神居村の日常風景、冬ver


*****


 早すぎる“クリスマスデート”を終えて神居村へ帰ってきて、数日が経つ。

 ほんの一日しかいなかったはずなのに、帰ってくれば村の雪景色がいよいよ強まり――――家までの距離を見て思わず溜め息が出てしまったほどだ。

 幸い、駅へ到着してすぐに村内巡りのバスが来てくれたから凍える事もなく到着できたものの、神居村の寒さと雪の洗礼はそのちょっとの間でも充分すぎた。

 土曜日に村の外へ出掛け、日曜に帰ってきて、すっかりと元通りの日常になってしまい……今は、このいつも通りの村の日々、朝早くに殺人的な寒さの中で目覚め、怜と雪の中を歩いて登校し、もっさりと積もりゆく雪の海を田園風景があった場所に映しながら歩く――――そんな一日を送る。

 ここまで冷え切ってしまえば、しばらくは村の銭湯にも行けない。

 行けない事も無いが、ぽかぽかと暖まった帰り道は零下を映すのだから再び冷え込む。

 一度だけ、どうしても湯船で足を伸ばしたくて強行して行った事があるものの……帰り道は案の定冷え込みに冷え込み、日替わりの柚子湯で暖めた身体を、帰ってからシャワールームで暖めなおすなどというバカにもほどがある事になってしまった。


 そして、やなぎは柳であの後――――工具店や車用品の店を巡って言いつけられたお遣いを全て済ませると、ネットカフェで一晩過ごしたそうだ。

 野宿はしない、他人の家は気を遣うから遠慮する、と言っておいてそんな俗な過ごし方をこいつがするなんて思えなかったが……詳しく聞くと、どうにも珍しい事に、充実していたような様子をその倦んだ顔にかすかながら浮かべた。

 PCはともかく、漫画読み放題、ドリンクバー付きなうえシャワー室完備、食事もインターフォン一つで持ってきてくれる、ゴロゴロしていても誰にも何も言われる事は無くこれ以上の居心地の良さはない、と……気持ち程度饒舌に語り聞かせてくれた。


 そんな中、ひとりだけ置いて行ってしまった八塩さんに内心申し訳なく思いながらも――――八塩さんは、どこか上機嫌な様子でもあった。

 相変わらず表情の読めない、口もとまで厚く前髪の垂れた黒子のようないでたちなのに月曜には――――彼女にしては、珍しくテンションが高い様子も見せた。

なんでも柳が何かお土産を見繕ったらしく、身一つで来て身一つで帰りの電車に乗るはずだった、駅で落ち合った柳が片手に提げていた紙袋の中身がそれだったようだ。

ちなみに後で怜に訊くと……、「沢子は、一度すねるとかなり長いんだ」とだけ、教えてくれた。


 ともあれ、今はまたこの村でいつも通りの日々。

 当の怜もまた、神事の準備といつも通りの家の手伝いの日々で、クリスマスツリーがどれほど心に残っているか計り知れないまま、更に眠そうな様子を見せる。

 昼休みの時間には珍しく机に伏して寝息を立てる姿もあった。


 いつも通りの日々。

 そう。


 この村の・・・・、“いつも通り”だ。



*****


『神居村役場より子供達へご案内申し上げます。良く遊び、良く学び、健やかな成長を――――』

「だとさ。聞いてるか? おい、悪ガキ」

「うっせ。よそ者の兄ちゃんにだけは言われたくねぇ。このエッチ」

「はぁ!? お前何のこと言って……!」

「あ、何か身に覚えあんだ? うわ、さいてー……兄ちゃんこそアレ見習えよ。エッチな事ばっか考えてんじゃねーよ」

「……お前、いいかげんにしねーと泣かすぞ?」

「高校生が小学生泣かすんだ? へー……」


 いつものように、――――神居かむおり村小学校に、それは出た。

 夕暮れの校庭を走り回る、雪の深さもものともしない健脚のそれは昨今珍しくなってしまった偉人の像の姿。


 鈍く輝く人間大の銅像が、薪を背負い、ひっつめた髪と無表情な眼差しで手もとの本へ目を落としながら歩く姿を模した、学業と自立の両立を是として願うべく作られた――――古く伝統的な、“二宮金次郎”の像だった。

