掌編小説・『フランケンシュタイン』
夢美瑠瑠
掌編小説・『フランケンシュタイン』
掌編小説・『フランケンシュタイン』
メアリー・シェリー夫人は、「フランケンシュタイン」という、ゴシックロマンの代表作、そして元祖のSF小説を、書き悩んでいた。
「…ヴィクターフランケンシュタイン博士は、理想の人間を人工的に創造しようという野心に取りつかれて、詳細な設計図を作っていた。
100を超える創造工程の青写真を、机上であらかじめコンプリートさせるために、様々に構想して、構成していく。
天才的な頭脳ゆえ自然科学の様々な原理をすべて直観的に理解している博士ならではの特殊な神業的な能力の発露として、彼には一連の実験プロセスの始原から結末までのシーケンスを、けた外れの電光石火のスピードで全く架空の状態から自在に意識野においてシミュレートしていくことが可能なのだ。
そうして玄妙で特異な「不世出のエレガントな頭脳」の実行力に物を言わして、博士は言わば「人造人間を召喚できる科学的な魔方陣」を、徒手空拳からアクロバティックに敷衍して構築していけるのだ…
そこにおいて奇跡のごとくに展開していく脳内の帰納と演繹の運動性、アイデアと実験材料の錯綜と離合集散、光彩陸離たるその弁証法的な止揚、それはつまり彼にしか不可能な、芸術的な…」
だいたいはいいのだが、なんだか大げさかなー
という気がするのだ。手直しを繰り返すので、草稿は朱筆で真っ赤っ赤という
感じになっている。…
… …
どうにか小説を書き進めていったメアリーは、怪物の合成のために死体を用意する、という場面に差し掛かっていた。
「…人体の合成には肉体が必要であるが、これは調達するすべは、例えば死体安置所から盗み出すのでなければ、墓場しかない。かなりグロテスクな話だが、フランケンシュタイン博士は、夜中に墓場へと何度か出かけて、墓掘り人夫の苦心を台無しにする仕事を密かに実行した。
そして、どうにかやりおおせて、比較的に新しい死体を4体用意した。」
うーん、死体というのはほとんど見たことがないけど・・・メアリーはひとりごちた。大体恐怖小説なんだし、かなり迫真的な描写が必要かしら・・・
考えた挙句に、死体の解剖を日常的にやっている、医科大学にいる友人に、死体解剖の現場を見学させてもらうことにした。
半日ほどひたすら解剖される死体を見ていて、案の定夕食は喉を通らなかったが、小説のほうは捗っていくのであった。
「…死体というのは全体に蒼い。「血の気が引く」というが、ああいう蒼白のいわゆる「紙のように白い」顔色よりも更に生気がなくて(当たり前だが)、更に鬼気迫る不気味さが全体を蔽っている。死臭はもはや悪臭に変わっている。
死体の印象というのは人間にとって一種独特な、出来れば決して見たくない、忌まわしいイメージの典型例かもしれない。… …」
それからもメアリーは毎日小説を書き進めていって、いよいよ、フランケンシュタイン作の合成人間が、命を吹き込まれて、前代未聞の恐るべき怪物としてゆっくりと動き出す場面にたどり着いた。
しかし、この巻中の白眉となるべきひとつのクライマックスにおいても、どうもメアリーには純然たるイマジネーションのみで、読者の期待に沿えるような、主人公にして人造人間第一号の、体格や知性で、一般の人類を遥かに凌駕する、キメラ的で不気味極まりない怪物のユニークさを十分に表現する自信がなかった。
死体なら実際にあるものだからなんとかなったけど・・・
こういう怪物は何になぞらえたらいいのか?
…考えた挙句に、色々と容貌魁偉な?動物のいそうな、動物園に出かけてみることにした。人間とは異質な生き物、外見も習性もそれぞれ全く独特な生き物が集められている、動物園というものは、イマジネーションを刺激する材料の宝庫という気がしたのだ。
そして、いざ入園してみるというと、予想にたがわぬ奇怪奇天烈な姿の動物がそこかしこにたくさん跋扈していた。
動物園に来たことはあったが、何か目的があって入ったわけではないので、それほどアザラシやライオンやゴリラ、キリン、象、イボイノシシ、…
そういう珍獣の姿をつくづく熱心に観察したわけではない。
怪物のイメージの参考にしようと思うと、そういう畸形だの、膂力だの、醜悪さだの、どこかそうした怪物のイメージを構成しうる何かの要素が突出している個性的な動物だらけに思えるのだ。
四不像(シフゾウ)という珍獣もいた。これこそはキメラ的という言葉の化身かと思えた。
怪物の設定としては容貌は極めて醜いので、これはイボイノシシとか、象、カバ、海亀、そういう動物のイメージを重ね合わせることにした。
体格とか動作の感じは、2メートル近い巨躯で、力も極めて強いという化け物なので、ライオンとか虎、ゴリラ、オットセイとかのイメージを採用した。
腕や上半身は特にゴリラが適当で、全体の動きはワニとかオットセイ、さらにはサラブレッドの力強い感じも取り入れたかった。
キリンの異様さも、その雰囲気を表現して、援用できそうだった。
…こうして帰宅して、原稿に向かったメアリーシェリー氏の筆は、流麗な描写を
円滑に連ね始めるのだった。彼女は一気呵成にこう書き上げた。
「フランケンシュタイン博士という造化の神の手になる、これ以上はないという
醜貌の、既成のどの人間をも凌駕する甚大な膂力を擁する、奇怪なモンスターが、
インスパイアされた命をようやく完全に我がものとすることに成功して、ゆっくりと立ち上がった。
出来損なったその顔は、ごつごつとした黒い奇岩さながらに不気味で、異質だった。歪(いびつ)で邪悪なニュアンスに満ちている、計り知れないパワーを秘めた全身は、むくむくと蠢(うごめ)いていて、黒光りするような精力的な筋肉の塊に見えた。そうしてその目の輝きは、驚くべきことに、秘められた深遠な理知を表現していた。
生きている!この怪物は確かに生きている!
フランケンシュタイン博士の神のごとき手腕によって、誕生したばかりのこの世に二つとないユニークな生命体は、生まれたばかりの仔馬のようにしばらく蹌踉していたが、いくばくもなく、動きもしっかりしてきて、やがて全身に燐光すら帯びているような、極めて力強く躍動している肉体という感じが濃くなってきた。
さながらにこの世界全体と互角に拮抗して、真っ向から対峙しうることはおろか、さらには激烈な戦いののちには世界すら凌駕し得るほどの、莫大な潜在能力を秘めた脳と肉体を有している怪物…これはそうした魔性の怪物の出現であり、鳥肌の立つようなそういう凄い事件がたった今、出来(しゅったい)した、目撃者のフランケンシュタイン博士にはそういう風に見えたのだ…」
ま、これでいいかもね。
メアリーは筆を擱いて、マントルピースのある居間に移動して、かなり年代物の貴腐ワインの栓を開けた。
つぎはぎの化け物か…
私にしかこんなイメージは作れない。
「ふふふっ」と彼女はほくそ笑んだ。
…しかし、その後何百年もフランケンシュタインという、
その秀逸な造形されたイメージが、世界中で人工的な畸形的な創造された怪物の代名詞として、典型例として、普遍的な呼称として使用されるほどに一般化して、
全ての人類の人口に膾炙するまでになるとは、さすがの彼女にもその時は想像はつかなかったのである。…
<終>
掌編小説・『フランケンシュタイン』 夢美瑠瑠 @joeyasushi
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