第3話 1週間前
(もしかしたら、事故にでも遭ったかのだろうか。どこかに入院しているとか)
週末。
着古したスウェット姿で、僕は目の前のスマホと睨み合っていた。
***************
「やだ、みっちゃん。可愛い~!」
初めて僕のスウェット姿を見たエリカが、そんな事を言ってはしゃいでいたのを、ふと思い出す。
職場ではスーツ姿、休日でも割とカッチリした僕の姿しか見ていなかったから、スウェット姿が新鮮だったのだとか。
・・・・もちろん、嫌な気は全然しなかったけど、エリカの感性が僕には良く分からない。
こんな着古したスウェットの、一体どこが『可愛い』のだろう?
ただ。
トランクスにはダメだしを食らった。
「もっと可愛いのがいいな。これじゃ、つまんない」
男の下着に一体なにを求めているのか。
手頃な値段で履き心地が良ければそれでいいと思っていた僕のトランクスは、今や、エリカがいつの間にか買い揃えた、キャラクターもののカラフルで可愛らしいトランクスばかりになっている。
今履いているものだって、そうだ。
最初は少し照れくさかったけれど、今じゃすっかり慣れたもの。
だいたい。
僕のトランクス姿を見るのなんて、エリカくらいなものだし。
こんなもので彼女が喜んでくれるのならば、お安い御用というものだ。
「ほら、可愛い~♪」
僕のトランクス姿を見る度に、エリカは目を細めて嬉しそうに笑っていた。
なんなら、トランクスごと僕の腰を毎度抱きしめてくるものだから、そのたびに、せっかく履いたトランクスをまたすぐに脱ぐ羽目になったりもして。
「も~、みっちゃんの、エッチ☆」
まんざらでもないような小悪魔的な笑みを浮かべ、エリカも僕の愛撫に身を委ねるものだから、何度ふたりで会社に遅刻をしそうになっただろうか。
***************
スマホとの睨めっこを続けながら、
(最近エリカと連絡取ってる?とか。聞くくらいなら、いいだろうか?)
なんて事も考えたが、じゃあ、エリカと連絡を取っていそうな人は誰かと言えば、さっぱり思い浮かばない。
・・・・いや。
思い浮かぶ人なら、何人もいる。
だが、全員男だ。
男に聞くのは、絶対に、嫌だ。
だって。
「ああ、この間会ったぞ?」
なんて言われた日にはきっと、僕はもう、立ち直れないだろうから。
とは言え、このままだと気になって仕方が無い。
仕事も手につかないし、寝ても覚めても頭の中がエリカの事でいっぱいだ。
明日、会社でエリカとよく話をしていた女子を2人くらい、飲みに誘ってそれとなく話を聞いてみるか。
僕がエリカと一緒に観た同じ映画を観たって女子が、確かいたはずだし。
最初は映画の話題から入るのも、会話が弾んでいいかもしれない。
***************
「ねぇ、みっちゃん」
「ん?なに?」
「みっちゃんは、私のどこが好き?」
一緒に映画を観た帰りに寄った喫茶店で。
エリカは突然、そんなことを僕に聞いてきた。
観た映画がラブストーリーで、お互いにお互いの好きな所を言い合うシーンがあったからだろうか。
ちょうどアイスコーヒーを口に含んだ瞬間で、驚いた拍子に気管のおかしなところにコーヒーが入り込み、僕は答える代わりに激しく咽てしまった。
「ぐっ・・・・ごほっ、げほっ」
「大丈夫?!」
テーブルを挟んで向かい側に座っていたエリカが、慌てて僕の隣の席に移動してきて、優しく背中を撫でてくれる。
その手の温もりが。
エリカから仄かに漂ってくる優しい香りが。
なんとも心地良い。
「うっ、うん。もう、大丈夫。ありがとう」
「ほんとに?」
「うん、ほんとほんと」
僕の言葉に、元の席に戻ろうとするエリカの手をそっと握って、引きとめる。
「・・・・みっちゃん?」
「そういうとこかな」
「え?」
「すごく、優しいところ。誰に対しても。・・・・僕なんかにも」
エリカが僕をじっと見つめる。
潤んでいるようにも見える黒目がちの真っ直ぐな目に見つめられて何とも気恥ずかしく、僕はエリカの目から逃れる様に少しだけ横を向いて、先を続けた。
「明るくて、ポジティブなところも好きだよ」
「・・・・それだけ?」
言いながら、エリカは僕が握っている手を、自分の胸元へと運ぶ-僕の手が、エリカの柔らかな膨らみに触れる。
「参ったな」
その手を引くこともできた。
何と言ったって、今僕らがいるこの場所は、喫茶店。
他の人の目もある。
だけど。
僕の手は、布越しではなく、エリカ自身に触れる事を強く求めてやまなかった。
「何が、参ったの?」
分かっているクセに、エリカは悪戯っ子のような笑みを浮かべて、僕の手を更に強く押し付ける様に胸に抱く。
こうなるともう、我慢なんて、できやしない。
なんせ僕は、身も心もエリカにメロメロな、28歳のそれなりに性欲旺盛な男なのだから。
空いた片手でアイスコーヒーを飲み干すと、僕は言った。
「今日は、帰さないよ?」
「・・・・うん」
小さく頷き、エリカは唇をペロリと舐める。
その仕草に。
僕はごく近い未来の僕らの姿を思い浮かべ、頭がクラクラしそうな程の幸福感に包まれた。
***************
もう1年近く付き合っているというのに、僕はエリカの家を知らない。
散らかっているから、模様替えの途中だから、などと、エリカはなんのかんのと理由を付けては、僕がエリカの家へ行くことを拒んだ。
こんなことになるなら、多少強引にでも、一度くらいは家へ行っておけばよかったと、今さらながらに後悔の念に苛まれる。
「頼む、出てくれ」
祈るような思いでかけた電話にも、やはり応答は無かった。
お願いだ、エリカ。
まずは無事でいて欲しい。
無事なら、せめて連絡が欲しい。
そして、もし。
もし仮に。
そんなことは無いとは思うけど。
他の誰かと共に夜を過ごしているのなら。
全部なかったことにして、やり直すのもやぶさかではないから。
そこまで思って僕は思考を止めた。
悲しい未来を思い描いて、涙が出そうになってしまったから。
絶体絶命の、僕の恋に。
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