 最近では歩きスマホと同じノリであの立ち姿を問題視されたのか、薪をおろして座りながら勉強するサボり魔みたいな姿にされる事もあると噂で聞いたが――――ここのは懐かしい昔ながら・・・・だ。

 二宮金次郎像の徘徊を告げる符丁ふちょう放送は、この目の前に広がる異様な光景とは別にあまりにのどかな口調で行われ、それがまた異質な雰囲気を醸し出すのに一役買う。

雪の深く積もった校庭を、その下に描かれていたトラックを正確になぞるような動きで走り回る二宮金次郎像の姿は山間に沈みかけた太陽に照らされて鮮やかに浮かび上がる。


 そして、俺が何故こんなところに居合わせたのかと言えば……学校帰りに偶然、この村でよく見かける小学男子コンビの片割れ、“悪童”と出くわし、雪合戦の数合わせに来い、と誘われてしまったからだ。

 珍しくメガネのほうはいなかったが、聞けば風邪で家にいるらしく――――結局、押し切られるように俺はよその学校の校庭で雪合戦なんぞに興じる事になった訳だ。

 というのにこいつは――――長袖のTシャツと半パン一丁の姿でスキー用手袋だけはめる、見ててこっちが寒くなるような格好をしているのだから呆れる。


「はぁ……お前、もしかしてこういう事になるの予想して俺誘ったんじゃないだろうな?」

「予想できるかよ。ま、しばらく“二の金”は出てきてなかったから今夜あたり出るかなとはちょっと思ったけどよ」


 玄関の中で外の様子を伺う俺と“悪童”、それと神居村の女子ふたりと男子が三人。

 そのうち、女子ふたりだけは心細そうにしているものの、男子達はこの状況でも“またかよ”とばかりにうんざりした様子で、傘立てに突っ立っていた誰かの置き傘を素振りしている奴までいる。

 ためしに、俺は彼らにちょっとインタビューしてみる事にした。


「お前らさ……アレ、怖くないのか?」


 そう訊ねると、学年もバラバラな男子三人はきょとんとした顔をして何を言っているか分からない、というように顔を見合わせた。


「べつに……。俺、もうアレ見るの三回目だし」


 小六の、この場で一番大人びたダッフルコート姿の男子がそう答え、傘を素振りしていた四年生も、怖がる女子をからかっていた三年生も、似たような答えを続けた。

 まさしくこの村ではこれが日常で――――いちいち怖がる事もない。

 とはいえ、あれを放置はできない。

 どうしようか、と考えながらコートのポケットから“幽霊刀の柄”を取り出し、扉を開けて躍り出る、寸前……一瞬早く、誰かが俺を遮るように出た。


「おいっ!?」

「いいからさっさと片付けようぜー、七支の兄ちゃん。……しょっ、と、っ……!」


 玄関の扉から猿のように飛び出して行った“悪童”が階段を滑り下りると同時に雪溜まりに、さっきまではめていたスキー手袋を脱ぎ捨てた素手を突っ込み――――雪玉・・を押し固め始める。

 ぼたぼたぼた、と垂れる雪解け水が物語るのは、今こいつが握っているえげつない雪玉の作り方を示すばかり。

 体温で雪の水分を絞り出しながら圧縮するように固め――――まるで氷塊のような硬さを持たせる、まさしく“悪童”の面目躍如のような悪意に満ち満ちたやり口だった。


「うっし……そんじゃ、行くぜー……二の金!」


 振りかぶった投球の姿勢を取ると、“悪童”は利き手と反対の肩で照準を定めるように、校庭の中央を走る二宮金次郎像に狙いをつける。

 距離はおよそ三十メートル、小三のこいつが投げて届く距離とも思えないし駆け回っているアイツになら尚更当てられるとも思えない。


「お、い……届くのかよ!?」

「だいじょーぶイケるイケる! おっ、らぁっ!」


 見よう見まねのような乱れた投球姿勢から放たれた雪玉は見えず、振りかぶった腕の風圧が離れていた俺にさえ届き――――異常な初速で放たれた投球からあまりに早く“着弾”の音がした。

