ご利用は、衝動的に。

如月姫蝶

第1話 Correction『訂正』

 魔法使いは実在する——そんな話を笑い飛ばせる人は、きっと、佐藤さとうのことを知らないのだろう。


 集団登下校を復活させるか否か、それが問題だ。

 二小こと市立第二小学校では、時勢に応じて、児童の集団登下校を実施していた時期もある。しかし、昨年、集団登校の列に居眠り運転の乗用車が突っ込み、死傷者が五人にのぼったのだ。

 集団で歩行してさえいなければ、そこまで被害は拡大しなかったのでは?——との疑問が、保護者たちから噴出して、集団登下校は一旦「休止」とされたのである。

 ところが、集団登下校を一時的にでも復活させては?——という声が上がることになる。

 隣県にて、先日来、通学路で小学生が刺されるという通り魔事件が立て続けに発生し、犯人は未だ逃走中。被害者たちに共通するのが、集団登下校を行なっていない小学校の児童という点だったからである。


 その朝、二小の通学路では、いつも通りの登校風景が見られた。現状、集団登校は復活せず、二〜三人の児童が思い思いに連れ立って歩いている。ただし、末永駿太すえながしゅんたに連れはいない。彼は、すぐ前を歩く田代杏奈たしろあんなのことを、歯を食い縛って睨み付けていた。

 杏奈は、すらりと背が高く、仲良しの桃子ももことお喋りしながら歩いていた。もしも、チビとあだ名される駿太と並んで歩いたりしたら、姉弟と間違われるかもしれない。本当は同級生なのに……


 ふと、前方の曲がり角から、ジャージ姿の男が現れた。彼は、ジョギングしながら小学生たちとすれ違ってゆく……かと思われたが、やおら、ギラリと輝くナイフを抜き放ったのである。そして、眼前の杏奈にそれを突き立てようとしたのだ。

 柔らかな肉を抉り、内奥の骨に命中する……しかし、男がそんな手応えを得ることはできなかった。

 ナイフは、駿太が受け止めた。彼は、背負うべきランドセルを胸に掛け、咄嗟に杏奈と男の間に割って入り、そのランドセルでナイフを受けたのである。

「させるか!」

 駿太はチビだが、サッカーに打ち込んでいるのだ。

 そして、そのまま男の周囲をちょこまかと走り回り、男はついに、ランドセルから刃を引き抜けぬまま、ナイフの柄を手放したのだった。

 居合わせた子供たちは、とっくに逃げ出していた。大声を上げ、防犯ブザーを鳴らして、助けを求めた。

 桃子は、杏奈を引き摺るようにして、近くの住宅へと逃げ込んでくれた。

 おかげで、作業服の男性や、白髪の女性やその飼い犬までが駆け付けて、ジャージの男を取り押さえたのだった。

 そして、逮捕された男は、既に隣県で罪を重ねた通り魔だったと判明したのである。


 駿太は、子供たちに、「二小のヒーロー」と崇め奉られるようになった。一方で、校長からは、長い長いお説教を食らうことになった。

「友達の命を救ったなんて、自惚れるんじゃあないぞ!全ては偶然の産物だ!君も、すぐさま逃げ出して、助けを求めるべきだったんだ!犯罪者への対処は、大人に任せなさい!」

 駿太は、歯を食い縛って、校長室の絨毯を睨み付けていた。

 杏奈が、今日だけではなく明日も、「精神的なショック」を理由に学校を休むであろうことに思いを馳せる。怪我は無かったはずである。

 校長には、「偶然の産物」とだけは言われたくなかった。


 二小の程近くには、「三途の川」が流れている。それは実は、この地方都市有数の大通りなのだ。二小の児童の大半は、大通りを渡って通学するし、昨年五人もの被害者を出した交通事故も、この大通りを横断中に発生したのだ。

 交通安全の標語が募集されるたび、この大通りを三途の川に見立てた作品が集まるが、それらは全て没となる。それがもはやお約束と化しているのだった。


 駿太は、その日の下校時、三途の川の畔で、一人、信号待ちをしていた。

「末永くん」

 背後から、おずおずと声を掛けられた。今日から登校を再開した杏奈の声だと、すぐにわかった。

「私、末永くんにお礼が言いたくて。ほら、学校では、末永くんは余計なことをしたって、先生たちに怒られるでしょう?でも、末永くんが助けてくれなかったら、私、あの犯人に殺されてた気がするの。

