ダウナーな八雲さんは今日も気怠そうにデレてくる

そらどり

ダウナーな八雲さんは今日も気怠そうにデレてくる

由井ゆい、ちょっといいか?」


授業後の教室内。後方の席で教科書を片付けていると、俺―――由井晃輝ゆいこうきを呼ぶ声が。担任の先生だ。

何かわるいことしたっけ? と思いつつ廊下に向かうと、先生からある一枚の用紙を差し出される。


「再提出用の用紙をあいつに渡してほしいんだが」

「あいつ?」


誰だろうかと一瞬迷ったが、先生が視線を向ける先を見れば納得する。なるほど、あいつか。

授業が終わっても一向に目を覚まさず、ガヤガヤとした教室内でも眠り続ける彼女。

人呼んで“眠り姫”。その異名は伊達ではない。


「えーでも俺に押し付けなくても……他の人にやってもらえばいいじゃん」

「あいつと席が隣なんだから別にいいだろうが。あとはまあ……」

「?」


何故か途中でセリフを濁す先生。

一度躊躇う素振りを見せるものの、周囲を見渡した後に小さな声で、


「……お前ら付き合ってるんだろ? 職員室でも噂になってるぞ?」


そう尋ねてきた。それも恥ずかしそうに。

結構な年してるのに案外ウブだったんだな、この先生……


「? ひょっとして違ったか?」

「え? ああ、合ってます合ってます。じゃあこれ渡しとくんで、体育の内申に加算しといてくださいね」


半ば無理矢理だがやり取りを終わらせると、俺は用紙を受け取ってその場を去る。

「する訳ないだろ」という先生の言葉が背中越しに聞こえてくるが気にしない。

自席まで戻ると、次いで俺は隣の机でうつ伏せになって寝ている彼女の前に立った。


「…………」


依然として熟睡している彼女。

その横顔はとても安らかそうで、寝音を立てている姿はとても愛くるしいとさえ感じられた。

というか今日一日中寝てた気がするんだが、いつまで寝ているつもりなんだろうか?


八雲やくもさん、起きて」


取り敢えず呼びかけるものの、一切反応がない。

肩を揺すってみれども相変わらず。どうしたものかと悩んでいたところ、突然彼女が声を漏らす。


「ん……」


かき消されるかの如く小さき声。

もしや起きたのではと喜んだがそれも一瞬だけ。ボールペンを持った手先が僅かに移動すると、彼女は再び寝息を立ててしまう。

どうやら寝返りの一瞬だったようだ。ったく、期待させやがって……


「?」


しかし何だろうか。机の上に広げられたノートに何やら赤文字で色濃く強調された単語が。

ボールペンの先が丁度その単語を指しており、まるでここを読めとでも言いたげな……


「……おい、もう起きてるだろ」

「うーん、うーん」

「こ、こいつ……!」


明らかに起きていやがる。しかも、指示通りにするまでこのまま寝たフリを決め込むつもりだ。


「あいつ八雲さんとイチャイチャしてるぞ。いいなー」

「付き合って一ヶ月だろ? なのにもうラブラブとか……羨ましい」


さらに背中からは、教室に残っていた複数人の生徒の視線が刺さってくる。

羨望の目やら嫉妬の目やら、様々な感情がひしひしと伝わってきた。

 

「……くっ、分かったよ」

 

遂に悟った俺は、隣の自席から椅子を持ってきて、相変わらず机に伏せている彼女と並んで座る。

そして彼女の横髪を指ですくい、露わになった耳元にこう囁く―――


「―――小夜さや、おはよう」

「……ぷっ」


だが思わず笑ってしまう彼女。

プルプルと小刻みに震えて堪えるものの、耐えきれずに笑いが漏れていた。

ちくしょう、これなら指示に従わなければよかった……!


