第17話 修道院長の手記(1)
このままでは、遠からずシドスは滅ぶだろう。
いや、危険はシドスだけにとどまらぬ。
今、私たちが直面しているのは、大いなる王国、さらには、この世界すべてが滅び去るやもしれぬ、未曾有の危機である。
(修道院長の手記はそう始まっていた)
あの
望楼で寝ずの
星は、ゆっくりと音もなく空を移動し、そして山並みの向こう側に消えていったのだという。
空より星が落ちることは、確かにまれではあるが、事実として存在する。
古くから今日に至るまでの、星が落ちる事象の詳細な記録が、王都の文書保管庫には残っている。
私は王都で修行に励んでいた若き頃、知的好奇心にかられ、それらの記録を読んでいた。
そのため、今回の報告を受けた私は、すぐに違和感を感じたのだ。
これまで何度も記録されてきた星が落ちる事象とは、一致しない事柄がいくつもあった。
一つには、星が空を移動していった速さである。
おそすぎる。
まるで、鳥が空を
これまでのすべての記録では、落ちる星はまるで石つぶてのように、あるいは、ぎりぎりと弓を引き絞り放たれた矢のように、一直線に空を進んだとされている。
それに比べて、今回の妖星の動きは、異常である。
また、一つには、音である。
修道士によれば、その間、星はまったく無音であったという。
そして、山を越えていったその後も、耳を澄ませていたが、けっきょくなんの音も聞こえてこなかった、そう修道士は証言した。たしかに、修道院の他の者たちも、なんの音も聞いてはいない。
これまでの記録の通りなら、それほどの大きさのものが天空より落ちたのであれば、かならずや、雷よりも激しい轟音や、
なにかがおかしい。この星は、記録にある、これまでのものとは違う。
そう考えた私は、報告を受けてすぐに、調査のため二名の修道士を送り出した。
知力と、胆力を兼ね備えた、優秀な者たちだ。
修道士は、私の指示に従い、オレガンの山を越え、星の落ちた方向へと向かっていった。
——見つけました。
やがて、戻ってきた修道士が、興奮した口調で言った。
——山の向こう側、荒れ野に、巨大な星が落ちています。
その色は、すでに冷えてしまったものでしょうか、夜の如く黒く、そして削り出された宝石のような多面体で、大きさは、十五メイグほどもあります。
いや、あれは落ちているというのでしょうか。
あんな大きなものが空から落ちてきたと言うには、荒れ野にはなんのくぼみもありません。
大地に衝突したような、跡がないのです。
まるで、巨人が、あの黒い星をそっとその場に置いて、立ち去ったかのようです。
私たちは、近づいて調べようとしたのですが——
修道士は口ごもった。
話してみなさい、と私は先をうながした。
——なにか、おかしいです、あれは。
と、修道士は、不安げに口を開いた。
——遠目にみると、星の回りの大地に、黒々と、模様のようなものができていました。
星を中心とした、大きな黒い同心円があり、星から放射状に何本もの筋がその円までのびて、そしてさらに、あたかも文字のような、うねうねとした曲線が描かれて。
あれはまるで——まるで、なにかの魔方陣のようでした。
私は、問いただした。
「魔方陣とな? お前たち、そこに、
いえ、と修道士は二人とも断言した。
我々の知る魔力は、そこからはいっさい感じられませんでした。
もちろん、口に出すこともはばかられるあの邪神の気配も。
ですから、あれは、星の熱で大地が焼け焦げ、偶然にあのようなかたちになったのか……。
「ふうむ、それで」
——さらに近づこうとして気がつきました。
黒い星の横に、石塊のように仰向けに倒れ伏したもの。
それは、なんと、マンティコアでした!
「マンティコアが……」
老人の上半身に、毒蠍の下半身をもつ魔獣マンティコア。
荒れ野を徘徊する、凶暴な魔獣だ。生命力が強くて簡単には息の根をとめることができず、そのうえ、鞭のように自在に動く尾の先に猛毒をもつ、始末に悪い怪物だ。荒れ野で隊商たちがおそわれ、護衛の冒険者たちの戦いもむなしく、全滅の憂き目にあうこともしばしばある。
——マンティコアは、仰向けに倒れ、たくさんの蠍の脚を、腹に丸めるようにしてピクリとも動きません。
そして、上半身は、まるで中身を吸い取られたかのように、しわくちゃの皮だけとなって荒野の風に吹かれていました。
死んでいるのです。
それが何匹も——。
おそらく、あの黒い星をみつけて、集まってきたのだと思われますが、みな抵抗のあとも見せずに、虫けらのように息絶えていました。
どのように、あの恐ろしいマンティコアの群れが命を落としたのかは分かりません。
しかし、あの黒い星と関係があるとしか思えません。
——これ以上近づくのは危険と判断しました。
そして、私たちは引き返してきたのです。
「うむ、良い判断だ。ご苦労」
私は、修道士をねぎらった。
だが、これは容易ならぬ事態だった。
私は、急ぎ報告をまとめ、シドスの領主に早馬を走らせた。
知らせは領主のもとに届き、日を置かず、領主直属の騎士団がやってきた。
領主お抱えの魔導師も一人連れていた。
彼らは、我々から説明を聞き、すぐに現地に向かった。
本来ならこの私も同行すべきであろうし、実際にその落ちてきた星をこの目で見たいという思いはあったが、ご存じの通り、私の足は、長年の厳しい修行により、もはや動かぬ。私は、この山上の修道院から自力では動くことはできない。この修道院で、命尽きるまで、パリャードの御神の信仰を深めるのが、私の心づもりだった。
それは強いられた不本意などではけしてない。神に召されるまで、この地で信仰の生活を静かにおくることができれば、信仰に生きてきた私にとって、これに勝ることはなかったのだ。
それがどうだ!
静かな信仰の毎日という私の願いは、もはや叶いそうにない。
ああ、パリャードの御神、これはあなたの試練なのですか。
いや、話を戻そう。
数日後、騎士団が戻ってきた。
全員ではない。魔導師もいない。
騎士団は、私たちの修道院をすどおりし、領主のもとに帰っていく。
どういうことになっているのか?
私は
やがて、領主の城から、再び騎士団が現れる。
今回現れたのは騎士団だけではなかった。
騎士団は、大勢の人夫と思われるものたちを引き連れ、馬車でさまざまな機材を運んでいた。
修道院の眼下を、山の向こうに急いでいった。
いったい、彼らはなにをするつもりなのだろうか?
やがて戻ってきた彼らをみて、その答えが判明した。
私は、天を仰いだ。
いったい、なんということをしてくれるのだ!
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