16章.手がかり(10月4日 13:00)
山の手にある千家男爵家の屋敷を訪れるのは二回目になるが、何も変わったところは無かった。屋敷には緒方は同行せず、秋月が同行していた。
この日、立花和江の死により一度、先延ばされた千家男爵家の調査が行われた。忍の体調はすっかり良くなったが、たまに頭に流れ込んでくる知識や情報で頭痛がすることがたまにあった。時間も人手も無いという事もあったが、忍の文献調査の手管はかなりのもので体調の事は考慮の対象外となり、参加を強行したのである。もっとも本人も命にかかわることなので必死になっていた。ここで何かを見つけないともはや打てる手は無くなるのである。
屋敷を訪問すると女中が取り次いでから客室に案内され、しばらくすると千家晃が現れた。忍はお披露目式で見たことはあったし、軽い挨拶はしたもののちゃんと話した事は無かった。現れた千家晃は40代の前半のはずだが、若者のような活力にあふれている。
「陸軍から今回の話を聞いたときは正気を疑いましたが、さらに調査に訪れたのが鷹司家のお嬢様とは。驚きですな。鷹司家はこういった事には関わらないと思っていましたが」
「ええ、そうですね。私達もこの様な事態になるとは思ってもみなかったですわ。早速ですが資料を拝見させていただきたいのですが。何分、時間が無いものでして」
「その様ですな。正直、半信半疑なのですが、事実を突きつけられると確かに不審ですな。ただ私は無くなった父から特にこのような話は聞いていないので私個人で調査に協力できることは少ないと思うのですが、御了承ください」
「いえ、資料の提供だけでも十分です。ご協力感謝いたします」
案内されたのは屋敷の裏手にある倉庫だった。倉庫といっても清掃がなされており、離れのような埃臭さは無かった。机と古い本棚が並んでおり、和本に限らず、ラテン語などで書かれている書物が大量にあった。書籍の並べ方は雑然としており、調査はかなり骨が折れそうだと忍は思った。
「以前にも警察の方からもこの部屋を調べたいと申し出がありました。その時はお断りさせていただきました。生前、父はここが千家男爵家のすべてがあると申しており、人を入れるなと念を押されていましたので。今回の件はこちらとしても最大限の協力だと思っていただきたい」
「警察もここを調べたいと、そんな申し出があったのですか」
並んだ書籍を見るに事件に関係があると警察が考えるとは思えなかった。そこで宮は秋月に視線を向けた。秋月は視線に反応して答えた。
「そりゃそうさ、お前達みたいな素人が多少調べたくらいで千家男爵家の秘密や七代機関の存在までたどり着いたのだろう。鷹司家の力や運が良かったってこともあるが、この程度の事、勘のいい刑事なら同じように千家男爵家に纏わる不自然な死や七代機関の存在に至る者も出てくるだろうさ。大抵は警察に圧力を掛ければ大人しくなるが、そういった人間ばかりではないからな」
「そういった人たちはどうしたの、まさか……」
「いや殺したとかそんな事は無い。余計に不自然な事件を起こして注目を引くだけだからな。ある程度の真相を聞かせて、七代機関の密偵になってもらっている。そのせいでハ号星六に感染して死んじまった奴もいるが」
「では素人なりに調べましょうか。あなた達は私たちが調べて本当に事態が解決すると思っているの」
「調べているのはもちろんお前達でだけではないさ。それに緒方博士の話の信憑性はこれまでの実績が証明してくれている。とにかくここから何かを見つけ出さないと俺もあんたも死んじまうぜ」
さっそく宮は和本に手を伸ばすが、読みなれない文体には非常にてこずった。忍の方はすでに具合はすっかり良くなったようで、次々と和本の山を崩していく。忍が次々に和本の山を崩していく中、宮は机の上に置かれた写真立てに目を奪われていた。写真立てには2人の写真が飾られていた。片方は若かりし頃の千家昭三だろう。年齢的には20歳を超えたころのように見えた。そしてその隣にいるのは少女だった。まだ15,6歳位で、顔にはあどけなさを残している。その顔には覚えがあった。
「ああ、その写真は千家昭三と妹の藤乃だよ。現在、即身仏になっている女だ。」
宮の視線に気が付いた秋月が声をかけた。
「もったいねえな、こんな美人を即身仏にしちまうなんて」
秋口は軽口を叩くとまた和本の山に向かっていった。
「バステト、猫の国、猫の寺院」
「ん、何ですかお嬢さん」
「いえ、少し気になることがあって。忍、バステト、猫の国、猫の寺院という単語を調べてみて」
「今から調べます。でもどうしたんですか。急に」
「いいから調べて」
宮はそう告げると、机の写真を凝視していた。写真の少女に見覚えがあったのである。彼女の私室に訪れていた少女、藤乃だったのである。
忍がバステトという単語を見つけたのはそれから3時間ほどたった後だった。