けど一応の効果はあったらしい。彼女はゆっくりと顔を上げて、そのまま一度頬杖をつく。 

次いであくびをしながらも腕を使って身体全体を伸ばし始め、だらしなく外していた制服のボタンや胸元のリボンを正し、そして―――


「―――おはよ、晃輝くん」


八雲小夜やくもさよは今日も気怠そうに微笑むのだった。


「うわ、今の顔超可愛い」

「超激レアだぞ……あー何で写真撮ってなかったんだよ俺」


その様子を遠巻きに見ていた生徒が激しく興奮しているが、殊更珍しくはない。

彼女の凄まじき人気の高さを考慮すればむしろ普通。当たり前の光景だ。


そう、彼女は校内の有名人なのである。

いつもやる気なさそうに授業を受け、気がつけば机に突っ伏して夢の世界へ旅しているような、謂わばダウナー系という人種。

長くきめ細やかな黒髪を覗かせる姿も相まって、皆から密かに“眠り姫”と称されているような女子であるが、彼女の魅力はそれだけではない。

透き通った色白な肌に加え、整った容姿、そして気怠げな彼女が極稀に見せる微笑み等々。

可愛さの集合体ともいえる八雲さんに心を奪われてしまうのは、最早必然なのだ。

まあ、だからその分皆に憎まれ口を叩かれる訳ですよ……分かっていたがやっぱりツラい。


「ねえ、晃輝くん」

「へ?」


あ、やべ。意識が逸れていたせいで変な声で返事をしてしまった。あーやっちまった、めっちゃ恥ずかしい……

しかしそんな俺を気にする素振りはなく、八雲さんはジっとこちらを覗き込んでくる。

頬杖をついたまま、顔を少し傾けて、わざとらしく上目遣いを向けてくると、


「……私ね、まだ眠いの」


何か変なことを言ってきた。いやほんとに何なの。


「早く帰りたいけどこのままじゃ眠くて一緒に帰れないし、ちょっと困っちゃうよね」

「そう、だね?」

「でね? 最近テレビで見て知ったんだけど、眠くなる理由って心拍数が低いからなんだって」

「? そうなんだ?」

「そうなの、心拍数が低いからなんだって」

「なるほど……?」


え、何が言いたいんだこの人? 全く分からん。

何かの合図だろうか、やけに“心拍数”を強調してくるけど……うーん、やっぱ分からん。


「まだ分からないの?」

「ごめん、見当もつかない」

「はぁ、仕方ないなぁ」


ため息をつくや否、八雲さんはちょいちょいと手招きをしてくる。

促されるがままに耳を近づけると、彼女は不敵に微笑んで言った。


「キスしてよ」

「……は?」


あれ? 俺の聞き間違いだろうか。今“キス”って言われたような……


「キスよキス。聞こえなかった?」

「聞き間違いじゃなかったの!?」


周りに人がいるっていうのに、いきなりとんでもないことを言い出したぞこの人。

でも八雲さんは眠たげに目を薄め、それでも笑みは絶やさない。

多分だが俺を誘っている。確信はないがそう思わせるだけの魅惑さを醸し出していた。


「ほら、早くしないとまた寝ちゃうわよ?」

「そこまでしなくても……さっきの名前呼びでもう十分だろ」

「えーでもさ、このままだと納得してくれないんじゃない?」

「納得……」


催促するように脅迫じみたセリフを述べる八雲さん。

狼狽えている俺を覗き込みながら、視線をどこかへと向けていた。

集まる視線を考慮すれば確かに必要な行為かもしれない。けど―――


「キスはちょっと……俺には無理です」


俺はヘタレてしまった。だって純粋だもの、ならば仕方ない。

というか手を繋いだことすら、いやそもそも八雲さんに触れた事すらないのに色々と過程をすっ飛ばしていきなりキスをするのはどうかと思うんだけどなぁ!? 


