第34話 アダマンティア
それは、ネクトーさんの憤りなのか。
それとも、邪神の怒りなのか。
憤怒を身体にみなぎらせて、魔神が前進する。
このすべての事態の元凶に向けて。
魔神が、一歩進み、その鋭い爪が生え、鱗におおわれた足を下ろすと、
バリバリバリ!
踏み下ろした地点から、異星の魔法陣が砕け散る。
バリバリバリ!
バリバリバリ!
バリバリバリ!
魔法陣を踏み砕きながら、魔神は聖堂の奥へと近づいていく。
ずるり
聖堂の奥で、闇が動いた。
黒い、兜のような形の巨体。
横一直線にならぶ、いくつもの赤い単眼。
たくさんの関節のある、何本もの脚をきしませ、ぞわっと立ちあがった。
「きゃああっ!」
それを目にして、開放された娘たちが恐怖の声をあげる。この化け物にさらわれた記憶がよみがえったのだろう。
「みんな、ぼくの後ろに!」
ぼくは女性たちを庇う。
女性たちは、這うようにしてぼくの後ろにまわった。
しかし、ぼくに何ができるのか。
聖堂の奥から姿を現した黒い化け物は、見上げるばかりに大きい。
垂れ下がった、たくさんの触角をグネグネとうねらせている。
化け物の前に、領主、魔道士、元修道士が立ち、魔神と対峙する。
降臨した魔神に、いちどは度肝をぬかれたようだが、気を取り直し
「偉大なる神の意思にはむかうのか、魔神よ」
領主が見下したように言う。
「邪神のしもべごとき、真の神の威光の前で、なにほどのものか……」
魔神は無言だ。
だが、燃え上がる怒りのように、その身体に稲妻がまといつく。
空気がぴりぴりと張り詰める。
ぼくの後ろでは女性たちがかたまって震えている。
ジェーニャは、ぼくの手にしがみついている。
グワワン!
突然、横から大きな音が響いた。
「うわっ、なんだ?!」
みると、聖堂の入り口の扉が、弾けるように開くところだった。
そこから、飛び込んできたのは、まだら模様の巨大な蜘蛛の身体。
蜘蛛の体からは、夜目にも白い女体が生えている。
アダマンティアさんだ。
その姿を見て
「ひいいっ!」
「また、化け物が!」
ぼくの後ろで生贄の女の子たちが悲鳴を上げる。
アダマンティアさんのことを知らなければ、それは無理もない。
「大丈夫だから! あの人は、アダマンティアさんは味方だから!」
ぼくは大声を上げて、みんなを落ち着かせる。
「そうなのですか? おそろしい姿ですが……」
と、声を震わせながらも、気丈に問うのは、姫様だ。
「はい、ぼくらを助けてくれます、とても強いひとです」
「でも、……あのかたは、ずいぶん」
不安げに、姫様が言う。
「ずいぶん、傷ついておられるご様子です」
指摘されて、ようやく気づく。
アダマンティアさんの身体は、赤と緑のまだらになっていた。
赤は、屠った敵の血かも知れないが、緑はアダマンティアさんのからだの傷から噴き出した体液だ。
彼女の人間の身体にも、蜘蛛の身体にも、ざっくり裂けたたくさんの傷があった。そして、脚も何本か欠けていた。
脚がもぎ取られた穴からは、白い神経のような筋が垂れ下がって、泥にまみれている。
「ああ、アダマンティアさん!」
ああ、なんてことだ。
聖堂をとりまく大勢の敵を相手に、アダマンティアさんは孤軍奮闘したのだ。
その結果が、この無残な傷だ。
でも、なぜ、アダマンティアさんの、アラクネの女王の、無限の再生力が、発揮されない?
本来、アダマンティアさんがこんなひどいありさまになるはずがないのだが?
何かおかしい。
ぼくは訝った。
アダマンティアさんは、自分がくぐりぬけてきた聖堂の扉に向けて
ビシュル! ビシュル! ビシュル!
蜘蛛の糸を放出した。
脚で糸を手繰り寄せると、叩きつけるように、勢いよく扉が閉じた。
今まさに進入しようとした敵の腕が、閉まる扉に挟まれて、ぼとり、ちぎれて落ちた。
篭手をつけた騎士の腕だった。
ビシュル! ビシュル! ビシュル!
アダマンティアさんはさらに糸を繰り出し、大きな聖堂の扉を完全におおって、外部から開けることのできないようにしてしまった。これ以上の侵入を防ぐためだ。ガンガンと扉を外から叩く音が続いているが、アラクネの糸に固定された扉は、びくともしない。
力尽きたかのように、アダマンティアさんは横倒しになった。
人間の身体が、仰向けになって床に着く。
両手が、ばたりと伸ばされた。
「アダマンティアさん!!」
ぼくは叫びながら駆け寄った。
「ああ……レブ」
アダマンティアさんは、ぼくをみとめ、苦痛をこらえる顔で答えた。
「アダマンティアさん、だっ、大丈夫なんですか?」
「なかなか、こいつらはやっかい――げふっ!」
口から、真っ赤な血と、緑色の体液がまじったものを吹き出した。
「あああ……」
「この館のものは、みんな、操られている。身体の中に、あの黒いやつの、小さな分身が入っていて……ぐうっ……げふうっ!」
苦しげに身体をくねらせ、その口元から鮮血と体液が、また、こぼれ出す。
「アダマンティアさん!」
「わたしの中にも、そいつが侵入——ギャアッ!」
「うわあっ!」
アダマンティアさんの、白い美しい胸が、べりっと裂けた!
裂けて、黄色い脂肪と、赤い筋肉と、肋骨が剥き出しに。
その裂け目の中に、これまでなんども見てきた、黒い小さな兜が見えた。
こいつか!
こいつがアダマンティアさんに!
ぼくは、腰に下げた父さんの短刀を掴むと、
「この野郎、よくもアダマンティアさんをっ!」
刃を、黒い兜に振り下ろす!
ずぐっ!
隕鉄の刃は、兜に食いこみ、そして兜は泥になった。
ブシャアッ!
泥は、アダマンティアさんの身体からはじき出されたように噴き出し、とびちった。
ぼくの顔にも撥ねがかかり、嫌な臭いの泥が、頬をだらりと流れた。
「あっ兄ちゃん」
ジェーニャが、自分の服のすそで優しくぬぐってくれる。
「ふうぅぅ……」
アダマンティアさんが、吐息をついた。
こんな状況なのに、なにかなまめかしい。
すると、みるみるうちに、アダマンティアさんの身体中の傷が再生していく。
アダマンティアさんの顔に微笑みが浮かび、
「レブ、ありがとう。助かったよ」
ぼくに礼を言った。
「身体の中に入りこまれてしまったので、さすがのわたしも、再生が追いつかなかった。あぶないところだったよ。でも」
傷口は、胸の大きな裂け目をはじめ、すべてがもうふさがっていた。
いつの間にか、欠けていた脚さえも生えて、すっと立ち上がる。
「もう大丈夫だよ。さあ」
アダマンティアさんは、傷の癒えた身体を軽々と動かし、ぼくたちを護る位置を占めた。
「ネクトー、こちらはもう心配しないでいいから。あとは任せたよ」
ネクトーさん/魔神に、そう呼びかける。
そして向こうでは——。
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