 私はとっても感謝してるよ、末永くん。うちのママとパパも感謝してるの。だから、その、我が家のお食事会に、末永くんをご招待したくって……」

「田代こそ、余計なことすんなよ」

 駿太は、杏奈に背を向けたまま言った。

「全部、あの犯人が悪いんだ。俺が怒られたのだって、あいつのせいだ。田代は、何もかも忘れちゃえ!」

 言い捨てるや否や、駿太は、大通りへとダッシュした。

 それは、歩行者用の信号が青に変わるまで、未だ数秒を残したタイミングだった。

 杏奈は、悲鳴を上げて、その場にへたり込むことになった。

 駿太の小柄な体が、ダンプカーに撥ね飛ばされるのを目撃することになったからである。


「こんにちは、お嬢さん。私は、コレクション・サービスの佐藤と申します」

 突然、真っ黒なスーツ姿の男が、杏奈の視界を塞ぐように彼女の前に立ち現れ、丁寧に一礼した。

「あなたは、我が社の『初回限定無料サービスキャンペーン』に当選なさいました。過去に戻って人生をやり直したい、受け容れ難い過ちを訂正したい、そんなふうに思われた経験はございませんか?今ならあなたを、私の魔法で、過去へとお送りすることが可能です!」

 佐藤の物言いは、立板に水のごとく流暢だったが、杏奈には、何が何やらわからない。思わず後退ろうとした。

「おっと!私からは離れないほうがいい!あなたはただの人間ですから、墜落してしまいますよ」

 気付けば、いつの間にやら、杏奈の体は、佐藤ともども、空高くに浮かんでいたのだった。

 そして、遥か眼下の路上で、倒れた男児の、奇妙に曲がりくねった体から、夥しい血が溢れ出すのが、まるでミニチュアのようだった。

「魔法で過去に送ると言った?やり直せるって言ったよね?」

「その通り!」

 杏奈は、拳を握り締めた。

「お願いするわ!」


 佐藤の姿は、かき消えた。そしてそこは、杏奈の家、彼女の部屋だった。

 杏奈はすかさず、日付も表示されるデジタル時計を振り仰ぐ。

 十六日、二十時——

 通り魔事件が十五日、そして、杏奈が登校を再開したのが十七日だから、ああ……

 母が電話で話しているらしい声が、壁越しに聞こえてきた。

「ええ、ええ、先生方は立場上、小学生が刃物を持つ犯罪者と直接対決することを、容認できやしないんでしょう。けれど、私も夫も、駿太くんには心底感謝しておりますし、どうか、娘の口から駿太くんにお礼を伝えることを許してはいただけませんでしょうか……」

 杏奈は確信した。自分は過去へと戻り、駿太はまだ生きてくれているのだと。

 彼女は、電話を終えた母に、もう一日だけ学校を休みたいと懇願したのだった。


 翌、十七日、十七日——杏奈は、ベッドで過ごしながら、全てうまくいくはずだと自分に言い聞かせていた。

 昨日、いや、十七日に、駿太が大通りへと飛び出してしまったのは、きっと、杏奈が急に食事会に誘ったりしたせいで、驚いたか、恥ずかしくなったか……ひどく嫌な思いをしたせいなのだろう。

 だから、あんなふうに誘いさえしなければ、駿太は車に撥ねられたりしないはずだ。

 そうだ、招待状を書こう!できるだけ綺麗な字でお礼の言葉も綴って、駿太が家に帰った頃に手渡しに行けばいいのだ!

 その時、勢い良く部屋のドアが開け放たれた。母だった。彼女は、ドアを開けたことを後悔したようだったが、結局、娘に告げたのだ。

「今、連絡があったの。駿太くんが亡くなったそうよ。大通りでダンプカーに撥ねられたんですって」

「お悔やみ申し上げます」

 その言葉を発したのは、佐藤だった。彼は、まさに魔法のようにいきなり、母よりも手前に出現して、杏奈に一礼したのである。

「どうしてよ!」

 杏奈は佐藤に叫んだ。

「存じません。ただ、お嬢さんのお誘いが、交通事故の原因というわけではなかったようですねえ。

 私がお嬢さんにご提示できます選択肢は、以下の二つです。

 彼の死を受け容れ、このまま生きてゆく。

 あるいは、もう一度過去へ——十六日へと戻る」

「戻るわ!」

 杏奈は即答した。


 そして迎えた、十七日、杏奈は、仲良しの桃子に協力を頼み込んだ。

 下校時に大通りの手前に立った駿太を、二人掛かりで急襲して、両側から挟み込んで腕を組んだのだ。

 ちゃんと青信号を待ってから、力尽くでも無事に横断歩道を渡り切らせる作戦だった。

「俺は、連行される宇宙人かよ」

 駿太は、対岸の間近まで歩いて、少しだけ笑ってくれた。かと思うと、急にしゃがんで杏奈たちの腕を振り解いた。

 そして、わざわざ逆走して、歩行者が途切れたと見て横断歩道に進入した車の前に立ちはだかったのだった。


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