「何だ、残念」


そう言うと、八雲さんは気怠そうに残念がる。思っていたよりもすんなりと諦めてくれたのはちょっと意外だった。

でもそれって、初めから俺が了承しないと思っていたからなんじゃ……? それはそれで何か、男として見られていない気がして嫌だな。


「……じゃあ、はい」

「?」


と俺がひとり思索に耽っていると、八雲さんは右手を差し出してきた。


「え、何?」

「だからほら、手だよ手。これで我慢してあげるから」

「手……?」

「もう、鈍いわね……恋人繋ぎで我慢してあげるって言ってんの」

「? あ、ああなるほど……!」

「気づくのが遅い……全く、これだから面倒くさい」


そう言うと、八雲さんは見るからに不機嫌になる。すぐに「ごめん」と謝るが返事もしてくれなった。

頬杖をついてそっぽを向く彼女。

しかし気づけば右手差し出されたまま、手のひらをこちらに見せ続けている。

だから俺は自らの左手を差し出した。彼女を怒らせてしまった手前、初めての手繋ぎに緊張する素振りを見せないよう取り繕って。


「ど、どうかな?」

「……ま、許してあげる」


その返事と共に八雲さんに強く握り返される。

指と指の間に滑り込み、絡まり合う指先。ただ手を繋いでいるだけなのに妙に生々しくて、彼女とまともに目を合わせられない。

手汗が出ていないか心配になるくらい内側から恥ずかしさがこみ上げてくる。

でも、この瞬間はとても心地良く感じられた。


「うわ、恋人繋ぎしてやがる……! 最早俺達なんて眼中にないってことかよ!?」

「くっそぉ、俺も八雲さんと付き合えてたら今頃は……」


そんな野次が聞こえてくるが、俺には全く気にならなかった。

付き合い始めて一か月。ともなれば毎日のように続く野次にも流石に慣れてしまう。

しかしそれでも、不意に流れてきた言葉を耳にした瞬間、俺は眉をピクつかせた。


「でもさ、実際何で由井と付き合い始めたんだろ? 八雲さんって転校して来てからずっと引く手数多だったのによ」

「確かに。毎日のペースで告白されてたって噂もあるくらいだしな」


遠回しに伝わってくる、八雲さんと俺が不釣り合いだというメッセージ。

でも当然の疑問だと思う。というか実際そうだから。


だって俺達はそもそも付き合ってなどいない。

ただ、恋人のふりをしているだけなのだから―――







「はい、私の奢り」

「ありがと」


学校の帰り道。帰路にある公園のベンチに座っていた俺は、こちらに戻ってきた八雲さんから缶コーヒーを手渡される。苦いのは苦手だが、奢ってもらった手前文句は言えない。


「今日もありがとね、恋人のふりしてもらって」

「いや、それはいいんだけどさ。ただ……」

「?」

「……いや、やっぱ何でもない」


先程の生徒らの会話を聞いてしまったせいだろうか、一カ月前の出来事が思い出される。

二年生に進級したばかりの頃にこの学校に転校してきた八雲さん。

類稀なる美貌を持ち、気怠そうな雰囲気が漂わせる無防備さ、それらが相まって彼女は一躍人気者に持ち上げられたのだが。

しかし彼女はそれを良く思わなかったようで、迫りくる告白の連鎖を断ち切るために、偶然隣の席にいた俺に白羽の矢が立ったのだと後々言っていた。


確かに辻褄は会う。毎日のようにされる告白から逃れるために俺という避雷針を置いたのも納得はできる。

けど都合のいい奴に思われてる気がして何か嫌だなぁ……。まあ了承しちゃった以上は今更どうこう言う気はないけど。

だって好きになっちゃったんだもん。八雲さんに惚れちゃったんだもん。

転校して来た八雲さんが偶然隣の席になって、頬杖をついて気怠そうにしている無防備な横顔を毎日見せられて惹かれないはずがないだろうに。

これが惚れた弱みってやつか。全く、俺ってやつは本当にチョロい……


「あーあ、今日もダルかったぁー」


と俺が脳内で独り言ちしていると、不意に八雲さんがひとり文句を垂れ始める。

飲んでいた缶ジュースを傍らに置き、両腕を伸ばして脱力していた。


「恋人のふりするのも結構大変ねー」

「それにしてはやり過ぎだったように思えるけど……特にキスって言い出した時とか」

「日頃の安寧を守るためだもの、私だってちょっとくらい大袈裟にアピールするわよ」


そこまで言い終えると、八雲さんはゆっくりとこちらに倒れ込み、そのまま俺の肩にもたれかかる。

予想外のことに思わず声が出てしまいそうになるが何とか踏みとどまり、俺は冷静さを保ちつつ言った。


「おい、もう恋人のふりはしなくて平気だろ?」

「そうかしら? 人通りが少ないとはいえ、この公園だって最寄り駅までの道と隣接してるから油断はできないわよ?」

「そ、それはそうだけど……」


確かに正論だけど、何か強引な気がする。

最近は特にそうだ。学校以外でも、八雲さんは隙さえあれば密着してくる。

けど、そこまでしないと恋人のふりってバレてしまうものなんだろうか?


