第9話 目的地は

「よし、お前と、お前にお願いしよう」


 ネクトーさんは、家の外にたたずんでいる馬から、先ほど自らネクトーさんに頭を擦りつけてきた馬と、もう一頭、これも親しげに近づいて来た馬の、二頭を選んだ。


「さっ、お前らは、もう帰っていいぞ。魔物にやられないように、気をつけてな」


 そういって、残りの馬たちの尻をポンと叩いた。

 馬たちは、一声いななくと、どこかに向かって、常歩なみあしで、ならんで去っていった。


「これでよし。頭のいい連中だからな、自力で帰るだろう。じゃ、こちらは……レブ、ここに来るんだ」


 一頭の馬の左側で、手綱を手にしながら、ぼくに手招きする。

 ぼくが近づくと、


「右手を、鞍の上に置け」

「はい」


 こうして横に立ってみると、馬の背はずいぶん高かった。


「よし、おれの手に左の膝をのせろ。持ち上げてやるからな、うまく鞍にまたがれよ」

「こ、こうですか?」

「いくぞ、ほら、いち、にの、さん!」

「ひゃっ!」


 ネクトーさんがぼくの膝を、ぐぃっと持ち上げて、その勢いで、ぼくはなんとか、鞍の上にのぼることができた。


「あっ、うわっ……」


 でも、どうも安定せずに、体がぐらぐら前後に揺れてしまう。


「ここを持つんだ。鐙に足を入れて……ん……まあ、初めはそんなもんだろう。でも、なるべく身体をまっすぐに立てろ。さあ、進むぞ」


 ネクトーさんは馬に乗らない。

 ぼくの乗った馬の手綱を引いて、歩き出す。

 ぼくたちの後ろを、もう一頭の馬がおとなしくついてくる。


「ネクトーさんは乗らないんですか」

「まあな、夜中だし、いきなり駆けていくのは無理だろ。最初から、夜のうちは歩くつもりだったんだ。お前を乗せたのは、どうせなら、少しでも、馬に乗る感覚をつかんでもらおうとおもってな」


 暗い中でも、ネクトーさんが、にこりと笑ったのがわかった。

 そうして、ぼくたちは、夜のシドスの町を、静かに出て行ったのだ。




 それからぼくたちは、何日かかけて、人気のない荒れ野を進んでいった。

 ぼくは、騎士たちの身に起きたことが、領主様の館に伝わり、すぐに追っ手がかかるのではと気が気ではなかった。

 しかし、そんな気配は今のところみられず、ネクトーさんはぼくに乗馬術の手ほどきをしながら、(「ほら、このあたりをこすってやると、馬は喜ぶぞ、レブ」)ゆるゆると旅していく。


「ネクトーさん」


 ぼくは、ネクトーさんと並んで馬を進めながら、聞いた。


「ぼくら、どこに向かってるんでしょう」

「あ? そうか、言ってなかったか?」


 と、ネクトーさんが驚いた顔をした。


「すまんすまん、それは悪かったな」


 頭をかきながら、


「最終的には、たぶん、あそこだ」


 ネクトーさんが指さすその先には——エルガンの峰の中腹に、白く聳える石造りの壮麗な建物。言うまでもない。領主様の館だ。


「あそこに乗り込む」


 ネクトーさんは、まるで、その辺の旅籠はたごにでも行くような口調で、飄々と言った。


「そして、一暴れすることになるだろうよ」

「そんなこと……大丈夫なんでしょうか」


 ぼくは思わず、口に出して言ってしまった。

 ぼくは、これまでに一度だけ、領主様を目にしたことがあった。

 大勢の騎士や兵士、お付きの者を引き連れて、戦いを終えて戦地から館に戻るために、町を通過していくその姿を、遠くからちらりと垣間見ただけのことだ。

 そんな遠くからでも、領主様は権力と威厳に溢れて、恐ろしかった。

 ぼくなんかは、一生、そのそばに近づくことなんかありえないお方だと思ったものだ。

 その、領主様の館に、この二人で乗り込む。

 そして、一暴れ?

 この人は、なんてむちゃなことをいっているのだ。

 しかし、ぼくの家で、あの騎士たちを片づけてしまったネクトーさんの恐ろしいわざ(それがいったいなんなのかは、定かではないのだけれど)を思い出し、ひょっとしたらこの人には、邪神のしもべというこの人には、それができてしまうのかも知れない、とも思ったのだ。

 それに、ジェーニャ!

