第25話 領主の娘

 わたしは恐ろしい。 

 お父様は、おかしくなってしまわれた。

 ほんとうにあれが、わたしの敬愛するお父様なのだろうか。

 わたし今、自室に幽閉され、一歩も外にでられない。

 中庭に面したこの部屋の窓からは、本来なら、パリャード様の聖堂の、その厳かな佇まいが見えていたはず。

 聖堂の白いドームは美しい曲線を描き、その頂点には、善神パリャード様の徴が輝いていた。

 しかし、もはや、その姿はない。

 聖堂は無残に打ち砕かれた。

 屋根の上に輝いていた、神聖なるパリャード様の徴は、今、瓦礫とともに、中庭の片隅にうち捨てられている。


 このシドスの領主であるお父様があんなことになってしまったのは、すべて、あの……黒い化け物のせいだ。

 ある夜、空を横切っていったあの妖星。

 妖星は、音もなく、エルガンの峰の向こうに消えていったという。

 これは、なにか良くないことの起こる前ぶれではないか?

 そんな重苦しい予感が、わたしの胸に広がった。

 ほどなく、パリャード様の修道院から、知らせが届いた。

 峰を越えた荒れ地に、妖星と思われる落下物がある、と。

 お父様は、知らせを聞き、即座に調査隊を派遣した。屈強な騎士たちと、博識なお抱えの魔導師を送り出し、そのものを調べるように命じたのだ。


「万一、民に危険がおよぶような事があってはならないからな」


 お父様はわたしにそうおっしゃられた。

 わたしはそんなお父様の言葉に、この地を治める領主としての矜持と責任を感じて、誇らしかったのだ。

 やがて、調査隊が帰ってきた。全員ではない。魔導師もいない。

 いったいなにがあったのか。

 戻ってきた騎士は、魔導師からの手紙を携えていた。

 その手紙を読むお父様の顔は、とても厳しいものだった。

 お父様は騎士と長い時間話し込んでおられた。

 そして、新しい命令が下された。

 慌ただしく準備が進められ、騎士に率いられた大人数の一団が荒れ地に出発した。なにに使うのかわたしには分からない、大量の機材を馬車で運んでいった。


「お父様、これはいったい?」


 わたしが聞くと、お父様は


「うむ……」


 いいよどみ、そしてぽつりと言った。


「……重大な発見があったのだ」

「それは——?」

「ナジェージダ、お前は心配することはない」


 それっきり、お父様は口を閉ざしてしまわれた。


 そして、荒れ地から、それが運ばれてきた。

 わたしは、部屋の窓から、ことの顛末をみていた(もっとも、その時はまだ、こんなふうに閉じ込められたりはしていなかったのだけど)

 台車にのせられた巨大な檻。

 そして、その檻の中にうずくまる黒い異形のもの。

 あれはいったいなに?

 わたしがこれまでに見たことも聞いたこともない、その化け物は、なにかわたしたちとは隔絶した、異質の気配を放っている。

 とても危険な気がした。

 頑丈な檻の中に入れられてはいるが、そんなことで安心できるとは到底思えない、恐ろしいものをわたしは感じて、身体が震えるのを抑えられなかったのだ。

 檻は中庭に運び込まれた。

 中庭の一角にある馬場では、とたんに、つながれていた馬たちが狂乱状態になった。慌てた馬丁が駆けより、なだめるが、馬は泡をふき、後足で立ち上がり、まったく落ち着く様子はない。収拾がつかなくなりかけたそのとき


 ギシッ!


 なにかが、檻の中から放たれた。

 波紋のようなもの。

 わたしは、上から見ていたので、分かったのかもしれない。

 檻を中心に広がる透明な波のようななにか。

 それが、怯えて興奮する馬たちをのみこんだ。

 すると、馬たちは一瞬にして静かになり、そして膝を折った。

 その場にいた人たちはみな、なにが起こったかわからず、あっけにとられている。

 檻の前には、騎士団長と魔導師が並んで立ち、主を待つ。

 中庭に現れたお父様が、檻に歩み寄る。

 わたしはお父様を止めたかった。


 お父様、あれは危険です!

 それ以上近づいたらだめです!


 わたしの思いが通じたのか、お父様は、檻から少し離れたところで足を止めた。

 良かった。

 だが、わたしは我が目を疑うことになる。

 なんと、檻の前に立つ魔導師が、一礼をして、檻の扉を開けたのだ。


 ああ、なんてことを!

 なにを考えているの!


 モゾリ、とその黒い化け物が動いた。

 ゆるゆると進み、檻から姿を現す。

 黒光りする、騎士の兜のような形。

 その縁に並んで赤く光る、虫のような眼。

 甲羅の下から生えている、いくつもの節のある脚。

 その先には鋭い鉤爪。


 危ない!

 逃げて、お父様!


 わたしは叫ぼうとしたが、その言葉をのみこんだ。

 檻から出たその化け物が、お父様の前で、ぴたりと止まると、その足を折り曲げ、そしてあたかも拝跪するかの如く、兜のような身体を傾けたのだった。

 みなは息を呑んでいる。

 化け物は、後ずさりすると、檻の中に戻っていった。

 魔導師が声を張り上げて言った。


「空からきたこのものは、お館さまに仕えたいと申しております」


 人びとはどよめいた。

 そしてお父様は、ああ、なんてこと、魔導師の言葉に、深くうなずいてしまわれたのだ。



 それから、すべてが変わってしまった。

 ある日、ガンガンというけたたましい音に眼を覚まされたわたしは、何事だろうと窓から外をのぞき、そして愕然とした。

 神聖なるパリャード様の聖堂が!

 わたしの目の前で無惨にも破壊されようとしていた。

 男たちが土足で屋上に立って、躊躇なく槌をふるい、白く美しいドームを突き崩している。

 そんなばかな!

 なんという冒涜。

 しかし、だれも止めるものはない。

 わたしは、中庭にとびだして、叫んだ。


「あなたたちっ、なんてことをするの! やめなさいっ!」


 しかし、わたしに返ってきたのは、館のものたちの冷たいまなざしと


「お館様のご下命です」


 という言葉だった。

 その間も、休むことなく作業は続く。

 壁が打ち壊された。聖人たちの像は引き倒された。

 神聖なパリャード様の御徴が、屋根から引き抜かれ、無造作に地面に放り投げられた。

 わたしは、怒りに燃えて、お父様のところに駆け込んだ。


「お父様! これはどういうことですか! こんなことが——」


 お父様は、執務室で、なにかの図面を検討しておられたが、ゆっくりと視線をわたしに向けた。

 わたしはぞっとした。

 その目は、その表情は、もはや、わたしの知っているお父様の目ではなかった。


「パリャードは、この地には要らぬ。なぜなら、新しい神が降臨するからだ」

「新しい神? いったいなにを言っておられるのですか?」

「真に力のあるお方が、このシドスの地に——」


 そして、わたしが一度だって耳にしたことない、冷たい口調で


「それを妨げることは許されぬ。たとえ、領主の娘であろうと」


 わたしを射貫くような目つきで見ながら、近づいてくる。

 わたしは恐ろしさのあまり、声も出せなかった。

 ただ立ち尽くすだけだ。


「お館様」


 と、部屋の隅から声がかかった。

 いつの間に現れたのか、それともはじめからそこにいたのか。

 魔導師だった。


「その娘には、役割があります。いま、傷つけてはなりません」


 役割?

 役割とはいったい?


「……そうだ、そうだったな……」


 わたしが混乱しているうちに、召使いが呼ばれ、そしてわたしは自分の部屋から出ることを禁じられた。

 扉の外には厳重な見張りがつき、わたしには、窓から、変わっていく人びとと館を、ただ見ていることしかできなくなった。


「アリーナ、これはいったいどういうことなの……?」


 わたしは、部屋に食事を運んで来たお付きの女官に声をかけた。

 わたしが幼い頃からずっと世話をしてもらっている、本来陽気なその女官は、しかし、表情もかえず、無言で出て行った。

 彼女も、まるで別人のように変わってしまった!

 いったいなにが起きているの?

 

 破壊されたパリャード様の聖堂のあとに、異様な建築物が建ち始める。

 黒く、いびつで、見るものを不安にさせるようなその建物。

 不思議なことに、屋根がない。

 その建物の内部からは、さえぎられるものなく天空をみることができる。

 そして、建物の床に次第に刻まれていくのは、禍々しさをはなつ魔方陣——。

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