「はぁ、モテるのって面倒ね……」

「何か嫌みに聞こえるんだけど、気のせい?」

「本心よ。だって毎日のように告白されたら誰だって億劫に感じるでしょう?」

「そんな非現実的シチュエーションを経験したことないのでちょっと分かんないです……」


ホントこの人って何者なんだろうか。明らかに俺とは釣り合ってないと思うんだが。

それこそ芸能関係者とか、キラキラな世界に住んでいるべき人種だと思ってしまうんだが。

しかし当の本人はそんな俺を気にせず、「眠い」と呟きながらあくびをしている。

俺はドキドキしっぱなしだというのに……本気で相手にされてないんだろうな。流石に堪える……


「てか寝るなら家に帰ってからにしろよ。ここだと風邪ひくぞ」

「ん……五分だけでいい、から」

「いやだから寝るなって……」


寝ないよう何度も揺さぶるものの、相変わらず八雲さんの睡眠力は凄まじく。

ものの数秒で早くも意識を朦朧とさせていた。


「五月でも夕方は冷えるんだぞ」

「大、丈夫、だから……」


忠告も虚しく、彼女は口だけの返事で済ませて眠りにつこうとしていた。

こうなってしまえば一度寝かせてあげないと不機嫌になってしまうし、かといってこのまま放置はできない。

取り敢えず風邪ひかないよう、俺は自身の制服のブレザーを羽織らせる。ドキドキしていたせいで、肌寒い気温でも熱く思えたので脱いで置いといたやつだ。

羽織るや否、「温かい……」と小さく呟く八雲さん。もう完全にウトウトしていて口が回っていなかった。


俺の肩にもたれかかり、俺の制服を布団代わりに羽織っている。この状況を傍から見れば、確かに俺達は恋人のように見える。

けど実際は恋人のふりをしているただの同級生で、たまたま席が隣同士なだけの接点しかなくて。


これはただの俺の一方的な片想いで、八雲さんは俺のことを男として見ていない。

ただ都合がよかったから、そんな理由で選ばれただけの人間が俺なのだから。


……だからこの初恋は大事にしまっておこう。今の関係を壊すくらいならその方がマシだ。

本来なら有り得もしなかった関係だ。このままの奇跡が続くなら、俺の気持ちなんて隠していた方が遥かにマシ―――




「……好き」


消え入りそうな程に小さい声。

けど俺の耳にはしっかりと入って来て、思わず「え?」と声を出してしまった。

そのせいで、朧気だった彼女は急に眼を見開き―――


「……え、夢、じゃない?」


途端に顔を赤くして動揺していた。


「や、八雲さん?」

「!? あ、違っ、今のは……っ!」


身体を起き上がらせて、ベンチから立ち上がってしまう八雲さん。

いつもの気怠そうな表情が一変、明らかに狼狽える彼女がそこにはいた。


「違うのよっ! ちょっと本音が、ってそうじゃなくって、えとその……っ!」

「八雲さん、今のってどういう……」

「~~~~~~っ! も、もう帰るっ!」


余裕な表情など忘れ、八雲さんは一目散に公園を去って行く。

制止する間もなく帰ってしまった彼女を目で追うことしかできなかった俺は、ただその場でポカンとしていた。


しかし時間が経ち、事態が呑み込めて来るほどに鮮明に思い出される先程の出来事。

“好き”という言葉。更にその後の慌てっぷり。意識しないようにしても意識せざるを得ない。

もし勘違いじゃないのなら、今まで恋人のふりと称して密着してきたり揶揄ったりしてきたことは全部……


「……くそ、今のはズルいだろ」


