雑用係 首領に仕事を手伝わせる


 リーチャー首領。この組織のトップであり絶対者。


 腰まで届く長い青磁色の髪を靡かせ、濃い群青色のどこか軍服のような服を着こなし、本部内を颯爽と歩く様は威風堂々。


 その根本から格の違う邪因子を一度感じ取れば、それだけで周囲は自然と身も心も服従する。まさに人の上に立つ者。


 邪因子が常時活性化し続けているため肉体の老化もほぼストップし、その輝くばかりの美貌は二十代の全盛期のまま。


 戦場に立てばそれだけで味方の士気は上がり、相手の士気はダダ下がり。それでも立ち向かう勇者やヒーロー、或いはただの愚者を圧倒的な邪因子で蹂躙する様は、さしずめ魔王と言われても一向に違いない。


 そんなリーチャー首領が、玉座からこちらに妖艶な笑みを向ける。


「ふふっ。どうした? 雑用係よ。こちらへ来るが良い」

「はい。ただその前に、一つ言わせていただきたい」

「何だ? 言ってみるが良い」


 本来ならこうして申し立てるだけでも時と場合によっては不敬もの。特に俺みたいな下っ端は直接話しかけるのもあんまりよろしくない。


 だが、男には言わなきゃいけない時がある。



「首領様。…… 俺が来るって分かってるならちゃんと服を着てくださいっ!」

「ハッ! 年中無休でそんな堅苦しい格好をしていられるかっ! 私室でくらい楽な格好で何が悪い」



 玉座に脱いだ服を乱雑に引っ掛け、そう姿堂々と宣う首領に、俺は額を押さえてため息を吐いた。





 二人っきりで早朝の逢引きだとでも思ったか? 残念ながらそんな甘い話ではなく仕事である。


 リーチャー首領。間違いなく悪の大ボスであり絶対者だ。人前では常に自らを律し続け、目的に向けて邁進する完璧な王だ。


 だが私室ではこの通り。完璧な王の姿は消え、一気に自堕落が限界突破するのだから困る。要するにとんでもなくオンオフが激しいのだ。カリスマがカリチュマになるレベルである。


「それにこんなに邪因子を垂れ流しにして。首領様のは触れられるレベルなんですから、もう少し自分でも抑制してくださいよ」

「ふん。常に抑制し続けるのは疲れてかなわない。ここはワタシの部屋だぞ。誰に迷惑をかける訳でもないのだから好きにするさ」

「掃除する俺に迷惑が掛かってるから言ってるんですっ!」


 玉座に座ったまま手をひらひらとさせて言う首領に文句を返しながら、俺はとんでもなく密度の濃い邪因子を持参した小型吸引機(ミツバ作。通称邪因子バキューム)で吸い取っていく。


 周囲に靄の様に漂っていた邪因子はみるみる減っていき、それが覆い隠していた部屋の実体が明らかになる。それは、


「毎度の事ながら、酷い汚部屋ですね」

「何を言うか。この完璧に計算された配置が分からぬか?」


 玉座から降りた首領が、その均整の取れた肉体を惜しげもなく晒しながら近づいてくる。だからさっさと服を着てくださいっての。


 俺の責めるような視線に気づいたのか、首領はいつもの部屋着。ジャージの上下にもそもそと着替える。こんなの誰かに見られたら威厳なんか吹っ飛……いや、溢れ出る邪因子とカリスマがあるから勢いだけでも何とかなりそうだこの人。


「ではお聞きします。このくちゃくちゃになったベッドは?」

「決まっている。……とぅっ! こうやって如何にスムーズかつ自然に包まれるようにベッドにダイブするかという試行錯誤の結果だ」


 そう言って俺の目の前で実演してみせる首領。子供みたいな事しないでください。


「成程。じゃあそこのクローゼット……の前に放置されている服は?」

「あれは偶然だ。クローゼットに丁度入りきらなくなったから外に出しているだけだ」

「毎回適当に詰め込むからでしょうがっ!」


 見ると明らかに豪華な式典用の服まで混じっている。適当に放置したから皺になってるぞ。


「ではあそこの執務机は? やけに物が散らかっていますが」

「ふっ。見た目だけで判断するのはお前の悪い癖だぞ雑用係。あれはワタシが中央に座った状態で、どれも速やかに手が届くように置いてあるのだ」

「単に片付けるのが億劫になっただけでしょアレっ!? というか首領様なら物質化した邪因子を伸ばして普通に本部の端から端まで届きますよね? 面倒がらないでくださいっ! ……ってこれはっ!?」


