リナリア
葵 悠静
本編
「やっほ、
「お、
いつもの部活終わり。いつもの交差点。
自転車通学をしている俺と神崎はいつも同じ交差点で他愛のない会話をしている。
特に学校で待ち合わせをしている訳では無い。
喋る人数も二人だったり、三人だったり、四人だったり。
時間も短い時は10分、長い時は2時間以上。
それは日によってまちまちだった。
それでも何か特別なことがなくても、この交差点で一日の終わりを実感するというのが中学生になった俺の日常だ。
きっと目の前で自転車にまたがってこちらを見ている神崎も同じ感覚なのだろう。
田舎で人通りが少ない通学路だからこそ、出来ることだ。
「今日はなんかあった?」
「いや別に。顧問の杉崎先生がいつも通り怒鳴り散らしてた」
「あんたんとこの部活厳しいもんねえ」
「そっちはお気楽そうで」
「弱小だもん」
夕焼けに照らされた神崎はけらけらと笑い答える。
俺の部活は中途半端に強いから、顧問も気合が入っている。
神崎の部活は別に強くもないから、同じ運動部に所属しているのに内容に格差が存在している。
理不尽だ。
「そういえば奈央ちゃんとは何か進展あったの?」
「別にこれといって何も」
「へたれー」
「うるさい」
俺には好きな人がいる。
小学校6年生のころから好きで、多分いわゆる初恋ってやつだろう。
小学校からずっと同じクラスで一緒の神崎には当然のようにばれてしまっている。
「それにしても1週間に1回は好きな人がいるって言って、ころころ好きな人が変わっていた巡がまさか2年間も奈央ちゃんのこと好きなんてね。ちょっと意外」
「それはもう忘れてくれ」
忌まわしき記憶。
小学校6年で初恋なんて言ったが、小学校の頃の俺は神崎のいう通り一週間に一回。ひどければ3日で好きな人が変わっていた。
小学校4年生くらいの時から、女子と目が合うだけでその子が俺のことを好きだと思い込んだり、ちょっと話すだけで両思いだと勘違いしたり、それはもうひどいありさまだった。
さらにひどいのはそんなあり得ないことを周りに自ら言いふらしていたのだ。
もちろん教室で大声で好きになった子の名前を言いふらしていたわけではない。
そんな度胸は当時からなかった。
クラスの連中に「あの子のこと好きかも」みたいな感じで言っていたのだ。
常套句誰にも言うなよ。という文言を添えて。
しかしそんなことをクラス中に自ら言いまわっていれば、友達が回り言いふらさなくても、自然とクラス中に広まる。
誰でも当人が言いふらしているのだから。
「あの頃は若かったんだよ……」
「3、4年くらいしかたってないでしょうが」
あの頃はその人のことが本当に好きだったんじゃなくて、好きな人がいる自分のことが好きで、そんな話を友達としているという行為に酔っていたのだろう。
まあ俗にいうマセガキそのものだったんだ。
勝手に好きになられて言いふらされていた相手にとってはたまったもんじゃないだろうけど。
「かわいい子ばっかり好きになってたよね。かわいい子みんなコンプリートしてるんじゃない? 私以外」
「自分のこと可愛いって言い切るのはどうなんですかね」
「え、だって私顔はいいし。それに言ってる相手が巡だし。今さら取り繕う必要もないでしょ?」
そういうもんなんだろうか。
俺ならいいっていう感覚がよく分からないが。
「そんな巡が急に本気で恋しちゃうんだもんなあ。人ってのは変わるもんだねえ」
しみじみと言いながら俺の方をにやついた顔で見つめてくる神崎。
ちょっとむかつく。
まあ神崎のいう通り、俺は小学校6年のある時期から周りに好きになった子の名前を言いふらさないようになった。
別に仲いいやつら以外のクラスメイトは何とも思ってなかっただろうけど。
いややっとうるさかった奴が静かになったくらいは思われてたのかな。
まあそんな小学校の時の風物詩にすらなっていた俺の行動が、突然行われなくなったのだ。
当然仲の良かった神崎や他数名にはいろいろと聞かれた。
それでも頑なに口を割らなかった俺だが、最後に好きになったと公言していたのが奈央ちゃんで、本気で奈央ちゃんのことを好きになったのではないかと、クラス中で噂になったのだ。
そしてそれが中学に上がっても続いているといった状況だ。
多分奈央ちゃん本人もとっくに届いてしまっているのだろう。
そう考えると、俺が言いふらしたわけじゃないのに、なぜか申し訳ない気持ちになってしまう。
「どうせ本人も気づかれてるんだから、アタックすればいいじゃん。そして砕けてきなよ」
「どうして砕ける前提なんだよ」
「どうして成功すると思ってるの……?」
おお、辛らつ……。
純粋な俺のハートに大きなダメージが入る。
しかも真面目に疑問に思ってそうな表情でそういうことを言われると、余計に心に響く。
「はは、冗談冗談。でも本気なら手伝うよ?」
「いいよ」
「なんでそこで留まっちゃうかなあ。二人きりにさせるくらいなら簡単だよ?」
「だからいいって」
「ふーん、変なの」
神崎はことあるごとに俺が告白できるように協力してくれようとしているが、俺はそれを毎回断っている。
そもそも神崎はずっと勘違いをしている。
確かに俺は本当の意味で初恋をした。
今好きな人がいる。
でもそれは奈央ちゃんじゃない。
「そういえば俺ら一回すごい大げんかしたよな」
「そんなことあったっけ」
「あっただろ。小学校6年の時」
きっかけは喧嘩をした時だった。
うちの小学校は男女隣同士で机をくっつけて、授業を受けるタイプだった。
ずっと同じクラスだった神崎とは何度も隣同士になって、そのたびに仲良くなっていったような気がする。
小学六年生の時、休み時間に些細なことで大げんかして神崎が大泣きして、まるで俺だけが悪者みたいな扱いをクラスで受けた。
それに腹が立った俺と傷ついた神崎は、お互いに隣り合っていた席を離した。
それはもう人が二人横並びで通れるくらい、めちゃくちゃ席を離していた。
授業中もそんな状態で、普通なら先生に何か言われてもおかしくないのに、なぜか先生から何か言われることはなかった。
それほどまでに二人の間に流れる空気が最悪だったのかもしれない。
クラスでも仲が良かった俺たちがそんな状態だから、ちょっと話題になっていたのを覚えている。
「あったね。そんなことも」
「あれって、なんであんな喧嘩になったんだっけ」
「うーん……忘れた」
そのころ変な噂がクラスで流れていた。
神崎が俺のことを好きだと。俺も神崎のことが好きだと。
それは俺が言いふらしたことじゃない。
多分クラスの誰かが仲がいい俺たちを見て勝手にそういうことを言いふらしたんだと思う。
そんな噂は当然俺たちの耳にも入ってくる。
俺はなぜかその噂を聞いて神崎とはそういうんじゃないのにと一人で勝手にいらいらしていた。
もしかしたら神崎も同じだったのかもしれない。
そんな状態で起こった些細な衝突がきっかけの大げんか。
喧嘩をした翌日には俺の方は怒ったことなんて忘れていて、普通に学校に行って普通に神崎と話せると思っていた。
しかし神崎は違った。
離れた席はそのままで、休み時間も俺から背を向けて友達と話している。
そんな彼女の様子に無性に腹が立ち、俺も意地を張って彼女から背を向けた。
そんな状態が三日ほど続き、ふと不安になった。
もしかしてこのまま卒業するまでこの状態なんだろうか。
神崎と喧嘩したまま席替えをして、話すこともなく、仲直りをすることもなく話さなくなるんだろうか。
そんなことを考え出した途端に、悲しく、そして怖くなった。
当たり前のように話していたあの時間が無くなる。
ただそれだけのことなのに、胸が締め付けられるような感覚を覚える。