本当かどうかは分からない。もしかしたら俺の勘違いかもしれない。

でも既に認めてしまったのか、押さえつけていた感情が溢れたように身体中が熱くなる。


もうこれ以上初恋を隠せそうにないと、俺はそう自覚せざるを得なかった。







転校して来てからというもの、気がつけば私は毎日のように告白を受けていた。

サッカー部の部長さんとかテニス部のエースとか、はたまた生徒会長の秀才とか。断っても断っても押し寄せる告白の波に辟易していたのを覚えている。

でも私は恋愛になど興味はない。相手に合わせて生きるなんて面倒だと思ったから。

だからこれからも私は断り続ける。そう心に決めていた。


でも彼との出会いを機に、私の意志は少しずつ溶かされていった。

特別扱いなどしない、ひとりの同級生として純粋に理解を示してくれた彼の存在は、居心地の悪い学校での唯一の平穏となっていた。


初めはその居心地の良さに満足していただけだったのに、気がつけば自然と彼の姿を目で追ってしまい、胸の鼓動が鳴りやまない。

この気持ちはおそらく、私が初めて知った感情。これが初恋なんだと自覚するまでにそう時間はかからなかった。

この気持ちを伝えたい。好きって言いたい。私は何度もそう思った。

けど怖くてできない。好きでもない人から受ける告白の気まずさは、私が一番よく知っているつもりだったから。

付き合いたいけどこの関係を壊したくない、今の居心地の良いままでいたい。そんな我儘を貫きたくて私は、


―――恋人のふりをしてほしい。


気がつけば、そう言って彼の良心に訴えかけていた。


本当に卑怯な女だと自覚している。

今まで散々皆からの告白を断ってきたくせに、いざ自分が断られるかと思うと怖くて足が竦んでしまうのだから。

他の皆は凄いと思う。断られると分かっていても尚勇気を出して私に告白したんだもの。私には怖くてできない。

だから逃げてしまった。一カ月前も、そして今も。


彼は今頃どうしているだろうか、私の本音を知って辟易しているのだろうか。

……きっと辟易している。好きでもない異性から告白されるなんて、私からすれば面倒以外の何ものでもないのだから。

となればこの関係ももう終わり。恋人のふりも、居心地良い関係も、全部全部……


でも一回だけ願いが叶うなら、もう一度だけやり直したい。

もしあの時に逃げることなく彼と向き合ってたら、今の関係はもっと良いものになっていたかもしれない。そう思うと後悔が押し寄せてくる。


もう遅いと分かっている。やり直せないところまで来てしまったと理解している。

それでもやっぱり好きだから。好きって気持ちには逆らえないから。


晃輝くんと付き合いたい。恋人のふりじゃなくて、本当の恋人として―――




「―――八雲さんっ!!」


突然聞こえてきた私の名前を呼ぶ声。ビクッと肩が震えるものの、振り返って見ると、


「え、晃輝くん……?」

「よかった……間に、合った……!」


両ひざに手を置いて息を切らしている晃輝くんが目の前にいた。

何故ここにいるのかと驚いてしまったが、そんな疑問に答えるように、次第に息を整えた彼は肩に掛けていたカバンを差し出してきた。


「ほら、忘れ物。八雲さんカバン置いて行っちゃったから」

「あ、カバン……どうりで肩が軽いと思った」

「教科書全部入ってるんだから失くしたらマズいだろ?」

「う、うん、ありがと……」


礼を言ってカバンを受け取ると、彼は安心したような表情を浮かべる。

