第30話
手筈は単純にして単純。創意工夫など絶無の、まさに蛮行である。しかしてこれを行うにあたり必要な情報も既に得てしまった。
従業員として、店の内部を見知っているミグモから確認を取りたかったのはただ一つ。
「そのビルに無人の部屋はあるかい。外に接した場所なら廊下でも構わん」
『んーっと、たしかぁ……倉庫。事務机とか椅子とか置いてる倉庫があった。えぇっと方角はね……』
夜天に楼閣が聳え立つ。黒いビルの滑らかな壁面を仰ぎ、それと思しい
七階の角部屋。高度20メートル超。
右拳に風を纏わせる。乱れ絡み合い逆巻く乱気流。その塊を掴み、足下を。
「はあっ……!」
打つ。
下方で解放された暴風は、その上に居座る身体を容易く吹き飛ばした。一進、遮光硝子の窓すれすれを飛翔する。
半秒と掛からず目当ての高度に到達した。
同時に、右脚の蹴撃。ぐんと突き出した右脚には紫水の生んだ流水が纏いつく。
細く、鋭く、廻る。回転する。螺旋を描き、その先鋒が壁面に接触する。
瞬間、魔術防壁の抗力が発生した。光る幾何学模様。異界の文字と紋により編まれた精緻な式。強固な守護結界である。並の火器では傷一つ付くまい。
しかしこの一合にあってそれは無力だった。何故ならば単純至極、こちらの
刹那の抗いも消え去り、螺旋の渦槍は壁を抉り、貫いた。
掘削された壁の建材がばらばらと解けて散る。薄暗い室内にそれらは飛散し、事務机やら事務椅子やらを盛大に巻き込んだ。
手ずから穿った風穴より、街の灯が差し込み、部屋の惨状を露わにする。
聞いていた通りの無人の倉庫。しかしいずれ、そうではなくなる。
「見通しの悪さは相変わらずかい」
『……ああ、忌々しいことに内側へ入り込んだ分だけ四方からの索敵阻害が激しい。五間から先は見通せぬ』
「近場に蟲が居らぬならばそれで十分よ」
風と水の操法を工夫したことで最大限に音を封じた。ゆえにこの暴挙に比して破壊音そのものは極々小さい。
だが絶無ではない。なにより、結界を破壊などされればまずもってその式を掌握する術者が即座に感づく。
何を置いても今は速度。速度。速度。可及的な速度を。
「“紫水”」
右脚の足下から床面を割り砕きながら伸ばした水の糸。それは謂わば水による感覚神経。
現代の人界建造物ならばほぼ確実に存在するだろうもの。水道管が、内部の全階層に亘って張り巡らされている。
水を
建物の血管とも呼ぶべき水の道。それを辿り、
「見付けた」
このビル内部でも最も分厚く、偏執的なまでに封鎖術を施された部屋に。紛うことなき監禁部屋に。
生活の配慮のつもりか、設えられた小綺麗な大理石の洗面台、その蛇口から豪奢な内装を覗く。
部屋の中央に据えられた真っ赤なソファー。そこに座り、項垂れる娘子が一人。真っ直ぐな黒髪が横顔を流れる。その隙間から、大きな単眼が見て取れた。
ここより下方入射角はざっと30度といったところ。射線上に人影無し。
『多数のオードがこちらに接近している』
「是非も無し! 貫くぞ!」
右脚に流水を纏い、再び回す。螺旋を廻る。
渦巻く槍の穂先が床面を穿った。
床材、支柱、鉄骨を次々に貫き押し退けながらに。時には従業員なのだろう娘子ら、異変に気付き右往左往する蜂共、それらを過ぎ去りさらに下層へ。一路その部屋へ。
程なく達した。
豪奢に飾られた部屋の中、瓦礫と砂塵が降り注ぐ最中、ソファーから愕然とこちらを見詰める一ノ目。
「っ!? な、なに、誰だよ」
「三叉という坊に頼まれてな、お前さんを攫いに来た」
「! 三叉って……そんな、うそ」
「嘘か真か吟味させてやりてぇところだが、生憎と時間が惜しい」