 そこで俺は何気なく部屋の隅を見て唖然とする。そこにあるのは口の縛られたごみ袋。それはまだ良い。生活ごみくらい普通に出るだろう。だが、中にが詰まっているのは見過ごせない。


「……一月前にはこんな物なかった筈ですが?」

「まあ待て。話を聞け。これはだな……そう夜食だ! ワタシとて夜中に腹が減る事もある。だが夜中に食堂に行って職員を叩き起こす訳にもいかぬ。そんな時に手が伸びるのがそれなのだ。……特に最近は駄菓子という物にハマっていてな。味も種類も豊富でついつい手が止まらぬ事に」

「それでいっぱいになる程食い散らかしたと?」


 俺が静かに問い質すと、首領は何も言わず髪をファサっとかき上げて玉座に戻ろうとするので、


 ガシッ!


「……ほぉ? ワタシの肩を掴むとは、偉くなったものだなぁ? 雑用係よ」


 首領からチラリと垣間見える圧。勿論首領からすればそれは怒気でもなんでもない。ただ揶揄っているだけの事。実際言葉こそ怒っているように聞こえるが、その表情は少しだけ笑っている。


 まあそれでも感じられる圧はそこらの怪人の臨戦態勢のものより全然上なのだが。しかし、


。さあ首領様。時間もありませんので早速始めますよ」


 いつものように逃げ出そうとする首領の肩を掴んだまま、キャリーバッグを開けて中の物を取り出し手渡す。それは純白の三角巾とエプロン、そして埃を吸い込まない為のマスク。つまり、


「この汚部屋。公務までにきっちり綺麗にしますからね。当然首領様も手伝ってください」


 何のことは無い。ただのだ。





 月に一度、部屋の掃除をする。それは俺と首領の昔交わした約束であり、仕事の依頼だった。


 それまで私室に誰も入れず自分でこっそり片付けていたのだが、遂に片づけきれない限界を迎えたというのがきっかけだったな。


 先に言っておくが、もちろん俺も最初は断ろうとした。本職でもない俺よりも、清掃業者に頼んだ方が早いと。


 しかし困った事に、首領の邪因子はあまりにも強すぎた。それこそ邪因子に耐性の無い者では入った瞬間その身を蝕まれてしまう。


 逆に幹部や上級幹部と言った強い耐性持ちでは狂い果てる。云わば猫にマタタビの充満した部屋を掃除しろと言うようなものだ。すぐに気分が最高にハイになって使い物にならなくなる。


 なら邪因子をずっと抑制し続けろという話だが、私室でもそんな気を張り続けるのは御免だという首領の強い願いで却下。


 最終的にはの事が決め手となり、こうして必要最低限の者以外に知られぬようこっそり毎月ハウスクリーニングの真似事を行っている訳だ。


「良いですか? 服を脱ぐのはもう仕方ないにしても、せめて脱いだ服は畳むかハンガーに掛けてクローゼットに片付ける事。ベッドや机が散らかるのはまあ良いにしても、床にまで散らばるのはいくら何でも避ける事。あと夜食は抜き……というのは貴女の食欲的に無理なので、なるべく控えめにお願いします」

「むぅ。注文が多いぞ」

「これでも相当譲歩しているんですっ! ほらっ! 首領様はそっちの散らばった服を綺麗に畳んでまとめてください。あと布団もなるべく直して。俺はあちこちにこびりついた邪因子をこそぎ取りますから」


 そうして協力(首領はあまり役に立っていなかったが)して部屋を片付ける事一時間。


「ふぅ。良し。ひとまずここまでとしましょうか」


 どうにかこうにか汚部屋から普通の部屋くらいにランクアップしたのを確認し、俺は軽く汗を拭う。


「おお! いつもながら掃除が終わった後は実に清々しいな!」

「それを毎回一月で汚しまくる首領様が何を言ってるんですか?」


 終わったと見るやさっさとマスクや三角巾を取って大きく息を吸い込む首領。つい気が緩んでまた邪因子が漏れているのをこっそりバキュームで吸引する。綺麗にしたばっかだってのに。


「……さて。公務の時間までまだ少し時間がある。茶でも頼めるか?」

「コーヒーで良ければ」


 ついでに持ってきたコーヒー入りの魔法瓶を見せると、首領は満足そうに頷いた。

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