かきを
北見崇史
第1話
「おい久志、ほんとにこの道でいいのか」
ハンドルを右に左にせわしなく切りながら、田川は苛立っていた。
彼が運転する車は、よく整備された国道を離れ、ガードレールも標識もない険しい山道に入ってからしばらく経っていた。道幅は極端に狭く、しかも中途半端に除雪された圧雪路面であるために、オフロード専用の四輪駆動車をもってしても楽ではなかった。
「ねえ、スピード出過ぎじゃないの」
「たらたら走ったほうが、逆に危ないんだって」
曲がりくねった路上のあちこちには、大雑把に除雪された後の雪塊が硬く凍って残されていた。タイヤが、それらを力任せに潰すたびにハンドルをとられた。
「なんか想像していたのと、だいぶ違う雰囲気なんだけど」
「たしかに」
さらに吹きつける粉雪が、車輪と圧雪路の間に滑りやすい膜を張って、車を山の斜面にぶつけるか、深い谷へ導こうとしていた。電気仕掛けの横滑り防止装置が常時仕事をしているので、走行の安全はいちおう保たれているが、運転のわずらわしさは消しきれていない。
「痛えな、くっそ」
くわえタバコの煙が運転者の乾いた目を直撃した。苛立ちまぎれの悪態を吐きだした田川は、一瞬目をつむったが、すぐに前方を見た。
「もう、このまま遭難するんじゃないの」
助手席にいる恭子は、運転手の口元からいぶったタバコをもぎ取り、後付けの灰皿に勢いよく押しこんだ。そして、後ろの座席に向かって責め立てるように言った。
「ほんとうに大丈夫なんでしょうね」
「大丈夫だって」
久志は心配している様子もなく、あっさりと答えた。彼は恭子のすぐ後ろの席で、頭を窓ガラスに持たれかけたまま、だらしなく座っている。
「こういうところに秘湯の温泉があるんだから」
「これじゃあ秘湯じゃなくて、秘境じゃないの」
とげとげしい恭子の言葉に、久志は何もかえさなかった。いつものことだと、気にする素振りさえ見せなかった。
「俺は秘湯でも秘境でもなんでもいいな。風呂さえあればな。それに、なあ久志、もちろん混浴なんだろう」
なんとなく気まずい会話の流れに、渡部が割って入ってきた。
「恭子と混浴できれば、俺、地獄だっていい」
「ばっかじゃないの」
恭子に冷たくなじられても渡部は平気だった。
彼は後部座席の真ん中に大きな体を割りこませ、その狭さに臆することなく堂々と大股を開き、彼の左右に座っている人間を容赦なく端のほうへ押しやっていた。
「あのう、まだ着かないですか」
後部座席の右側には幸恵が座っていた。乗り物にすぐ酔ってしまう彼女は、左右に振られっぱなしの山道と、無遠慮に張りだした渡部の右足に追いつめられて、すっかりまいっていた。こみ上げてくる苦い液体を何度も飲みこみ、青白く虚ろな表情を窓ガラスに薄く浮ばせている。
「ユキが具合悪そうよ。ねえ、もうちょっとやさしく運転できないの」
「やってるよ。兄貴の車に傷つけないように」
恭子は、口数の少なくなった幸恵の体調を気にかけていた。田川のタバコをもみ消したのは、彼の疲労を気遣っているというよりも、幸恵が煙を嫌がっていたからだ。
「それにしてもひどい道だな。ほんとに、こんな山奥に温泉旅館なんてあるのかよ。ナビにも出てこないって、おかしいだろう」
「あるんでしょう、幹事さん」
運転手と助手席の男女は、非難混じりの不満を後ろの方に投げつけた。しかし、当てつけられた久志は気にする様子もなく、小さなアクビを繰り返すだけだった。
「おまえ、その旅館って雑誌かなんかで見つけたんだっけ」
一人責められている久志を、おもしろがった渡部が肘で小突いていた。トラブルが起こることを望んでいるような、楽天的な口調だった。
「ネットですよ」
久志はすぐに答えた。同い年である田川や恭子の小言は気にならなくても、先輩である渡部には何かと気を使うところが彼らしかった。
「店の事務所の奥にパソコンあるじゃないですか。ヒマな時にネットやってて見つけたんですよ。秘湯・宿泊で検索したら、これぞってのがでてきて」
四輪駆動車の男女五人は、同じ大学に通い同じ居酒屋でアルバイトをしていた。
大学の後期試験が終わり長期の休みに入ったころ、たまたまアルバイト先の居酒屋が店内の改装工事をすることになり、五人そろって休みをとれることになった。
以前からどこかへ旅行に行こうと話題にはあがっていたのだが、それぞれのシフトが合う機会に恵まれなかった。それがアルバイト先の休業で皆の予定が空いたところに、久志が温泉旅行に行こうと話をきりだしたのだ。ほとんど人がこない秘湯の温泉で、のんびりと友情を深め合うというのが彼の計画だった。
旅行については田川も賛成であったが、カラオケもコンビニもないような山奥よりも、有名で気軽な観光地のほうがよいと考えていた。
しかし、普段から投げやり気味で面倒臭がりの久志が、めずらしく自分で手配すると張りって皆を誘ったので、彼に任せることにしたのだ。久志の選択に不安を感じないわけではなかったが、恭子も幸恵も外国人だらけの観光地よりも、鄙びた和風温泉宿に行きたいというので反対できなかった。
当初は同じ学年同士四人の計画だったが、どこから嗅ぎつけたのか、一学年先輩である渡部が強引に割り込んできて参加することになった。地声が大きくて大柄なこの男は、奔放で図太い性格だが、面倒見がよくてどことなく頼り甲斐があったので、それなりの人望はあった。
「ほんとうにこの道で合ってるの。ちょっと、その旅館に連絡してみたら」
「それは無理だよ。電話がないみたいだから」
「えっ」
これから泊まるであろう宿に電話がないと幹事は言った。恭子はあきれて聞き返した。
「うそよ、どうやって予約したの」
「だからネット予約だって」
「電話もないのに、ネットはつながってるの」
「電話嫌いなんだよ。べつにいいじゃん」
自分の仕事にケチをつけられているようで、久志は不機嫌に言い返した。
「だったら、あんたのスマホで確かめてみてよ」
「さっきやってみたけど、サイトが見つからないんだよ」
「はあ?」
「宿泊サイトじゃなくて、そこの旅館に直接予約だったんだけど、なぜか見つけられないんだ。たぶん、PC専用なんだよ」
「今どきそんなわけないじゃないの。ほんとに大丈夫なの」
「なんでもいいよ。電話だろうがネットだろうが、温泉に入れれば関係ねえよ」
渡部にそういわれて恭子は黙った。納得はいかなかったが、険悪な雰囲気になりそうなので、それ以上言葉を出せなかった。
運転手がルームミラーをちらりと見た。久志と渡部は小声で冗談を言い合っていた。幸恵は青白い顔色のまま小さく固まっている。
恭子がイヤそうに見ているが、田川が再びタバコをくわえ火をつけた。アクセルを踏み込み、今まで以上に乱雑にハンドルを切りながら、大量の煙とともに重苦しく呟いた。
「どっちにしろ、ここまで来たら今さら戻れんな」
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