それからだ。神崎のことを意識し始めたのは。
「あの頃の私たちは若かったんだねー」
「2年しかたってないだろ」
「よくあの状態から仲直りできたよねー。いつ仲直りしたのかも覚えてないけど」
確かに俺もどうやって仲直りをしたのか覚えていない。
どちらも謝ったわけじゃないし、確か業を煮やした担任の先生に無理やり席を戻されて、そして気づいたら前みたいに普通に話すようになっていた。
神崎と普通に話せていることに気づいたとき、俺はひどくほっとしたのを覚えている。
これからも神崎とこうして話ができるということが嬉しかった。
でもそれ以降俺の話で笑ってくれる神崎の笑顔を見て心臓が跳ねるようになった。
今までは何ともなかったのに。
彼女が他の男子と楽しそうに話していると、胸が締め付けられるようになった。
今までは何も思わなかったのに。
そんな状態が続いて俺はようやく自覚した。
俺は神崎のことが好きなのだと。
今まであればそれに気づいたとたん、周りの人に言いふらしていたのにその時はなぜか誰にもその話をできなかった。
一人の時ですら神崎のことが好きだと口に出すだけで、顔が猛烈に熱くなりその場でのたうち回りたくなる。
そんな感覚は初めてだった。
『好き』なんて言葉はこれまで何百回、何千回と口にしてきたのに、その言葉を吐き出せなくなるなんてことは考えたこともなかった。
「巡と話してると心地いいんだよねえ。だから自然と仲直りできたのかも」
「それはどうも」
「巡は違うの?」
「どうかな」
「私と喧嘩した時、話せなくて寂しそうにしてたのに?」
「そんなことは覚えてるんだな。性格悪いぞ」
「まあねえ」
こんな他愛のないことはすらすらと口をついて出てくるのに、肝心な言葉はいつまでたっても吐き出すことができない。
もちろんこれまで自分が抱いたこの想いを神崎に伝えようとしたことはあった。
小学校の卒業式、こうして交差点で話している時。
でもどうしてもこの感情を口に出して伝えることができなかった。
今こうして神崎と話していることが俺も心地よかったから。
俺が抱いている想いを伝えることで、彼女との今の距離を壊したくなかった。
俺がこの想いを伝えることで話せなくなるようになるのが嫌だった。
「次の信号変わったら帰ろっか」
「そうだなー」
すっかり周りは暗くなって街灯に照らされた彼女の顔が綻ぶ。
神崎との今の近すぎる距離が心地よくて愛おしくて、そして疎ましかった。
もっと仲良くなければ。一言二言だけ時たまに話すような関係であれば、もっと簡単に告白することができたのかもしれない。
「じゃあ、また明日ね」
「おう、また明日」
神崎は自転車をこぎ始めて俺とは別の帰路を進み始める。
俺はその場から動くことなく、彼女の後姿を見つめる。
視線を感じたのか後ろを振り返った神崎が、進んでいない俺を見て首をかしげる。
ちょうど赤に変わった信号を指さしながら手を振る。
口の形だけで「ばーか」といい、再度前を向いた彼女の背中はどんどん小さくなっていく。
ああ、この距離が妬ましい。でも失いたくない。
だから俺は彼女にこの想いを伝えることはできないのだろう。
神崎はずっと俺が別の日とのことを好きだと勘違いしたままなのだろう。
それは違うと大声で言いたいのに、伝えたくて仕方がないのに言葉は出てこない。
俺にはそんな度胸はないから。
彼女と話せなくなるくらいなら、この想いを伝えることで壊れてしまうなら今のままでいい。
それでもこの想いはそう簡単に消えてくれそうにない。
俺は神崎のことが。
「好きなんだ」
ぼそっとつぶやいた言葉は白い息になって、一番聞いてほしい人に届くわけもなくそのまま消えた。
リナリア 葵 悠静 @goryu36
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