第24話

 昼休み。己は早々D組の教室を訪れていた。

 午前の授業からの解放と昼飯の算段で賑わう室内を前側入り口に立って見渡す。

 目当ての娘は窓辺の席にいた。そしてその机の周囲に複数人、人魔交々こもごもの集りができている。


「じゃあエルちゃんって一人で人界に来てるの!? すごーい」

「いやぁはは、そんにゃすごいなんてとんでもにゃい。ぶっちゃけただ勢いで来ちゃったというか」

「なに言ってんの。すんごい行動力だよ。私らは言っても親世代が帰化してたり、学園の留学受け入れ制度に乗っかったりだもん」

「心細くなったりしない? 特にほら、妖精種は精神的にもさ、土地のオードに引っ張られるって言うし。私の人魚の友達さ、水が合わなくて辛そうだったよ」

「まあ妖精っつっても、アタシはほとんど獣人みたいなもんッスから」


 卓上で無数の吸盤を備えた赤い触腕がくねる。髪の毛の束がそっくり軟体の腕に代わった娘だった。

 もう一人、黄金の毛皮に覆われた大柄で頑強な肢体。牝獅子の娘は、自身の隣に立つ癖毛の少年の肩を抱いている。連れ合いと思しい。

 少年が感嘆して言う。


「渡界どころか外国暮らしってだけでも僕なんかすぐホームシックになっちゃうよ」

「いやホントただ運が良かっただけなんスよぉ。ホームステイ先の人がいい人で、いろいろ、いろんなことに肩入れしてくれる……本当に、いい人で……えへへ」

「なぁにぃ~、イイ人ってそういう意味なの?」

「ふえっ!? ややや、そんなそんな!」

「お、この慌てぶり、これは怪しいですねー」

「あっはは、エルちゃんってばケット・シーなのに実は肉食系~? いいなー渡界してすぐ出会いがあるなんて羨ましいよ! 私なんて結局学外で彼氏見付けたしさー」

「肉食の権化の頭足類がなんか言ってますわ。エルちゃん聞いてよ、こいつの相手、バイト先のスイミングスクールの先生なんだよ? エッロいっしょあらゆる意味で」

「メスライオンが他人の性欲にとやかく言うなっての。あんた達なんて一晩で空になるまで搾り取る癖に。魔術とか能力に頼らない分、いっちばん厄介だし。ね~エルちゃん」

「愛し合うのに手加減なんて要らないの。ね~?」

「僕はノーコメントで……」

「なにを~!? エルちゃんもそう思うでしょ? 同じネコ科だもん! イイと思ったんなら即夜這いが獣人の本分! いや本能よ! というわけで、あんたも頑張って、れっつとらい! べっといん!」

「はいぃ!? むむむ無理ッスよ!」

「女は度胸! 何でもためしてなせばなるから、アタックしなってー」

「いやいやいやいやそんなことしたらアタシなんてゲンコツ一発でぶっ飛ばされちゃうッス」

「ははは、んな訳ないでしょ。人間相手に」

「大丈夫大丈夫、いくら妖精種が非力って言ってもオードの強度で押し切れるわよ」


 姦しくも騒がしい女子衆に囲まれ戸惑いながら、それでも楽しげにエルは笑う。

 その様に知らず、安堵など噛んでいた。妹分の様子を見に訪れた兄貴分、などとは体の良い建前であったのだが。現金なものだ。

 時機を改め出直すか。そうして踵を返そうとした時、娘の猫目がこちらを捉えた。

 笑顔が咲いた。ぱっと、それこそ花開くように。


「兄貴!」


 かの娘の声は、さながら神楽鈴の如く透き通り、また耳孔に響き渡る音色をしていた。室内の喧騒を瞬間、裁ち割るほどに。


「ふにゃ!?」


 静まり返った周囲の様子に、むしろ声を発した当人こそ慌てふためいている。

 ひそひそとした囁きと共に好奇の視線を互いに浴びる。こうなれば、己だけそそくさこの場を逃げ去っては娘が憐れだろう。

 こうした注目の源泉は、上級生が下級生の教室を訪ねてきた物珍しさにもあるだろうが、なにより人間種の男子に対する雌性魔種達の並ならぬ興味関心に根差すところが大きい。値踏み、とも言えようか。

 委細素知らぬと室内へ踏み入る。行儀よく肩身を縮める者より、不躾に堂々と我が物顔を晒す者の方が面白みは薄まる。

 程なく、教室内は当初の騒がしさを半分ほど取り戻していた。残りの半分は未だこちらの様子を窺う心算はらのようだが。

 粗略な己などとは違い、なんとも行儀よく困り顔をするエルを見下ろし、思わず笑みが浮かぶ。


「おう、早速友達ができたみてぇじゃあねぇか。いやぁ感心感心」

「にぇ……もぉ、口に出さないでくださいよぉ。恥ずかしいんスから……」

「なにも恥ずかしがるこっちゃあるめぇ。善くしてくれてありがとう、でいいじゃねぇか」

「兄貴のそういうデリカシーの無いとこはほんっとお爺ちゃんッスね」


 常にないその憎まれ口は、どうやら照れ隠しらしい。


「もしかして、エルちゃんのステイ先の、えっとえっと、噂の兄貴さん!」

「へぇ~、こんな感じ……」

「あ、ど、どうも、こんにちは」

「ああ、こんにちは。これからエル坊が世話んなる。どうか、よろしくしてやってくれ」


 辞儀するこちらに、少年が律儀に応えてぺこぺこと頭を下げる。

 牝獅子の娘は己の頭の天辺から爪先までじろじろと観察に余念がない。

 不意に、するりと、腕に赤い触腕が絡み付いた。

 それは器用に袖を捲り、表面の吸盤で地肌に吸い付く。快とも不快とも言えぬ、名状し難い感触であった。


「お? お、おぉ……んん、これは……なかなか……」

「あっ、ク、クーラさんっ、それは……」

「吸盤で味見されてるわよ、あんた」

「にゃにゃっ!? ちょちょ、なにしてんスか!?」

「あはははは、ごめんごめーん!」


 椅子を跳ね退けてエルがいきり立つ。

 クーラには特に悪びれた様子もないが、触腕はすぐさま腕から離れた。

 赤く吸盤の痕を残す腕にエルが縋り、空気を裂くような無声音を発した。毛が逆立ち、まるきり威嚇の様相である。

 思いも寄らず、娘の反応は劇的だった。


「あぁエルちゃんごめん! ホントごめんてー!」

「他人のオスに唾つけようとするからだ」

「フシュッ!? だ、だから兄貴はそういうんじゃないッスってば!」


 腕に縋る猫の手により一層力が篭った。

 なんとも幼気な悋気であった。


「カッカッカッ、それで? 手前のお味はどうだい。お口に合ったかな」

「はい! 結構なお点前で! こんな質と純度のオード私はじめて……なんだかまるで」


 軽口に問うと、蛸の娘は何故か感嘆の吐息を溢す。


「まるで……人間じゃないみたい」

「はぁ? んな訳ないでしょ。どっからどう見てもただの人間じゃん。クーラ、バカ言うんじゃないわよ」

「やー、そうなんだけどぉ。すっごいパワフルっていうかぁ、エネルギッシュ! っていうかぁ。例えると~……そうそう! ノヴァリア先輩だ! 竜種のひとみたい」

「り、竜種!?」

「ふーん……?」


 癖毛の少年が発した驚愕の声は、話の輪の外で聞き耳を立てていた者らにも同等の驚愕を与えた。せっかく減じ、遠ざかっていた好奇の目が、またしてもその数を増す。


「いや、お世辞でもちょっとそれはないかな」

「ノヴァリア先輩引き合いに出すのはねー」

「アッハハハ! そうだよー、人間くんがかわいそうだよ」

「そうそう、比べるにしてもさ、竜種はない。せめて魔獣くらいで抑えめに褒めなきゃ」

「コボルド並のパワー!」

「それは褒めてない」

「テキトーに褒めて点数稼ぎ?」

「蛸ってホント見境なくエロいよね」

「彼氏持ちは帰れッ!!」

「ひどくない!?」


 好き勝手に言いたい放題。下馬評とはこのことか。聞くだに小気味良いやら面白いやら。

 ゆえに己は素知らぬ風で、エルに笑い掛けた。


「聞いたかぃ、この身がなんとかの赤き竜の姫君の如しとよ! いやはや高評過ぎてまあ面映ゆいったらねぇや。なぁ?」

「……そうだとしてもアタシは驚かないッスけどね~」

「おいおい真に受けるんじゃねぇよ。己が上滑っちまうだろうが」


 お道化てふざけて笑う己に、またも律儀に少年が頭を下げた。


「ご、ごめんなさい。クーラさんは、べつに悪気があるわけじゃ……」

「カカッ、なぁに気にしちゃいねぇよ。ほんの軽口だ。だからお前さんもな、そういちいち畏まらんでくれぃ。こっちこそ身の置き所がねぇや。同し人間のおのこ同士じゃあねぇか」

「あ、う、うん。へへ……」

「…………」


 はにかむ少年を微笑ましく思ったその瞬間、一際強くその視線に刺された。

 傍らに立つ大柄。筋骨に鎧われた肉体、天然の武装。級友のアマゾネス・クヌィラにも通ずる野生の美。牝獅子の娘の細い瞳孔が、己を射貫いている。


「どうかしたかぃ。己の言い様になんぞ気に障るところでもあったかな」

「気に障るっていうか、気になる、いや興味がある、かな? クーラの舌の感度はよく知ってるからさ」

「リオ……?」


 少年の呼ばわりにも応えず、獅子獣人リオは不動でこちらを見据えた。じっと、真っ直ぐに、鋭く研ぎ澄ませて。


「試してみたくなっちゃうよね。どう、お昼ご飯の後で軽く運動しない? 柔道場、ああ中庭なら芝生だし」

「いやいや、遠慮しておこう。相手が百獣の女王では、煽てられて登るにしてもこいつぁ“木”の方が高過ぎらぁ」

「そ、そうだよリオ! 危ないよ」


 逡巡もなく首を左右する。有り難いことに、実に気遣わしげに少年もまた己に同調した。


「そーだそーだ!」

「メスライオンが無茶振りしてるぞー!」

「暴力はんたーい」

獣人じぶんの馬鹿力くらい自覚しなさいよ」

「勝負にもなんないってわかり切ってんのに」

「そういうプレイ? 征服欲ぅ、みたいな?」

「彼氏持ちは死ねッッ!!!」

「誰だ今死ねって言ったの!?」


 そうして外野から同情ともヤジともつかぬ声が上がる。非力な人間と獣人が、それも獅子が格闘戦を所望するというのは些かならず非常識だ。結果は火を見るよりも明らか。種族的能力差は歴然にして絶望的。肉体性能もオードも。

 誰も疑いはしない。侮るという心持ちすらなく、憐れみさえ以て。

 人と魔の力の差は、絶対なのだ、と。


「……」


 非難の声にリオは気勢を弱めた、ように見えた。

 冷めたと言わんばかりの面相に、しかし────納得の二字だけが、気配とて見えぬのだ。


「ガァッ!」


 突如、獅子は拳を振り上げた。いやさ、その凶悪な爪を。

 人と魔の区別無く、骨肉を粉砕してなお余る威力を備えたそれ。それが降ってくる。

 己に────ではなく。

 それは。

 傍らの娘子を。

 エルを狙っていた。


「──」


 敏捷性は語るに及ばず。ネコ科の生物の瞬発は鋼鉄の発条ばねの解放に等しい。射掛けた矢の如き速度。鋭く鋭く、鋭い身体稼働。

 もう一刹那、瞬きの間を許さずその爪先は娘子の頭に到達する。片耳を殺ぎ落すだろう。

 暴挙であり、凶行である。

 しかしその“意図”は知れた。

 刹那の半、その手首を掴む。

 さらに半、振り下ろしの勢いを利して、

 振り子のように下方から身体を彼方と此方、入れ替え、捻じり、卓上に。


「ガッフッ……!?」


 引き倒し、その上体を卓面へ押さえ付けた。

 もとより、この獅子には本気でエルを傷付けるつもりなどなかったろう。己がその光景を前に肝を潰してどのように動くのか、ただそれを見るためだけの余興。


の企図、成就せりといったところか? 悪戯も結構だが、少々性質が悪いな」

「ッ!? ぐ、が……!?」

「満足かい、お嬢ちゃん」


 安っぽい捨て台詞を言い置いてその腕を解放する。

 ふと気付けば、耳に痛いほどの重い静寂に満たされた室内。それを見回して、溜息が零れた。

 エルは目を瞬き、何が何やらと言った様子。その頭を慰みに撫でながら、心中に湧いたこの情けなさに思わず呻く。


「大人気ねぇ」






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