10章.和本(1925年10月2日23:00)

 帰り道、宮は終始無言であった。忍としてはもうこの件から手を引きたいというのは本音であったし、宮に進言したことも本心であった。この件では人が死に過ぎている。実際福来諭吉博士は自分たちの目の前で変死を遂げたのである。どのような勢力が何の意図をもってこんなことをしているのかは判らないが、自分はともかく宮に不測の事態が起こっては取り返しがつかない。鷹司家のおばあ様に進言することも考えたが、恐らくは宮からの信頼を失うだろう。

 そんなことを考えながら車を運転し、宮の自宅に到着してしまった。帰り際に宮は和本に目を通し、内容の要約を命じるとさっさと屋敷に引き上げてしまった。忍は下宿先の屋敷に戻り、自室に引き上げた後もすぐには寝付けず、結局、和本に目を通し始めたのだ。古びた和本はかなり難解な文字で書かれており、なかなか読むのは骨が折れる作業だったが、思いのほか集中して読むことができた。そもそも師の民俗学の文献調査に駆り出されることが多く、文献調査自体は苦手ではなかった。また和本の保存状態は思いのほか良く、白い手袋をつけた状態でも比較的簡単に頁を進めることができた。

「オオゲツヒメ……」

思わず声に出したのは和本の冒頭に出てくる女神の名であった。和本の内容は古事記や日本書紀を含めた日本神道に関する内容に思われる。オオゲツヒメつまりは「大気都比売神」の事である。忍は専攻であったし、書生として師の研究を手伝ったり、要約などの雑事をしたりすることが多かった。その為、日本神道には多少の知識があった。

 その知識によればオオゲツヒメは穀物を生み出した女神とされている。高天原の神々が食物を求めた時にオオゲツヒメは体中から穀物を生み出し調理して献上したのだが、暴れ者のスサノオが食物を生み出すさまを見て嫌悪感からオオゲツヒメを殺してしまうのである。スサノオはそのことで神々の不興を買い、高天原から追放されてしまう。一方で殺されたオオゲツヒメの死体からは頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻からは大豆が生まれた。それらの穀物が地上にもたらされたのである。忍が覚えているのはそれくらいだ。

 そもそも千家家は天皇家と宗教的な面、日本神道において重要な役割を果たしてきたため爵位を与えられた一族である。出雲大社の宮司を多数輩出しており、公家との関係も深い一族である。死亡した千家昭三の一族は千家の分家であり、子爵になる家系ではないが、政府への巨額な金銭的な援助を行ったために男爵位を賜ったのである。もちろん一口に華族といっても多くの家がある。元は大名家であったり、大政奉還から始まる混乱期に頭角を現したり、明治政府の重鎮であったりとあり方が様々である。男爵家とは位で考えればそれ程高い位ではなく、また貧しい華族というのも存在する。千家男爵家は実業家として成り上がっているが、千家昭三の本家筋の一族、千家子爵家を遡るとやはり日本神道という点に行きつく。和本が伝える事は古事記と日本書紀との相違点の指摘から始まっていた。

 歴史を紐解けば過去に「古事記」は歴史書としては一段落ちるという評価を受けた時期があった。偽書であるという主張もあったくらいだ。評価されるようになったのは本居宣長の「古事記伝」によって評価が改められてからである。重要視されるようになったのは比較的最近なのである。一方、日本書紀は各地の風土記や外国の文献、各氏族の記録などを参考に書かれている為、古来より重要視されてきた。ただし、日本書紀は現代風に言えば「一説には……」という表現が多数散見され、異伝を認めているのである。古事記と日本書紀の違いの例を挙げてみると、世界創成からして違いから見て取れる。古事記では天地開闢を経て「高天原」ができるのである。その後、造化三神が現れ、複数の神々による「神代七代」によって世界は整えられていったのである。日本書紀においては世界の創生に神々は関与していない。世界は天地もわかれておらず、混沌だけが存在したのである。その後、澄んだものは上へ、澱んだものは下に集まり天地を形成していったのである。その後、イザナギとイザナミによる「国生み」が行われ、芦原中国、日本列島が完成したのである。研究者によると古事記は情緒的で神話的であるのに対し、日本書紀は歴史観を忠実に記しているとの評価がある。和本の内容は現代ほどではないにしてもやはり古事記と日本書紀の違いを指摘している。和本の状態から考えて、古くても江戸時代前期位に書かれた書であると忍は推測していた。

 序文を過ぎると、「オオゲツヒメ」に関する記述が始まっていた。記述の内容は概ね忍の記憶と一致した。オオゲツヒメの死と穀物の創生が言及されていた。しかしその後が違うのである。オオゲツヒメの死体から穀物が生まれるまでは同じだが、オオゲツヒメの死体から新たなる神が生まれたと記されているのである。古事記においても日本書紀においても神が生まれる切欠は様々だ、天照神もイザナギの禊ぎ落としから発生したのである。新たに発生した神の名は「はすたぁりく」と呼ばれるものであった。漢字による名前の表記は無かった。

「はすたぁりく」はオオゲツヒメの死体から全ての穀物が取り除かれた後、残骸の中から生まれたとされている。その肉体に関する描写は無く、どのような特徴があったのか、どのような肉体だったかの記述が一切ない。ただその場に居合わせた人々の頭に直接語り掛けるような描写があった。「はすたぁりく」は姿を現さない神であり、穀物の神であり、生命、特に蚕を司る神であるとの記述があるだけだった。

 和本にはさらに「はすたぁりく」に関する記述が続いている。古来「はすたぁりく」は聖別された血を持った巫女のような存在に憑依してその権能を現したのである。そしてその聖別された血脈を追っていくと千家男爵家にたどり着くのである。千家男爵家では「はすたぁりく」をこの世に顕現させるために巫女を選別し、儀式によって「はすたぁりく」を巫女に憑依させる事によって「はすたぁりく」を定期的に顕現させていたとされていた。その行為による現世的な利益に関しては何も記述が無かった。忍は千家男爵家の離れで見た女性の即身仏の事を思い出していた。あの即身仏が安置されていた部屋の床に書かれた紋様はまさしく和本が伝える「はすたぁりく」顕現に必要な儀式に使われる紋様そのものだったのである。

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