 すぱぁぁぁぁんっ……! と、爆竹でも爆発したような快音が響くと同時に二宮金次郎像の上体が大きく傾き、三十メートルも先なのに雪玉の飛沫がその頭部のあった場所で飛散するのが見えた。


「おしゃっ……! すっとらいーく!」

「デッドボールだ、あれは!! どうりで痛ぇと思ったんだ、お前の雪玉!」

「何だよ? ちゃんと人に投げる時は加減してんだぜ? 褒めろよ、兄ちゃん。あぁ、でも兄ちゃんに投げる時はちょっと本気だったわ」


 背丈一メートル程度のこいつが投げた雪玉は三十メートル先の走るあいつの頭部を見事に捉え――――目で追えないような速度で撃ち抜いた。

 得意げなドヤ顔が本当に気に障るし、こいつに雪玉をぶつけられた背中が妙に鈍く痛むと思ったら……こいつ、この村でだけ発現する“能力”を使って投げてやがったのか。


「ッ……オォ……!!」


 そして殺人的な勢いの雪玉をぶつけられた二宮金次郎像だって黙っちゃいない。

 雪煙を上げながら、俺と“悪童”めがけて唸り声とともに猛烈な勢いで走ってくるのが見える。

 その間にも“悪童”が握り固めた雪玉は頭へ直撃し、胸にぶち当たり、太ももを狙撃し――――突進の勢いは弱まっていく。

 だがそれだけでは倒し切れない。

 目と鼻の先まで到達した偉人の像へ向かって歩みを進め、“悪童”を後ろへやるとポケットの中から“柄”を取り出し、握る。

 昔、爺ちゃんに教えてもらって型だけやった逆胴を抜く構えで、驚くほど鮮明に浮かび見えた刃筋に沿うよう、速度の落ちた視界の中で滑り込ませていく。

 “怪談”の姿として現れた、この偉人の像を胸から両断する太刀筋で。


 ――――切り裂いた直後、先ほどまで雪煙を上げて走っていた二宮金次郎の像はまるで質量を失ったように姿を蜃気楼のように薄らがせた。

 勢いを失わず俺と正面衝突するはずだったのに彼は実体を失い、体の末端からしゅわしゅわと消滅を始めながら俺をすり抜ける。

 衝突の瞬間、その衝撃を予知して目を強く閉じたい衝動に駆られたが、ぐっと堪え――――薄目を開けるに留めた。


 振り向けば、もうそこには何もいない。

 扉から顔を見せた小学生連中と、突き抜けてきた彼にビビッたのか尻もちをつく姿を見られてばつが悪そうにする“悪童”の姿しかない。


「……さぁ、帰んぞ。ほら」


 ちょうど、その時――――村のあちこちに据え付けられたスピーカーから、帰宅の時間を教えるメロディが鳴り響く。

 時刻は四時半。

 暗くなり始めた冬は門限が早まり、この村の遊び時間の終わりは“遠き山に日は落ちて”で締めくくられた。


 濃い紫色に変わった空の下、一塊に帰っていく小学生組と俺は校門を出ると反対の方向に向かって、騒がしく別れを交わしながら歩き出した。


 奴らの帰る方向は、山へ落ちる夕焼けの方向。

俺の帰る方向は、もう暗い夜へと変わった方向。


 何故なのか、それだけの事が。


 妙に――――しんみりと、心に沁み入ってくるようだったのだ。







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