幹部候補生の平凡な一日
午前6時。
ビーっ!? ビーっ!?
「……んっ!?」
けたたましいブザーの音にあたしはゆっくりと目を開け、自分が水中に浮かんでいるのに気が付く。
そうだった。昨日は数か月に一度の精密検査の日で、検査ついでの実験中に
あたしが起きた事を確認したのか、急速に排水されて足が床に着いた。そのままポッドの前面ガラスが開いてあたしは外に出る。
「おはようございますネル様。ご気分は如何ですか?」
お父様の部下の科学者が、あたしの着替えを持っていつものように落ち着いた態度で話しかけてくる。見た所身体に異常は見られないし、昨日の怪我も傷跡すら残っていない。……うん。問題なし。
ただ、強いて言うのなら、
「同じ液体の筈なのに、お風呂の方が気持ちいいのはなんでだろう?」
「……はい?」
「なんでもな~い。いつも通り万全だよ」
そう。今日もいつも通りの一日が始まる。
午前7時。
「制服良し。タオル良し。教材良し」
本部の自室で、あたしは訓練用の支度を整えていた。毎日の事だからこそ確認はしっかりしないと。……いけないっ!? 忘れる所だった。
あたしは朝食の錠剤を飲み下し、昨日検査の前にオジサンに作ってもらった弁当をカバンに詰める。
さあ。今日も元気に訓練だ。
正午。
退屈な幹部としての心構えやら理論やらの講義も終わり、あたしが一番好きな戦闘訓練の時間になる。
「とりゃあああっ!」
「げふぅっ!?」
試合開始のゴングとほぼ同時に、あたしは残像を残しながら一気に対戦相手の懐に飛び込んで顎を掌底で一撃。意識を失ってかち上げられた相手はそのまま背中から床に倒れ伏す。
「そ、そこまでっ! 勝者。ネル・プロティ」
「じゃあ教官。あたしは次の所に行くので失礼しますっ!」
あたしはさっさと次の場所に行くべく片づけを始める。
「……ネルの戦い方変わったよな」
「ああ。以前までは相手を弄ぶのが目的って感じだったのに、最近はほぼ瞬殺って感じだ」
「それだけじゃねえ。なんかこう……スマートになった。邪因子任せってだけじゃなく、的確に急所を一撃でぶち抜いてくる。来るって分かってても防げないくらい瞬間的に邪因子を高めてよ」
周りがまたひそひそ言っているけど、構ってる暇はないのでスルーする。
何故戦闘訓練が一番好きかと言うと、ここが一番
戦闘訓練のノルマは候補生同士の組み手を最低一回と、組織のデータから造られる仮想敵性存在を決められた数撃破する事。データとはさっきやったので、今の組み手でノルマは果たした。
何度も戦っている内に、どうすればもっと効率よく敵を無力化出来るか、もっと自分の邪因子を早く強く活性化出来るかだんだん分かってくる。
訓練に掛ける時間が長ければより強くなるのは当然だ。だけど、より短い時間でと意識してみるとまた違った感覚があった。やっぱり目的があると違う。
「よ~し。片づけお終いっ!」
あたしはちょっとだけウキウキしながら訓練場を出る。だってこれが終わったら、楽しい
「いただきま~すっ!」
あたしは本部食堂の一席で昼の分の錠剤を飲みこむと、オジサンの弁当をテーブルに広げる。今日は長持ちするよう笹の葉に巻かれたおにぎりが三つ綺麗に並んでいる。
最近時々だけど、事前に頼み込んでオジサンに食事を作ってもらう事にしている。栄養は錠剤で十分だけど、食事は新しく出来た趣味の一つだ。
訓練を早めに終わらせて出来た時間で、あたしはのんびりとおにぎりを口に頬張る。……うん! 今日も美味しい! 具はおかかかな?
そうしておかか、シャケのおにぎりを平らげ、三つ目に口をつけた時、
「ネル様~! ネルさ……あっ!? そちらにいらっしゃいましたか!」
そんな声と共に急に誰かこちらに駆けよってきた。いつもあたしの周りはぽっかりと誰も近寄ってこなくなるのに珍しい。……三つ目は梅干しだった。強烈な酸っぱさに慌ててお茶を口に含む。
「いやぁ探しましたよ。訓練場に行ったらもう出たというし、ネル様の行きそうな場所をあちこち探してようやく見つけました!」
見ればどこか見覚えのある女の人。確か……あっ!? 思い出した。この前あたしにインタビューをしてきた広報課の人だ。え~っとチョウって名前だったかな。
「おやぁ? やっぱりネル様もちゃんとお食事するんじゃないですか! もぉインタビューの時は錠剤ばっかりだなんて言って」
「噓じゃないよ。……ほらっ! 昼の分はもう飲んだもの。こっちは単なる趣味」
あたしがさっき飲んだ錠剤の残りを見せると、何故かちょっとだけ引くチョウ。そんなに変かな?
