夏の幻影

常盤今

夏の幻影

「出席取るぞー、阿部」


「ハイ」


「井上」


「ハイ」


 今日もまた退屈な学校が始まる。

 いつもと変わり映えのない風景に教室に教師にクラスメイト……


「野村」


「はい」


 この中学に入学して3ヶ月になろうとしている。

 家から歩いて10分の公立中学校だ。


「樋口」


「ハイ」


 何か素敵なことが始まると期待していた中学校生活は、結局何も始まることなく退屈な日々を繰り返す結果となった。


「穂積」


「ハイ」


 友達が出来る訳でもなく知り合い程度の関係性の奴が何人かいるだけ。


「水内」


「ハイ」


 同じ小学校出身の奴らがそこそこいて友達も何人もいるのだが……

 どうやら友達と思っていたのは僕だけのようだった。


「山形」


「はい」


 部活も入らなかった。

 部活でも孤立するのが怖かったのだ。


「吉川」


「ハイ」


 吉川智明、12歳、男子。

 それが僕だ。




 放課後、帰宅部の僕は当然家路に着く。

 全校生徒の8割ほどが部活をしており残り2割が帰宅部だ。

 その2割の生徒が仲の良い生徒と一緒に帰っていく。

 1人だけなのは僕だけだ。



 その日の帰り道は川沿いを歩くことにした。

 まっすぐ橋を渡るのではなく土手を歩いてもうひとつ向こうにある橋を渡るのだ。

 10分以上の遠回りになる。

 前方に小学校時代のともだ……知り合いがいたので気付かれるのを避ける為の行動だった。


 川沿いをのんびりと歩いて行く。

 いつもと違う道を歩くというのは中々新鮮で、明日から遠回りでも色々なルートを開拓するのも面白いかもしれない。

 そのようなことを考えていると、ふと大きな建物が目に留まった。

 何気なくその建物を見てると、8階の窓から外を見ていた長い黒髪の少女と目が合った……ような気がした。

 僕はその少女に向けて大きく手を振った。

 なぜそんなことをしたのか、あるいはできたのかよくわからない。

 それまでずっと消極的な言動を繰り返していたのは僕自身なのだから。

 少女はキョロキョロと左右を見て自分に向けて手を振られてるのだと理解して戸惑っていた。

 僕は構わず手を振り続けた。

 すると少女は恐る恐る手を上げて小さく振り返してくれた。


「やったぁ!!」


 僕は嬉しさと気恥ずかしさのあまり全速力でその場から駆け出した。



 ほんの3分ほど走っただけなのに全身汗だくになってしまった。

 制服で走るもんじゃないと初めて知った。

 シャワーで汗を洗い流す。

 まだ興奮が冷め止まない。

 あの建物は表通りに出入口のある総合病院のものだ。

 彼女は何らかの理由で入院しているのだろう。

 僕がいた土手の上から彼女の病室までは200~300メートルの距離がある。

 長い黒髪と色白であることしかわからなかったが、あの儚げな感じはお嬢様風美少女に違いない。


 シャワーを浴び終え自室のベッドで横になる。

 まだ心臓がドキドキしている。


 たかが手を振り合っただけじゃないか。

 まだ会って話すらしてないんだぞ。

 互いの名前すら知らないじゃないか。


 せめて携帯電話があれば……何らかのキッカケは作れたかもしれないのに。

 携帯電話は高校から持たせてもらえることになっていた。

 それを親に頼み込んで高校合格時に変更してもらった。

 中学の友達と連絡先を交換したいからと言って。

 今のところその必要性はまったくなかったが。



 翌朝はいつもより15分早く家を出た。

 当然の如く遠回りをして昨日の土手を歩く。

 彼女が窓辺にいるかどうかなんてわからない。

 常識的に考えればこんな朝早くに窓から景色など見てないだろう。

 だけど……、それがどうした?

 いると信じて足を動かす。

 病院の建物が段々と見えてくる。

 それに合わせるかのように胸が高鳴ってくるのを感じる。

 果たして彼女は……


 いた!!

 すぐさま手を振る。

 彼女も今日は戸惑うことなく手を振り返してくれた。




 それからというもの、僕の日常は一変した。

 朝と夕方の彼女と手を振り合う瞬間は僕にとって掛け替えのないモノになった。

 休みの日も当然同じ時間に土手に行く。

 退屈に感じていた日常が一気にバラ色に変化したのだ。


 こうなると次の段階を思い描くことになる。

 彼女に会いに行くのだ。

 お見舞いという形になるのだから何か持参しなければならない。

 花束か果物か、お小遣いで足りるだろうか?


 そんな計画を練りながら1学期の期末テストが終わった翌日のことである。

 あと数日で夏休みに入るのでいつお見舞いに行くのがいいか考えながらいつもの場所に着いた。

 普段通りに手を上げたところで気付いた。


 彼女がいない。


 何かあったのだろうか?