それを見た瞬間、自責の念に囚われていた先程までの私は既に姿を消し、心の奥底まで喜びで満ち溢れていく。

やはり私は晃輝くんが好きなのだと、真っ白になる頭で再認識していた。


「……八雲さん」


しかしそれも一瞬。途端に真面目な顔になった彼を認めると、私は思わず息を呑んでしまう。


「さっきの“好き”ってさ、どういう意味?」

「そ、それは……別に他意があった訳じゃなくって」

「はぐらかさないでよ。あれじゃ流石に誤魔化せないって」

「…………」


彼は気づいている。好きでもない人から告白されるなんて面倒でしかないのに、それでも私と向き合おうとしている。

なのに当の私はこの期に及んでまだ逃げようとしていて……本当に卑怯だ。


けど、もう二度と逃げなくないと思ったから、私は―――


「……そうよ。晃輝くんが好きなの」


精一杯の強がりで、本音を伝えた。


「じゃあやっぱり、恋人のふりって言うのは……」

「半分は本当。だけど……もう半分は単なる口実。今の関係を壊したくなかった、から……」

「……そっか」

「ごめんなさい、晃輝くんをそんな目で見てて……晃輝くんはただ私に協力してくれてただけだったのに」


もうまともに彼を見れない。裏切ってしまった罪悪感で一杯一杯だった。

でも全部本音だから。逃げずに向き合った結果だから。だから私は納得するしかない。

この後に待っている彼の本心に向き合わなければ、そう思いながら私は歯を食いしばって―――


「違うよ、八雲さん」

「え?」


しかし予想外のセリフ。

呆気にとられる私をよそに、彼は続ける。


「俺だって八雲さんをそんな目で見てた。だって初恋の相手だから」

「え、初恋……? えと、どういう……」

「だ、だから……俺も好きなんだよっ! 八雲さんが好きなんだ!」

「―――……っ!?」


あまりの衝撃に思わず息を忘れてしまう。

全身に広がっていく熱がいつまでも冷めず、沸騰したみたいに頭がボーっとしてしまう。

ヤバいかもしれない。こんなの絶対に夢だ。


「……晃輝くん、ちょっと頬つねって」

「は!? な、何で!?」

「いいから早く」


言われるがまま彼は頬をつねってくる。

すると容赦ない痛みが私を襲い、瞬く間に目から涙が出てきた。


「い、いしゃい……っ」

「大丈夫かよ。情緒不安定過ぎないか?」


頬を抑える私を心配する彼。私の指示とはいえ、こんな目に遭わせておいてよくもまあ他人事でいられるわね……

でもこれでようやく分かった。夢ではなく、私は本当に告白されたのだと。

それに、私と晃輝くんは両想いってことも―――


「……それでさ、俺達本当に付き合うってことでいいんだよな?」

「?」

「だから……恋人のふりじゃなくって本当の恋人ってことで、いいのかなって」


彼はそう言いながら恥ずかしそうに視線を逸らす。

初めて見る彼の照れ顔。その姿にドキッとするが、私だってきっと同じ顔をしているはずだから。

だから私は、火照りの冷めないままにこう告げる。


「―――うん、いいよ」


罪悪感のない、本心からの喜びを彼に伝えたのだった。

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ダウナーな八雲さんは今日も気怠そうにデレてくる そらどり @soradori

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