第26話 囚われたジェーニャ

 お兄ちゃん――。

 今ごろ、レブ兄ちゃんはどうしているだろうか。

 あたしがあの化け物に攫われた時。

 あたしは化け物の、気持ちの悪いグネグネした腕に掴まれて持ち上げられ、そこで気を失ってしまったんだけど、気を失う直前に、だれかが通りの向こうから、騎士の人たちに向かって叫びながら走ってきたのを見た気がする。

 あれはレブ兄ちゃんだったんじゃないんだろうか。

 きっと、帰りの遅いあたしを、心配して迎えに来てくれたんだね。

 レブ兄ちゃん。

 あたしは逃げられずに、攫われてきちゃったけど、兄ちゃんは無事だよね?

 あたしを連行しようとした騎士の人にひどい目に遭わされたり、まさかあの化け物に――。

 あたしは嫌な想像を振り払う。

 ううん、きっと兄ちゃんは大丈夫。

 ぜったいに、ぜったいに無事なはず。

 なんとかあの場から逃げて、そして。

 あたしを助けに来てくれるかな。

 でも――あたしには、それが無理な話だってのは、うすうす分かっていた。

 だって、ここは、エルガンの山腹に鎮座する、あの領主様の館だもの。

 レブ兄ちゃんに、どうやって、こんなところに捕まっているあたしを助けられるというの。

 館の敷地に入ることだって、そもそも無理だよ。

 それに、無茶なことをして、お兄ちゃんの身が危険に遭うくらいなら、助けになんかきてくれないほうがいい。

 もう、この世に、あたしの家族は、お兄ちゃんしかいないんだから。せめて、お兄ちゃんだけでも、生き延びてほしい。



 化け物に攫われたあと、あたしは気がついたら、寝台の上に寝かされていたんだ。

 飛び起きて、そして叫びそうになるあたしに、


「落ち着いて……落ち着いて。今は大丈夫だから。あなた、痛むところはない?」


 と、やさしく声がかかった。

 角灯の黄色い灯りにてらされたその声の主は、あたしより少し年上なくらいの女性だった。

 そして、あたしに声をかけてくれたその人のほかにも、大勢の者がいて、あたしを取り囲んでいた。みんな女性だった。

 あたしは身体をすこし動かしてみた。


「う、うん……大丈夫です。ここはいったい?」


 あたりをみまわした。

 広い部屋だ。

 寝台が規則正しく並べられていて、まるで宿舎のようだった。


「ここは領主の館よ」


 と、別の女性が言った。


「ええっ」


 険しいエルガンの峰の中腹に、シドスの町を睥睨して聳える、城塞のような領主様の館。


「わたしたちは、みんな、あなたのように、あの黒い怪物にさらわれてきたの」

「えっ、あなたたちも?」


 うなずく。


「あなたで、十四人目よ」

「そんな……」


 あたしは絶句した。

 なにがどうなっているのか。

 シドスの町で立て続けに起こった女性の誘拐。

 この人たちは、その犠牲者で。

 ここが領主様の館だと言うことは、そして、黒い怪物があたしをここに攫ってきたと言うことは、つまり、領主様とあの怪物はだということだ。

 もっとも、それは、あの騎士があたしを無理やり連れて行こうとしたときに、うすうす分かっていたことだけど。

 でも、どうしてそんなことに?

 領主様は、あたしたち平民にとっては確かに怖いお方だけど、そんなにわるい評判はなかった。どちらかというと、民のことを考えてくれる、憐れみ深い方といわれていたのだが。先日、不幸にも病で身罷られた、美しい奥方様とも、仲睦まじいと言われていて。

 そんな方が、どうしてあんな化け物と。


 「どういうことなの? なんのためにあたしたちを――」


 こんなふうに若い女の子をさらって集めて。

 慰み者にしようとしているのか。

 考えられない。

 それとも、奴隷としてどこかよその国に売られてしまうの?

 あたしは怯えた。

 あたしの考えを読んだように、目の前の女の子が言った。


「なにか、儀式があるらしい」

「儀式って?」

「よくわからないの。明るくなったら、あなたも窓からのぞけばみえるけど、パリャード様の聖堂が打ち壊されて、なにかよくわからないへんな建物を建てているところなのよ」


 パリャード様の聖堂を破壊こわしてしまった!

 そんなことが?

 そんな恐ろしいことをするなんて。

 あたしは、ひとつの可能性を思いついた。

 まさか。

 まさか、領主様は、あの口にすることもはばかられる、あの、


「あの……邪神のしもべになってしまったの?」


 あたしが言うと、


「ちがうと思います……」


 そんな答えが、女性たちの中から返ってきた。


「あれは、あの気配は、邪神とは違う気がします。もっと……もっと異質で、危ないなにかのような……」


 そう言った人は、自分の腕で身体を抱くようにして、震えた。

 あとで聞いたら、パリャード様に使えるため巫女の修行をされている方だった。そんな方までが、攫われてくるなんて。

 でも、邪神よりもっと、危ないなにか……。

 いったいそれは。


 そのとき、いきなりガラリと、部屋の扉が引き開けられた。

 びくりとして、あたしたちがいっせいに顔を向けると


「ひかえろ。領主様のおなりだ」


 無表情な騎士が、厳しい声で告げた。

 あたしたちは、あわててその場に膝をつき、頭をたれる。。

 直接見ることはできないが、領主様は、お付きの者をつれて、ずかずかと部屋に入ってきたようだ。

 静まった部屋に、ガッ、ガッと靴音が響く。

 あたしの前で止まった!

 だれも、何も言わない。

 領主様の視線が、あたしを吟味するように貫くのが、うつむいているあたしにも雰囲気で分かる。


「……この、娘だな」

「はい、お館様」

「これで揃うたか」

「御意。星辰の配置にかなう、十五人の穢れなき乙女が」

「滞りなく進めよ」

「はっ!」

「大事な生け贄だ。状態を損なうな」

「かしこまりました」


 きびすを返し、領主様は部屋を出て行こうとする。

 生け贄? 生け贄ってどういうこと?

 あたしは、その後ろ姿に、無謀にも叫んだ。


「領主様! いったいこれは——」


 去ろうとした領主様の足が止まる。


「無礼者っ!」


 騎士が怒声を上げて、あたしに向かって突進する。


「待て」


 領主様が、騎士を鋭く制した。


「状態を損なうなと申したぞ」


 そして、立ちすくむあたしに、静かな声で、言った。


「まもなく、新たな神が、この地に降臨する」


 片手をあげて、部屋の天井を、いや、さらにその上を指さし


「星辰の彼方から——。お前たちの生命の火花が、そのために必要だ。光栄なことだな、娘たちよ」


 扉が閉まったあと(去り際に、騎士がもの凄い目つきであたしを睨んでいたが)も、あたしたちは黙っていた。

 たいへんなことを領主様は告げていった。

 暗く、重いものがあたしたちの心を押しつぶしそうだった。

 生け贄——新たな神——星辰の彼方から——生命の火花——。

 あたしは、ふと気がついた。


「あれ? 十五人? 十四人ではなくて……?」


 そして、さらに恐ろしいことを教えられたのだ。


「もう一人、いるの。別のところに閉じ込められている方が」

「えっ、それは」

「ナジェージダ姫。領主の娘様よ」


 あたしは愕然とした。

 領主様は、自分の娘さえも、神を呼ぶために、生け贄に捧げようとしているのだ。

 その狂気ともいえる意志。

 だれにも止められない。

 ああ! お兄ちゃん、助けて!

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