11章.接触(1925年10月3日13:00)

 忍は大学の講義が終わるとすぐに浅草に向かった。宮には講義の時間をずらして伝えてある。雑誌社の事務所に向かう前に寄らないといけない場所があった。

目指す店はすぐに見つかった。評判の甘味処である。出入りしているのは若い女学生や子供連れの家族が殆どだった。居心地の悪さを覚えながら店内を見渡すと探し人はすぐに見つかった。大男が一人でみつ豆をつつく姿は店内でも浮いていた。忍が足を向けると相手も気が付いたようで手を挙げて声をかけてきた。

「時雨君、こっちだ」

「僕は時雨さんじゃないですよ。待ち合わせ場所、もう少し何とかならなかったんですか。ものすごく浮いていますよ。男二人で甘味処なんて」

「まあそういうな、ここのみつ豆はなかなかの味だぞ」

注文を取りに来た女給に同じくみつ豆を注文すると忍は向かいの男の様子を観察した。大男である。耳がつぶれていることから柔道をやっている事はすぐにわかった。

「で、お話というのは何でしょうか、秋月さん。もう僕の事は調べたんでしょう」

「うむ、お前が鷹司家のお嬢さんのお目付け役ということは判った。地下の事を考えるとあまり強く言える立場ではないようだな。ちゃんとお嬢さんには俺の事を話さなかっただろうな」

「当たり前ですよ。お嬢さんをこんなことに巻き込めませんよ」

「うむ、よろしい。でお前達は千家男爵家の事をどう考えているのだ」

「確かなことは何も言えませんが、第一に言える事は千家男爵家には科学的には考えられない奇妙な能力、『狙った相手を重度の脚気にかける』という能力があるという事ですかね。過去にこのような能力をどのように行使していたかは判りませんが、現代ではこの能力を使って事業を拡大してきたという推測はできます。最も具体的な方法や理屈は何一つ分かりませんが。そして陸軍の一部がこの能力に目をつけて福来博士を通じて研究していたという事ですかね。研究は慎重に行われていたと思います。ですが福来博士は死亡しました。これは想定外の事じゃなかったのではないでしょうか」

「ふむ、概ね正しいな」

「秋月さん、結局あなたは何者なんですか。正直な話、僕はこの件から手を引くべきだと思っています。多くの死者が出ています。危険すぎます。僕はともかくお嬢さんに何かあったら、世間の注目を集めるくらいでは収まらないでしょう。あなたがというか、あなたが所属する勢力がこの件を収めてくれるなら、僕たちはこれ以上詮索するつもりはありません。これ以上お嬢さんを危険にさらしたくありません」

男爵家の離れの地下でこの男に取り押さえられた時は肝を冷やしたが、その後、忍に秋月と名乗ったこの男は事情を話すとあっさりと忍を解放し、この甘味処での情報交換を提案してきたのである。もちろん忍は危険や怪しさを感じたが、結局のところ自分に何ができるわけではないので話に乗ったのである。

「ふむ、七代機関の事は何か知っているか」

「福来博士から少しだけ聞きました。何でも陸軍主導による科学研究の組織みたいなもので秘密結社みたいなものらしいですが、詳しくは聞いていません」

「そう、俺は七代機関に属する密偵みたいなものだ。千家昭三の死から明らかになった、一連の事件を追っている。一応、帝国陸軍に属してはいるがね」

「なぜ僕と接触しようと考えたんですか、あなた方は事件の全貌をすでに知っているんじゃないですか」

「そうだ。だがお前達がどうやってこの事件の一端を知ったかという事に興味がある。七代機関は情報の扱いを慎重に扱ってきたから、お前達がなぜこの事件の情報を入手できたかという事に興味がある」

忍はこれまでの経緯を簡単に話した。

「なるほど、大枠の状況は判った。お嬢さんはお前の説得を受け入れてこの件から手を引くと思うか」

「さあやってみますが、かなり骨が折れそうですね。でもやるしかないと思っています」

「なるほど、お前の考えは尊重したいが、もう手遅れみたいだぞ」

そういって秋月が店の出入り口を顎で指した。そこには不機嫌そうな表情を浮かべた件のお嬢さん、宮が立っていたのである。

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