クロノはメガネを作りに行くんだから!」

「私の侍従よ!」

「目が悪くなるわよ!」

「じゃあ私も行く!」


 俺は懸命に、合間合間に口を挟もうとはしたのだ。しかし間髪を入れぬやり取りにその余地はなく、俺はただただおろおろと2人を見守るしかなかった。姉同士のケンカを彷彿とさせる。弟がいたら泣けば収まったのに。兄のように逃げるが勝ちなのだろうか。


「だいたいあんた、昔っから気に入らないのよ。何よこのほっぺ、どんな手入れしてるのよ」

 ついにカズミンが手を出した。サリーさんのほっぺをむにゅっとつまむ。

「なはっはほうりやはひふはらっへ」

「何ですって?ああもう悔しい、どうせ大した苦労もしないでこんなにすべすべぷにぷにで真っ白で」

 サリーさんのほっぺがむにゅんむにゅんと弄ばれる。あああ、ほ、ほっぺが伸びちゃいそうだよ。

「髪もきれいだし、いくら食べさせても太らないし、肌も荒れやすいけどつるつるで、人がどれだけ苦労してるかも知らないでこの子は」

 確かにサリーさんのようになりたくて頑張っているのなら、カズミンの努力はすごそうだ。


 カズミンはひとしきりサリーさんのほっぺににイライラをぶつけると、むくれて窓の外を見た。ようやく解放されたサリーさんはしばらくつんとすましていたが、急に下を向いた。

「サリーさん?」

 慌ててそばに寄ると、サリーさんは小声で言った。

「……気持ち悪い」

 ええっ、ど、どうしよう。


「酔ったのね、あんた乗り物苦手だものね。だから無理してついてこなきゃいいのに」

 カズミンが手にしたものすごく小さな(対象比)バッグからハンカチを取り出し、サリーさんに渡した。サリーさんは青い顔でつらそうにしながらカズミンを見た。

「だって、私も、バスに乗りたい」

「そうね、サリーは乗り物好きだものね。わかったから顔を上げて、ゆっくり息をして。遠くを見るのよ。あまり頭を動かさないで。あと2つだから我慢してね」

 ハンカチは甘い香りがした。青ざめて目を閉じていたサリーさんが、好きな香りなのだろう、少しだけほっとしたようにハンカチを口元に当てる。


「サリーは乗り物が好きなんだけど、あまり乗れないのよ。酔いやすくてね」

「そうなんだ」

 サリーさんは苦しそうに目を閉じたままカズミンに寄りかかった。カズミンは全くとか何とか言いながらもしっかりした肩を貸してやっていた。

 何だ、この2人、結局仲良しなのかな。姉たちみたいに。


 降りる人も乗る人もなく、バスが停留所をひとつ通り過ぎて行く。

「クロノ、次で降りるからね。お金準備して」

「はい、ええと、どれを出せば」

「やだもう、お金もわからないの?」

 俺はごめんなさいと財布を差し出した。

「いいわよもう、私が取り敢えず立て替えるわよ。じゃあクロノ、サリーを任せるわ、嫌だけど」


「ボタン押したい」

 青い顔のサリーさんがふらふらと手を伸ばす。カズミンが面倒そうにできるだけ体を座席に押し付け、前を開けた。しかし。


 ぽーん。次、停まります。


「……ああ……」

 サリーさんが絶望の声を漏らす。停留所のアナウンス前になのにせっかちにもボタンを押した、前の方の席にいたおじさんがまた座り直している。サリーさんは押し負けたのだ。そんな顔で俺を見られても。

 サリーさんは未練そうにボタンを押した。録音のアナウンスが停留所の近くの店を今更案内している。しかし一度ランプの点いたボタンはもう鳴らなかった。このシステムは俺が知るものと同じか。

 程なくバスが停留所に停まる。まだボタンを押そうとするサリーさんを立たせ、カズミンはさっさと前へ出た。

「はい、降りるわよ」

「もうひとつ先まで行きたい」

 無茶を言い出すサリーさんを抱えるようにし、俺はカズミンについてバスを降りた。

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