大戦斧。


 二ヶ月目。


「しね」


 二ヶ月、優子は殺し続け、学び続け、生き続けた。


 着ていたワンピースはもう見る影もなく、最早「ボロ布」と表現した方が早い有様で、優子の体もそれに相応しい風体に堕ちていた。


 血に汚れ、泥と煤にまみれ、髪はフケとホコリと油でゴワゴワのぐしゃぐしゃ、擦り傷も切り傷も打撲痕も全身にこさえ、その姿はまるで戦争孤児にすら見える。


 どれだけの時間をこの地獄で過ごしたのかも自覚なく、ただ地獄に適応していく。


 不要な感情は総て捨て、生存の効率だけを求める幼い修羅。それが今の優子だった。


 進めば進むほど形を変え、広大になっていく地獄。


 見付けた階段をたった七回降りるだけで二ヶ月も使い、その間に得た力で五回のレベルアップを優子は果たしていた。


 体力は既に常人の領域を優に超え、膂力は巨大な岩を持ち上げられるほど。


 生存に特化し続ける知能など最早、そこらの識者程度なら追随を許さない。幼い知能に基づく年相応の人間性なんて、二度と手に入らないところまで優子は来てしまった。


 例え生きて帰っても、優子はもう友人と同じものを見て同じように笑うなんて、当たり前の幸せは望めない。そんな人生は歩めない。


 子供らしく笑い、子供らしく怒り、子供らしく泣いて子供らしく悲しむ。優子の進化し過ぎた脳はそれらを捨ててしまった。


 地上に帰り、両親と妹に再会し、閉じた精神こころが癒され機械から人間に治っても、幸せな日常を取り戻したとしても、子供として過ごすべき時間だけはもう絶対に戻らない。


 友達と受ける授業で、友達が子供らしく唸りながら学んでいくなか、優子だけは瞬時に理解し、一人だけ先へ進める。


 小学校で流行るアニメを見ても、子供らしい感性でそれらを見れない。大人と同じ視点になってしまう。


 同じ齢の子供と遊んでも、身体能力と頭脳が邪魔をして同じ土俵で遊べない。


 優子の人生は明確に、この時点で既に、完全に壊れていた。壊れる未来が確定していた。


 しかし今の優子にはそれらも総て関係ない。


 目に付く化け物総てを殺し、確実に家族の元へ帰ること以外は何もかもが些事である。


 洞窟を越え、森を抜け、草原を過ぎ、荒野のただなか。


「………………?」


 殺した獣の革でめちゃくちゃに作った水筒から、探せば各階層で見付けられる人工的な噴水から得た水と化け物の血を混ぜた栄養剤赤い泥を飲んで一息ついた優子は、八層の荒野でそれを見付けた。


 荒野に出現する化け物、針の代わりに凶悪な槍を大量に生やしたヤマアラシを適度に燃やし、その背中からこの地獄で初めて得られそうな武器を毟り取ろうとした優子は、荒野に点在する岩の影にポツンと置かれた木箱を目にする。


「……………………?」


 それは、見る人が見れば「宝箱」にしか見えない木製の箱。


 優子はヤマアラシの背中から槍を毟るのを止め、少しばかり距離があった木箱へ近付いた。


 鞣してすらない革紐で背中に括りつけた、完全に腐り切ったナイトの亡骸を背負い直すように身動ぎして、自分がすっぽりと収まってもまだ余りある大きな宝箱の前に来た優子は、とりあえずソレを蹴飛ばした。


 ここに来るまで、あらゆる化け物が居た。


 その中には自然物へと擬態する狡猾な存在も居て、優子はその化け物からの不意打ちで五回ほど死にかけた。


 その記憶から、優子は宝箱が擬態ミミックじゃないかと考えて蹴飛ばしたのだ。


 しかし自分よりも大きな宝箱はビクともせず、そして化け物が擬態を解いて襲ってくる事もなかった。


 今の優子が有する身体能力から繰り出されるソレは、地上であれば乗用車を容易にひっくり返す程の力が込められた蹴りだったのだが、宝箱はなんの痛痒つうようもないとばかりに鎮座している。


「…………かえらなきゃ」


 まだ完全に安心した訳では無いが、優子の思考は復讐と帰還、生存が最優先である。


 そして人工物らしき箱を見て、中に何かが入っているなら、それは人が扱う物である可能性を考え、役に立つ道具なら復讐も帰還も効率が上がると思って箱を開けることにした。


 木製のそれを木目に爪を立てよじ登り、開閉部に手をかけ膂力に任せて宝箱を開く。


 すると、箱の中には巨大な斧が一つ、寂しげに置かれていた。


 それは戦斧と呼ばれる武器。


 それも史実で扱われたような物ではなく、アニメや漫画で見られるような常識外に重く長くデカい、大戦斧だった。


 優子にはそれが戦斧と呼ばれる物だなんて知識は無かったが、それでもその形が斧であり、斧は武器足り得ることくらいは理解出来た。


 階層を進ごとに化け物が強くなり、戦いが厳しくなって来た優子はその存在を歓迎し、宝箱の中に飛び降りてその武器を手にした。


 成人男性の身の丈ほどに長く大きい大戦斧は、その見た目に見合うだけの重量がしっかりと宿っている。


 だがレベルアップを果たした優子の膂力なら、楽々とは言わずともソレを問題なく持ててしまった。


「……いきなきゃ」


 ダンジョンで生まれた幼い獣が、やっと武器を手にした瞬間。


 優子は進む。優子は止まらない。


 目的を果たすまで。もはやそれ以外に、生きる目的が無いから。


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