「えっとバステトってエジプト神話の神様ですよね。何か関係があるんですかね。猫の顔をした神様ですよ。そもそも千家男爵家は生糸産業で財を成した一族ですから、生糸を作るうえで蚕は重要な資源であり一族の宝だったんですよ。そして猫は蚕を鼠から守る重要な動物だったんですよ。今でも養蚕を行っている農家では猫を飼っているところは多いですし、猫を神格化して祀っているところは多くありますね」
「和本の中には猫とかバステトとか猫の国について書かれていないの」
「ええとバステトという単語を見つけました。千家男爵家は元々群馬で生糸業、養蚕業をしていたんです。現在も養蚕業や生糸工場は群馬にあります。記録にはやはり猫を祭っているとありますね。猫を飼っているという記録自体はかなり昔からありますね」
「今でも猫をかなり飼っているぞ。この間、工場を視察に行ったときあちこちに猫がいて、監視されているようで気味が悪かったな」
「話を続けますと、千家男爵家では明治初期から工場の敷地の片隅に猫をまつる神社を建立していますね。そこのご神体が『バステト』とか『バースト』と呼ばれていますね。両方の記載があるのでどっちが正しいのか分かりませんが。また漢字表記が無いのが妙ですけど、和本の中に『はすたぁりく』の例がありますからね。何とも言えません。どうも記述を見ると猫頭人体の神様とされていますね」
「それだわ、他に何か無いの」
「他といわれましても、記述が殆どありませんね」
「バステト神なら少し知っているぞ。といってもイスの知識だけどな。バステト神はやはり他の神々や怪物たちに匹敵する存在だが、少し毛色が違う。研究所で話した神々というか怪物は『旧支配者』とか『外なる神』とかという呼ばれ方をしているが、バステト神は『旧神』と呼ばれる存在だ。大昔、神々たちの戦いがあった時、地球上にいた多くの怪物たちを屠った存在とされている。人間というか、旧支配者や外なる神々と敵対する存在に力を貸してくれる。比較的話合いができる存在……らしい」
「それだわ、そのバステト神の力でハ号星六をどうにかしてもらえないかしら」
「何を急に言い出だすんだよ。だいたいどこから急にそんな話が出てきたんだ」
「わたし千家藤乃を知っているかもしれない。その子から手紙がきていたの。バステト神の御許、猫の国にある猫寺院でお会いしましょうって。その神社に実際に行ってみる方が良いかな。秋月さん、その神社に入ったことはありますか。」
「無い。が行ってみる価値はありそうだな。現状では手がかりが何も無い。お嬢さんが今回の事件の解決に必要な因子であるなら、それも何か意味があることなんだろう。なに、駄目で元々だ」
数時間後、宮たちは夜行列車に乗り込んでいた。緒方博士に藤乃の事を説明して、身支度を整えるとすぐさま列車に乗り込んだのである。千家家の生糸工場までは最寄りの駅まで乗り継いで、最後は歩かなくてはならない。
列車に揺られながら宮は藤乃の事を思い出していた。事件に関わり始めたころから藤乃の存在を認識していた。恐らくその時点で自分はハ号星六に感染していたんだろう。なぜ自分は他の人間と違って症状が現れなかったかはわからないが、認識の齟齬を起こすなんて、現状ではハ号星六の感染以外考えられない。思えば、藤乃は事件の話を聞きながら自分を誘導していたのだろう。今回の件に千家男爵家に潜入することや脚気の事なども間接的に知らせようとしていたに違いない。「藤乃ちゃん」が千家藤乃であったことは間違いない。ではなぜ彼女は自分にだけ特別な対応をしたのだろうか。自分は無力な人間だ。多少の生まれの良さとそれなりの教育を受けただけの普通の人間だ。自分より優れた人間は多いだろう。もし何かをしてほしいならば、自分よりも有能な人間、あるいは男性等に頼るべきだろう。緒方博士は自分には事件解決に関する因子があったといっていた。そうだろうか。その因子とは藤乃との繋がりを指しているのだろうか。どちらにせよ、件の神社に行ってみるしかない。藤乃の思惑はどうであれ自分を待っているのだろう。彼女の言い分を聞く責任が自分にはあると思う。それが事件の解決につながるかどうかはわからない。七代機関から聞いた藤乃はまるで怨霊のような存在だと思った。千家昭三の死から始まる七代機関への攻撃は恐ろしい。緒方博士は人間性と思われるものは残っていないだろうと推測していた。だが自分の部屋に訪れた藤乃は幼い少女であり、人を殺すなんて微塵も思わせなかった。自分は藤乃には人間性が残っていると確信している。ただ出鱈目に人を襲う存在ならばわざわざ自分には接触してこないだろう。自分に接触してきたという事にはまだ何か思惑がある。それに期待するしかない。今のところは。
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