天狼旅館殺人事件
シヅカ
『創作は非現実的だから成り立つものである。(前編)』
探偵の
穂麦への依頼は途絶えたことがない。それは彼が『昔、相当なやり手だった』との噂が遠方まで行き届いているからだ。
しかし探偵と言っても解決するのは推理小説のような奇抜な事件ではなく、日常に存在する身近な悩みだが危険な目にしばしば遭遇する。主な原因は穂麦だ。
迷い猫を見つけて駆け足で近付いたが故に驚かれて逃げられたり、浮気調査で対象者を尾行していた際に頬張っていたあんぱんを落として悲鳴を上げたので危うく見付かりそうになった。
そんな彼を和戸は尊敬している。和戸が穂麦に出会ったのは学生の頃である。祖父の葬式で親戚同士が揉めている時に穂麦が祖父に託された遺書を持って現れた。
最初は詐欺師と疑った和戸だが祖父の死の真相を究明してくれた穂麦の誠意に心を打たれ、卒業と同時に家を飛び出して無理を言って助手にして貰い現在に至る。
「弟子とか興味ないけど、助手だったら良いよ。」
その一言から始まった穂麦との探偵業は他県に足を伸ばすまで幅広くなりつつあった。
此度は依頼者から待ち合わせ場所として『天狼旅館』を指定された。到着して早々、二人は口論を繰り広げる男女に遭遇した。
最初に気付いたのは男性だった。穂麦と和戸を見るや否や女性に対して捨て台詞を盛大に吐いて無理矢理切り上げると自分の部屋に戻って行った。
女性は深く溜め息を吐いてから周囲に深々と頭を下げてから男性とは別の方向に立ち去った。
それから数時間後、事件が起きた。女性と口論していた男性、
従業員の証言によると夕食の準備で部屋を訪ねた際、顔面蒼白の黒巣が床に倒れていたと言う。
急いで処置を施そうとしたが黒巣は既に帰らぬ人となっていた。遺体の近くには部屋に備え付けられたグラスが転がっていたとのこと。横たわるグラスを中心に小さな水溜りが出来ていたそうだ。
黒巣が従業員に発見されるまでの間は部屋からは一歩も出ていない。手にしていたと思われるグラスから推測すると毒物を服用して自決したように見える。
(だがこれは紛れもない殺人事件だ。)
では誰がどうやって黒巣を死に追いやったのか。その場合、疑うべきは彼女なのか?
「私を疑うのですか?いいでしょう、どうぞ隅々まで疑ってください。」
「そういえば少し前、彼と何か面識があるような口振りでしたね。」
「夫でしたわ。」
もう数年前に離婚しましたけどね、と森亜亭は穂麦に語る。
「先の口論をご覧になられたでしょ?とっくに冷めてましたし、一緒に生活していた頃なんてあまり顔を合わせてません。それでも疑うのは仕方ないことです。それなら、」
他の方々に話を聞いては如何です?と提案する森亜亭に穂麦と和戸は長考した末に事件発生前までの彼女の動向を調査し始めた。
【証言者一人目:天狼旅館の従業員A】
「森亜亭様ですか?彼女は定期的に当旅館をご利用になられてます。」
「何故分かるのですか?」
「特徴的で珍しい名字のお客様ですもの。ご予約されたお客様のリストを一目すれば直ぐに分かります。なんでも療養で宿泊にいらっしゃるとか?」
【証言者二人目:天狼旅館の従業員B】
「森亜亭様があんなに声を上げるのは初めてで吃驚しました。普段は物静かで落ち着いた口調の御方ですから。」
「彼女をよくご存じですね?」
「宿泊でいらっしゃる度、話し掛けてくださるのです。と言いましても一言二言ですけど。あの優しい森亜亭様が気に病むくらいですから元旦那様は罰が当たったと思います。」
【証言者三人目&四人目:森亜亭に同行していた友人二人】
「彼女は学生時代からの友人よ。何年か前に体調を崩して療養で此処に来てるのは知ってるわ。今日は誘われて一緒に来たの。」
「彼女と会う機会はどのくらいですか?」
「そうねぇ、月に一回は食事してるわ。あ、この人も潤子の友人よ。」
「どうも。」
「彼女の夫だった黒巣さんについて何か知ってますか?」
「旦那さんや義理のお母さんに振り回されて苦労していたくらいですね。こちらが心配になるくらい愚痴を零さなかったし。」
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