 しばらく待っていたが学校の時間が迫っていたのでその場を後にした。


 何となく不安な感情に支配されながらひたすら学校が終わるのを待つ。

 帰りのホームルームが終わったと同時に教室を飛び出した。


 朝はたまたま窓辺にいなかっただけだ。

 たぶんトイレにでも行っていたのだろう。

 夕方は必ずいる。


 焦燥感に駆られながら足早にいつもの場所に向かった。

 最後は駆け足になっていたが、到着した同時に建物を見る。


 やはり彼女はいない。


 病室が変わったかもしれないと食い入るように建物の全ての窓をチェックしたが彼女はいなかった。

 その場に座り込み30分……1時間と待つが彼女が姿を見せることはなかった。



 ひょっとしたら退院したのかもしれない。

 そう思い意を決して病院に行くことにした。


 来た道を戻って大通りから病院に入って8階に行く。

 薬品の独特な匂いがする中、彼女がいつもいた病室の前に立つ。

 ドアの横にある入院患者の名前欄は空白だった。

 近くにいた看護婦さんに聞いてみた。


「すいません、ここの病室の患者さんは?」


「ああ、佐藤さんね。明け方に亡くなられたわよ」


 え……


「そうそう。ちょっと待っててね」


 亡くなったって……

 だって昨日まであんなに元気に手を振ってくれていたのに……


「はいこれ。14~15歳の男の子が来たら渡すように頼まれていたの」


 看護婦さんは小さな包みを渡して来た。


「佐藤さんに選んでもらって私が注文したのよ。

 ほら、古い世代の人はネットとかできないから。

 もちろん代金は佐藤さんが出したのよ」


 え?


「あ、あの、佐藤さんて僕ぐらいの年頃なのでは?」


「何言ってるのよ、佐藤さんは90近いお婆ちゃんよ」


 え? え?

 どういうことだ?


「佐藤さんはずっとこの部屋に入院されていたんですか?」


「ええそうよ」


「女の子がお見舞いに来ていたとかは?」


「天涯孤独の身でね、見舞いには誰も来てないわ」


「佐藤さんは髪を黒く染めていたりは?」


「いいえ、見事な白髪だったわよ。

 そういえばここ2週間ほど楽しそうに窓の外を見てらしたわね」


「!?」


「君はどこで佐藤さんと知り……あっ、ちょっと待って!」


 僕は足早にその場を立ち去り、病院を出て走って家に帰った。

 汗だくだが構わずベッドに突っ伏す。


 訳がわからない。

 黒髪の少女はいったい誰なんだ?

 あの部屋の窓辺にいたのは佐藤さんというお婆さんだったのは確からしい。

 僕が見間違いや勘違いをしていた?

 白髪のご老人を黒髪の少女に見間違えるなんてあるだろうか?

 手の振り方の動作を見ても高齢者の動きではなかった。



 明朝土手に行ってみる。少女はいない。


 学校からの帰りも土手に行ってみる。手を振ってくれた少女はいない。


 そんな日々を終業式まで繰り返して、僕は土手に行くのを止めた。








===約一年後===


 僕は13歳になり中学2年生になった。


 一人なのは相変わらずだ。


 あの夏休み前の出来事を笑い話にしてクラスメイトに話そうかとも思った。

 だけど自分の中の何かが止めるのだ。


『あの日々はおまえにとってかけがいの無いモノではなかったのか?』


『あの大切だった時間を笑い話なんかにして安売りしていいのか?』


 と切実に訴えて来る。




 夏休み前のある休みの日、家への帰宅途中で橋の上にクラスメイトが何人かいるのが見えた。

 すぐに方向転換して川沿いを歩いて家まで遠回りする。


 あれ? このパターンって……


 段々とあの場所が近付いてくる。


 一生懸命手を振っていた1年前の自分が思い出されてくる。


 意識してか無意識か、ずっと避けていたあの場所へ。


 未だ覚えている少女がいた病室を見上げる。


 当然だが少女もご老人もそこにはいない。


 しかしその時、自分の中の何かが……


 慌てて走って家に帰る。

 ずっと引っ掛かっていたことを思い出したのだ!


 自分の部屋に走り込んで机の引き出しの奥に仕舞い込んでいた未開封の包みを取り出す。

 あの日あまりにも衝撃が大き過ぎてその存在を先ほどまで忘れていたのだ。


 包みを開けるとケースに入ったちょっと高そうなボールペンが出てきた。

 取り出すとケースの下に手紙が……




『名も知らぬ少年へ


 毎日手を振ってくれてありがとう。


 私は朝と夕方に少年に会えることがとても楽しみでした。


 どうか精一杯真っ直ぐに生きてください。


 今度会う時はたくさんお話ししましょう』




 気が付くと目から涙が溢れていた。


 この1年、ずっと避けてきた罪悪感で心が痛い。


 僕は1年前のあの日々の中で確かに黒髪の少女に恋をした。


 初恋だった。


 誰に何を言われようがそれでいいじゃないか。


 何も恥じることはない。


 涙を拭い家を出る。

 目的地は当然あの病院だ。

 まずは以前に話した看護婦さんに会わなければならない。


『佐藤さんの墓参りに行く』


 それが1年掛かって出した、いや辿り着いた僕の答えだ。


 そういえばあの看護婦さんは僕と佐藤さんの関係性を知りたがっていたな。


 堂々と答えればいい。


『佐藤さんは僕の初恋の人です』


 と。





=====完=====

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