 ジェーニャをたすけるためには、なんだってしなければならないのだ。

 ネクトーさんが、このシドンの町を襲っている事態には、領主様も関係しているのでは、と言っていた。

 もしそうなら。

 もし、領主様の館に乗り込むことが、ジェーニャを救うことにつながるなら。

 ぼくは、なけなしの勇気を奮い立たせて、ネクトーさんに付いていかなくちゃならない。


「ん……レブ、今からそんなに緊張するな。それにな、あそこに乗り込む前に、行くところがあるんだよ」


 ぼくの表情をみていたネクトーさんが言う。


「?」

「火球だ。火球が落ちた場所を見たい」

「火球ですか……?」

「そうだ、お前さんが話してくれただろう。火球が、エルガンの峰を越えていった、と」

「それは、たしかにそう言いましたが」


 ぼくは、首をひねる。


「調べる必要があるんだ。そのために、これからエルガンの峰の裏に回る」


 ネクトーさんが、にやりと笑った。


「領主の館に暴れ込むのは、その後だな」



 野営の夜。

 たき火がぱちぱちと燃えている。

 火の上には、鉄の三脚からぶらさがった、黒い蓋のある大きな鍋がかけられている。どちらも、ネクトーさんが、背負った革袋から、取り出したものだ。


「さて、そろそろできたかな……腹が減ったよ。だろう、レブ」

「はい」


 たしかに、お腹はペコペコだ。

 ネクトーさんが、木の棒を使って、鍋の蓋をとると、とたんに、スパイスの食欲をそそる香りが、ぷうんとただよった。

 鍋の中では、たっぷりのエルガン鹿の肉、ダダ豆、ザマ葱、トナトが美味しそうに煮えていた。


「よおし、いい感じだ」

「ネクトーさん」

「ん?」

「ずっと考えてたんですけど、どうして、ぼくら、こんなふうに、無防備に野営してられるんですか?」


 ぼくは、それが不思議だったのだ。

 夜の荒野は危険だ。

 肉食獣が、獲物を求めて徘徊する。

 ただの獣ではない、恐ろしい魔力を持った、魔獣までもが出没する。

 もちろん、人もまた危険だ。野盗も潜んでいる。

 だから、旅する者は、集団で移動する。

 力のないものは、護衛の冒険者を雇う。

 それでも、運のないものが命を落とすことは、しばしばだ。

 なのに、ぼくらは、ふたりきりで。

 そして、美味しそうな匂いをあたりに振りまき。

 これでは、襲ってくれといわんばかりではないか。

 じっさい、これまでも野営の夜に、暗闇の中、ぼくらの回りを動き回る、ミシリ、ミシリという足音や、低いうなり声を、ぼくは何度か耳にしていた。


「ああ……」


 ネクトーさんは、木の椀に料理をよそいながら


「おれと一緒にいる限り、けして、魔物におそわれることはないよ。ほら、レブ」


 ぼくに、椀を渡し


の加護だな。獣も、魔獣も、分かるんだな、けしておれを襲わない。まあ、おれにちょっかいをかけてくるものといえば、何も知らない、バカな人間くらいなもんだ」

「そうなんですか……」


 しかし、バカな人間くらいというが、武器をもった野盗団に襲ってこられたら大事おおごとで、獣よりよっぽど危ないと思うのだが、ネクトーさんには緊張の欠片もないのだった。


「さあ、たらふく喰おうぜ」


 ネクトーさんは、自分の椀に匙をつっこみ、スープを掬った。


「おれはな、いつも無性に腹が減るんだ。これも、あいつのしもべになってるせいかな……おっ、うまっ! うーん、今日もうまく煮えたなあ、これは我ながら良い出来だ」


 たしかに、美味しいのだ。

 口の中に広がる、肉のうまみ、野菜の甘さ、スパイスの辛み。

 ぼくたちは、無言でがつがつと食べた。

 料理を堪能している、そのとき、


「あらまあ、ずいぶん、うまそうなものを食べてるじゃないかね、ネクトー」


 たき火の明かりが届かない暗がりから、そんな声がかかったのだ。

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