「ま、まあそれはともかくです。ネル様。遂に出来ましたよ! こちら明日発行される広報誌の見本です。ネル様へのインタビューもバッチシ載ってますとも!」
「ホント!? 早く見せて!」
チョウの見せてきた広報誌。その中のページの一つに注目する。そこにはあたしの写真とインタビューの内容が、『次期幹部候補筆頭。ネル・プロティ独占インタビュー』の見出しと共にしっかりと記事になっていた。
午後5時。
「ふんふんふ~ん!」
ついつい鼻歌を歌いながら、今日の訓練も講義も全て終わらせ自室に戻る。記念にとチョウから貰った広報誌。それをギュッとカバンの上から握りしめて。
部屋に入るなり、肌身離さず持っていた通信機を起動させる。ああ。良い事は重なるものだ。今日はお父様への定期報告の日。この出来事を早くお父様にお知らせしなくちゃ。
きっと喜んでくれるだろう。
『こちらから伝える事は以上だ。では、また次は七日後に』
「はい。失礼します。お父様」
その言葉と共に通信は切れ、通信機の画面は真っ暗になる。
「……まだ、足らないのかなぁ」
あたしの報告を聞いたお父様の反応は、まるで普段と変わらないものだった。そうかとただ一言述べたっきり、いつものように笑顔を見せる事もなく事務的な連絡だけ。
あとどれだけ手を伸ばせば、あとどれだけ上を目指せば、お父様はこちらを見てくれるのだろう?
午後6時。
「は~いオジサン! 遊びに来たよ! 今日こそあたしの下僕になってよっ!」
「よし。馬鹿な事を言ってないで帰れ。今すぐ帰れ。俺は忙しいんだ」
オジサンに会いに来たのに深い理由はない。なんというか、無性に会いたくなったから。あとはまあいずれ下僕にする訳だし、今の内にあたしの凄い所を見せておこうと思ったから。ただそれだけ。
それでオジサンの部屋を訪ねると、普通に追い払われそうになった。だけどなんだかんだオジサンは、困った顔をしながらさりげなくお茶を出してくれる。
「ふふ~ん! 今日は凄いんだよぉ。な・ん・と、じゃじゃ~んっ!」
「何々? ……これお前じゃないか!?」
少し興味が出たのか、ふむふむとあたしのインタビューの内容を読み始めるオジサン。その間もインタビューの内容をあたしは取り留めもなく語る。
だけどやっぱりインタビュー中のチョウと同じく、話の内容を語るとちょっとオジサンは引いていた。そんなに不思議だったかな?
「ねぇ。どう? 凄い? 凄いでしょう?」
お父様に認められなきゃ意味はないのだけど、ふとそんな言葉を漏らしてしまった。だけど、もしもオジサンにも認めてもらえなかったら……ちょっと、辛いかな。
オジサンはいつものように軽く流そうとして、あたしの顔を見るなり一瞬口を噤む。そして、
「……凄いと言っちゃあ凄いな。うん。誰にでも出来る事じゃない。良く出来てると思うぞ」
そうほんの少しだけ優し気な口調で言った。
どうしてだろう。当然の事を言われただけなのに、心のどこかが温かくなった。
あたしは幹部候補生なんだから。いずれ幹部になってお父様の役に立つレディなんだから。こんな言葉は言われ慣れなきゃいけないのに。
だから、あたしは胸を張ってこう返すんだ。
「本当っ? そうでしょうそうでしょう! まあヨワヨワのオジサンには縁のない話だろうけどね」
午後8時。
結局オジサンに夕食(勿論卵焼きも付いてる)をご馳走になり、ついでに明日の分の弁当もゲット!
今日はもう検査もないし泊まっていこうかと思ったけど、流石にそれはオジサンに断られてゲートから送り帰された。一緒に説教もされたけど、こっちはもう慣れたものだ。
どさくさでオジサンの保管していた紙。仕事の依頼書らしきものを一、二枚外へ抜き出しておいた。ちょっとしたイタズラだ。
帰るついでに訓練室(個人用)に寄って、仮想敵性存在と邪因子を全開にして
それ以上のレベルもやってみたいけど、あとの二つは幹部以上じゃないと出来ない“エキスパート”と、
特にナイトメアは、一度だけお父様に尋ねた事があるけれど敵の強さは幹部級か下手するとそれ以上。その上挑戦者は邪因子の縛りを付けられ、余程扱いに慣れた人じゃないと満足に活性化すら出来なくなるとか。
だけど挑戦回数のカウント自体は毎日少しずつ増えているらしいので、上級幹部の誰かが使っているのだろう。誰だか知らないけど。
あたしもいつかはエキスパート。そしてナイトメアに挑んでみたい。そこならばずっとこの胸にあるどこか温かい気持ちとは別の、モヤモヤとした気持ちを存分に晴らす事が出来るだろう。
午後10時。
自室に戻ると滅菌シャワーで身体を清潔にし、弁当を冷蔵庫に入れて保管する。明日は昼は短縮しづらいから朝食に食べよう。
身体の簡易メディカルチェックを行い、きちんと記録してからベッドに入る。
何でだろう? いつもなら定期報告のあった日は、頭の中がグルグルして胸がモヤモヤしてよく眠れないのに、今日はぐっすり眠れそうだ。
「お休みなさい」
あたしは誰ともなく呟く。
さあ。明日も訓練だ。お父様に認めてもらう為、そして……ちょっとだけオジサンにまた褒めてもらう為、明日も頑張るよ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます