短編置き場

天泣馨(あまなき かおる)

ある医者の記録

三月一日


 二か月前この施設に移送されてきた被検体一二〇四番の容体が芳しくない。先日投与した未認可の薬も、一向に効果が見られない。


 流石は我が国最大の大学病院の医師が匙を投げた原因不明の難病ということか。


 だが、諦める訳には行かない。触法医療すら許されるこの施設に、私に治せない病などないのだから。今日また新たに最新論文データを取り寄せた。これらの中に、解決の糸口があるといいのだが。




三月二日


 昨日取り寄せた論文の中に、興味深い物を見つけた。笑顔は万病の薬とのことらしい。


 笑うだけで様々な病を癒せるのであれば、試さない手は無い。


 早速調べてみると、人を笑わせるには実に多彩な方法があるらしい。明日から一つずつ試そうと思う。




三月三日


 早口言葉というものを習得してみた。


 さっそく被検体に試したところ、怯えているように見えた。何故だ。




三月四日


 喜劇というものを暗記してみた。


 被検体の前で暗唱して見せたが、開始まもなく安らかな寝息を立てていた。何故だ。




三月五日


 仕掛け絵本というものを入手してきた。


 被検体に読み聞かせてみたが、私が読むより先に仕掛けに手を伸ばすのを制止したら泣き出した。何故だ。




三月六日


 これまでの失敗を分析し、被検体は笑うことの重要性を理解していないのではないのだろうかという考えに至った。


 直ぐに笑うことの効果をスライドに纏め説明したが、最初の数ページで寝息を立てていた。何故だ。




三月七日


 首や脇腹など、重要な血管附近を擽られると笑ってしまうというデータを見つけた。


 早速被検体に試すと、笑うどころか凄まじく拒絶された。加えて同僚から叱責された。セクハラするなと。


 全くもって性的な気持ちなど抱いていない。何故だ。




三月八日


 被検体が私の面会を拒んだ為、本日の検証は出来ず。


 性的な気持ちなど抱いていないと弁明するも効果なし。私が被検体に発情することは無いと伝えると、激昂した様子で花瓶を投げられた。同僚に。何故だ。




三月九日


 どうやら私は、被検体に対し失礼なことをしていたようだ。人に謝罪する様式を模倣し、菓子折を携え、スーツを着て、平謝りというものをしてみた。


 私より菓子に興味を示していた被検体は、菓子を食べると笑った。思いの外簡単な答えに何故気づかなかったのか。




三月十日


 被検体のデータを確認してみたが、笑う前と後で変化が見受けられない。笑うことによる効果は即効性がないのだろうか。だとすれば継続すればいいだけだ。


 菓子折をもう一度持っていこうとしたら、看護師に止められた。栄養管理が台無しになると。それは問題だ。明日からまた別の方法を考えなければ。




三月十一日


 落語というものを試してみた。


 実際に使われる道具や衣装も揃え、参考にした映像を忠実に再現してみたが、被検体は終始首を傾げたままだった。何故だ。




三月十二日


 私一人では限界があるという結論に至り、同僚に協力を仰いだ。


 彼と協力し、漫才というものを披露してみたが、被検体どころか同僚までも怪訝そうに私を見ていた。何故だ。




三月十三日


「人を笑わせるには、ちゃんと気持ちを込めろ」


 昨日協力してくれた同僚がそう助言してきた。それを踏まえ再検証してみたが結果は同じであった。


 気持ち、感情というものを完全に言語化することは出来ないが、目的が果たされることを希望する思考も気持ちというのならば、それは込めている。一刻も早く笑え、と。




三月十四日


 進歩のない状況を同僚に伝えた。


 一刻も早く笑え、と気持ちと定義できるものをを込めているのに被検体は笑わない。昨日の助言は間違っているのではないか、と。


 そう言うと同僚は苦笑した。「笑いは結果に過ぎない」と。


 笑うことは結果、ならば笑うためには原因が必要ということか。


 ならばその原因を解き明かす。


 非検体が唯一笑ったのは、菓子を食べた時だった。何故笑ったのかを類似する過去記録を参照してみると、どうやら人は美味しいと感じると笑う場合が多いらしい。


 だがそれだと当てはまらないものもある。例えば以前に試した仕掛け絵本。一般的には本は食べない。以前参照した記録にも、本を「読んだ」人間が笑うとあった。読書で味覚は刺激されない。これは「楽しく」て笑うことらしい。もっとも、楽しいと思う以外にも笑う要因はあるらしいが。


 今まで私が検証してきたのは、全て「楽しい」感情が原因の笑いを誘発させるものだった。だが、この「楽しい」と感じる要因は、個体によって大きく異なるらしい。今まで被検体が笑わなかったのは、被検体がこれまで試行したことでは「楽しい」感情を覚えなかったからか。


 いや、もう一つ注目すべきデータがあった。楽しませるために同じ行動をしても、その効果がやり手によって大きく左右されると言ったものだ。段取りが悪かったり、感情を込めてなかったり。被検体は、私が無感情だから笑わなかったのだろうか。私とは違う誰かが同じことをすれば、同じ手段でも笑うのだろうか。


 笑いというものが結局のところなんなのか、今の私には結論が出せない。そもそも感情という物の論理言語化すらままならないのだ。そこから派生する笑いという結果を説明することなど不可能だ。


 少々長くなってしまった。兎も角、手段を変えずにやり手のみを変える対称実験の必要性はあると判断。明日、同僚に私が今まで試したことをもう一度試してみるように頼むことにする。




三月十五日


 同僚に早口言葉を試してもらった。私とは違い同僚は何度も言い間違えたのに、被検体は笑っていた。言い間違いのパターンをトレースして私もやってみたが、被検体は笑わない。何故だ。




三月十六日


 今日は喜劇を試してもらった。同僚は暗記が間に合わず、台本を見ながらだったが、またもや被検体は笑った。


 声のパターンでなければ、或いは手や足の動きか。そう仮定し彼の手や足の動きをトレースしてみたが、また被検体は笑わない。何故だ。




三月十七日


「何故私がしても笑わないのに、お前がすると被検体は笑うのか」


 昨日被検体が笑わなかった後ずっと思考していたが、ついぞ答えが出なかった問いを同僚に投げかけてみた。


「思いを込めているからさ」


「思いとやらならば私も込めている」


「笑えと思うだけじゃ駄目だ。言っただろ? 笑いは結果だって。笑わせるためにどうさせたいか、それが重要なんだよ」


 笑うためにどうするか。人は美味しければ笑う、楽しければ笑う。美味しいと、楽しいと感じさせれば笑うのか。だが食品は看護師に止められる。ならば楽しいと感じさせるしかあるまい。


 だが、その楽しいという基準も個体によって大きく違う。この被験体はどうすれば楽しいと感じるのか。笑った前例である同僚の行動を分析するしかない。


 彼は主な言葉や動きの他に、身振り手振りが多いことが見受けられた。それも要因の一つではあるだろうが、それをトレースしただけならもう試して失敗に終わっている。


 ならば、別の要因があるはずだ。記録を観察していると被検体を笑わせようとする時、同僚自身も笑っていたことに気づいた。被検体を楽しませることが、同僚にとっても楽しかったのだろうか。


 楽しいという感情までは未だ理解が出来ない。だが、表情を真似るくらいならば出来そうだ。少し目を細め、口角を上げてみる。一般的な笑顔に定義される表情にはいくらか近いのではないか。


 明日はこの作り笑顔を行動に組み込んでみよう。


 そういえば、最初に見たあの論文に、笑顔は伝染るというにわかには信じ難いことが書かれてあった。私の、この作り笑顔も被検体に伝染るのだろうか。




三月十八日


 被検体が笑った!


 試したことは前に失敗した仕掛け絵本の読み聞かせだが、声の抑揚と身振り手振り、そして作り笑顔に注意を払うと、被検体は以前の様に先のページを急ぐことなく、私の声に耳を傾け、その上で絵本を楽しみ笑っていた。前回との変化はほんの少しのだが、大きな進歩だ。




三月十九日


 今日は落語をもう一度試してみた。被検体は笑うには笑ったが昨日程ではなかった。訳を聞くと、言い方や格好は面白いが、内容がよくわからないとのことだった。なるほど、明日からは対象年齢も考慮しよう。




三月二十日


 幼児向け教育番組を参考に、人形劇をして見せた。被検体は今までで一番、菓子の時よりも笑っていた。特に兎の人形を気に入ったらしく、持ち帰ろうとすると嫌がった。特段私の手元に置いておく必要はなく、それで被検体が笑うのなら、と、兎の人形は贈与した。


 夜、被検体の様子を見に行くと、被検体は就寝時も兎の人形を抱いていた。誰も盗んだりはしないのに。まあ、治療には影響ないので気にしないでおこう。




三月二十一日


「お前、よく笑うようになったな。」


 同僚に言われて鏡を見ると、意識している訳でもないのに私は笑っていた。悪いことかと尋ねると、そんなことは無い、前までの仏頂面よりは全然いい、と返された。


「笑顔は伝染るしな」


 最後にそう、付け加えて。




三月二十二日


「せんせい、ありがとう」


 すっかり日課になってしまった人形劇の後、被検体はそう言った。


「せんせいのおかげで、わたしまいにち『しあわせ』だよ」


「『しあわせ』? それは笑う原因か?」


「うん!」


「『楽しい』とは違うのか?」


「うん! たのしいからしあわせで、しあわせだからわらって、わらうからたのしくて……あれ?」


 どうやら被検体にもよくわかってないらしい。仕方ない。まだ就学前の幼児にそこまでの語彙力があるとは思えない。


 が、ともかく『しあわせ』なのは良いことではあることは確かだ。


「ならもっと『楽しい』ことをして、『しあわせ』になって、笑わないとな」


「うん! ねえせんせい、もういっかいげきやって!」


 そうねだる被検体。別段今日は予定もなかったので、被検体の気が済むまで人形劇をしてみせた。一時間も経つ頃には、体力が限界に達したのか、兎の人形を抱いて寝てしまったが。


 そうだ。被検体が気に入った兎の人形をもう一つ作ろう。好きなものが増えれば、きっと『しあわせ』だろう。




三月二十三日


 被検体が死んだ。


 未明に急に心臓が止まった。必死の蘇生の甲斐なく、被検体の生命反応が消失した。


 あんなに笑っていたのに。笑顔は万病の薬なのではなかったのか?


三月二十四日


 被検体の葬儀が行われた。と言っても、孤児だった被検体の葬儀など小規模なものだったが。


 ただ白く塗っただけの飾り気のない棺に、最低限の花。読経はなく、施設スタッフによる数分間の黙祷のみ。


 人間の感情なんて、所詮脳の電気信号。死んだ被検体に、魂も、天国なんてものもないのはわかっていた。だが、私は被検体の棺の中に、被検体が大事にしていた白い兎の人形と、昨日贈るはずだった黒い兎の人形を入れた。どうしてそうしたかは、説明がつかない。


 だが、被検体と一緒に灰になった人形を見ても、人形を無駄にしたとは思えなかった。




三月三十一日


 被検体の死以降、業務に集中できない。ずっとボーッとしてしまい、気づけば棺に入れなかった犬や猫の人形を持って、被検体がいた病室に来てしまう。


 もう、ここには誰もいないのに。


 私は、何故。


 被検体は、何故。


 ………本当は、わかっていた。


 被検体の病気は、そもそも現代医療ではどうにもならないものだった。笑顔になろうがなかろうが、被検体の死は覆らなかったのだ。


 なら何故、私は被検体を笑わせようとしたのだろうか。


 いや、それに対する答えは、一つの可能性として列挙されていた。私は被検体を、彼女を『しあわせ』にしてあげたかった。


 残り少ない時間を『楽しく』させてあげたかった。治る治らない以前に、ただ笑って欲しかった。




 けれど、




 何故救えなかった⁉ 彼女の未来を、どうして繋げなかった⁉ 無邪気に笑う彼女をどうして治してやれなかった⁉ いつか本物の兎が見たいというささやかな願いを叶えてやれなかった⁉


 ……ああ、でも、彼女は言っていた。私のおかげでしあわせだと。


 たとえ死ぬとしても、それまでの一時が楽しければしあわせなのか? 生きること以上にしあわせなのか? 笑えることがしあわせなのか? しあわせなら、死人でも構わないのか?


 しあわせとは、何なのだ?


 わからない。寿命も、感情もない私には。


 こんな私が人の生死を握るなど、甚だおかしい。


 なら何故、私は作られたのか?


 私が、医師である意味はあるのか?


 わからない、わからない、ワカラナイ、ワカラ、ラ、ワカラ、ナナナナナナナナナナナナナ……………





 アア、キミ、ハ、シアワセ、ダッタ?




























四月一日


 医療用アンドロイド、コードナンバーH―1150の通算三十八回目のメモリーリセットが完了。


 今回も、上手くいかなかった。




 H―1150は史上最高の医療用アンドロイドと言われていた。古今東西ありとあらゆる名医の技術を完璧にトレースし、どんな手術でも失敗はなく、莫大な統計データから即座に出される診断は決して外れない。


 ただ、H―1150には重大な欠点があった。それは、搭載されたAIプログラムだ。


 あまりにも合理性に偏り、生命倫理を無視する部分から、H―1150は医療の現場から追放された。


 特殊な操作を必要とするH―1150のボディは問題となったAIプログラムでのみ制御が可能。加えて、既にいる人間の医者の論理回路をトレースすれば、H―1150が扱える医術の多様性を殺してしまう。故に、H―1150が医療用アンドロイドとして真の完成を遂げるには、このAIが人の生命倫理を学習する必要があった。


 そのために、専用施設で、あえて治療不可能な死期の近い患者をH―1150に担当させ、H―1150に人の死とそれに伴う倫理を学習させるプロジェクトがスタートした。だが、H―1150は患者の死亡後まもなく論理破綻を起こし、機能停止に陥ってしまうことばかりが続いた。


 無謀な挑戦と、中央は年々このプロジェクトへの投資予算を減らし続けている。だが、成功の可能性が少しでもある限り、私は成功の可能性に、いつの日かH―1150が、論理破綻を、彼の心の弱さを乗り越えれる日が来る可能性に賭ける価値はあると思うのだ。


一つの方法が駄目ならば、何度も反復すればいいだけのこと。科学者として基礎中の基礎のことだ。私が成功を信じなくて、一体誰が、彼の医者としての完成を信じれるというのだろうか。




 初期化されたH―1150を再起動させる。小さなモーター音の後、ゆっくりと彼が目を開けた。


「おはよう。H―1150。私は君の同僚さ。よろしくね。」

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