驚き二の句を詰まらせる娘に近寄り、その赤いドレス姿を肩に担ぎ上げた。
「きゃっ、おい! ちょっ、ちょっと!?」
「ちょいと寄り道しなくちゃあならん。少し揺れるぞ。舌ぁ噛むなよ」
さらに何か叫ぼうとする娘子には取り合わず、踏み出す。疾駆する。
壁に向かって。
「ま、待って待って待って待ってよぉ!!?」
右拳を突き入れる。逃走となればもはや音を気にすることも、まして渦槍で丁寧に穴を空けてやる必要もない。
壁を打ち壊しながら突き進む。
「ひぃぃい……!!」
もうひとり、ミグモの位置は一ノ目メイ同様、先程の走査の折に特定している。二枚の壁を打ち抜いてまた部屋に入る。そこは煌びやかな装身具の立ち並ぶ衣装部屋だった。
黒いレース地のワンピースにファー付きのブルゾンと幾分ラフな装いのミグモの姿がそこにあった。
「わ、わ、ホントに壁から来た! えっ、てかなになにその腕! 足のも!」
「後だ後。急がねば巣を突かれた蜂の大群がすぐにも来ちまうぞ」
「やっば! そうだった」
「で、でもどうやって……!?」
肩口に乗る娘からの問い掛けに、笑みで応える。
単眼が見開かれ、そうしてすぐにその顔色が青褪めた。賢いことに、すぐさま娘は理解したのだ。この男は同じことをする気なのだと。
「ぶち抜くぞぉ! 掴まれぃミグモ!」
「っ!」
娘の手首の付け根から蜘蛛糸が飛び出し、己の胴体に巻き付いた。縛り、固定する。蜘蛛の専売特許だ。まず振り落とされる心配はない。
「いいよギンジ!」
了承の声に後押しされ、跳躍する。宙返りし、身体の上下が反転する。
右脚の流水が最大加速の螺旋を迸らせた。
貫徹する。天井を。
このビルそのものを。
「わぁぁああああっ!?」
「うきゃぁあーーー!!」
悲鳴と絶叫を伴に、四階から十階、その最後の天井を蹴り抜いて、遂に空へ。冴え冴えとした夜天へ躍り出た。
「ひゃ、わ、わ、あっは、あはははは! やっばいよギンジ! 頭おかしいってば! ってかふつーに飛んでるんですけど!」
「蜘蛛とて空くれぇ飛べるだろう」
「バルーニングなんてアラクネのサイズじゃできるわけないっしょ!」
「カッカッ、そうかい」
元気溌溂にはしゃぐミグモ。対して一ノ目の娘子は実に律儀に驚き慌てふためき、一巡して今は静かになった。声も出ないのだろう。
繁華街の極彩色の灯を眼下に、風を操りながら上昇を続ける。
後塵の警戒は怠らぬ。蜂共は巣を荒らした埒外者を血眼になって追い掛けてくるだろう。
今にも、大挙して。
「……妙だ」
「えー? なにーギンジ? うわぁ景色やばいね! きーれー」
巻き付けた糸をするすると辿ってミグモが腰に抱き着く。豪胆というか、もはやこの者にとって今の状況は単なる空中遊覧の体であるらしい。頗る楽しげだ。
こうして楽しむだけの余裕がある。
追跡者の影が無いからだ。
「何故だ」
『地上の様子がおかしい』
「なに」
『蜂人共全てが何かに向かって攻勢を仕掛けている。いや……何かと交戦している』
「交戦だと」
地上、先程後にしたビル付近に視線を這わせる。視覚強化を為す、までもなかった。
火の手が上がっている。ビルの各所から。
そうして通りでは、絶えず怒号と轟音が飛び交った。
ちかちかと明滅する極彩色。それは繁華な街の灯ばかりではなく、オードだ。魔術、異能、それを行使する為に揮われる原初の力、オードの光だった。
蜂人が大群となって攻勢を仕掛け、それに負けじと無数の異界人が応戦している。
これはまるで。
「戦……」
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