第2話 クールじゃなかった遠くん

 ダメだ。ちゃんと稽古に身が入らなかった。今日は何度、武藤先生に注意されただろう。


「ありがとうございました!」


 稽古が終わり、正座の姿勢から一礼すると、武藤先生は皆に向かって話を始めた。


「凜ちゃんと遠は、来週から期末試験なのでお休みです。二人とも頑張ってね」

「はい」

 わたしは返事をしたけど、遠は不満そうに顔をしかめる。

「……俺は稽古休む気は」

「はい! 二人とも頑張ってね! では皆さんお疲れ様でした」


 武藤先生は、遠の言葉をさえぎるように告げると、さっさと話を締めくくった。

 遠ってば、テスト中も稽古に出るつもりだったのか。と言うことは、しずちゃんの件は保留かな? もう来週から期末試験だし。


 そう。テストも頑張らないと、楽しい夏休みがなくなっちゃう!

 赤点を一科目でも取ると、夏休みは補習を受けなければならない。そんなのは絶対にごめんだ。


「凜ちゃん」


 着替えに行こうとすると、武藤先生に呼び止められた。振り返ると、先生は逃げようとする遠の襟首を掴んでいた。

 あ、なんかイヤな予感。


「先生、なんでしょう?」

「よかったら今週遠と一緒に試験勉強してもらえる? 放っておくと夕方まで稽古してるのよ。この孫は。試験の前の日でもね」


 小学生の頃も、夏休みの宿題とか冬休みの宿題とか、先生に頼まれて一緒にやったっけ。

 前だったら、遠と一緒に過ごせる時間ができたことを喜んでいたところだけど、今は不思議と喜べない。


「花宮とじゃなくても、ひとりでやるし」

「やらないから凜ちゃんにお願いしてるんでしょうが」

「えー」

「えーじゃないでしょうが。凜ちゃん、お願いできる?」


 遠は不満そうだけど、やっぱり先生には逆らえないみたい。

 どうしよう。遠と一緒に過ごすのは微妙なんだけど、先生のお願いを断るのは難しい。


「……わかりました」

「ありがとう。凜ちゃんのお母さんにもお願いしておくわね」


 武藤先生にとっては、わたしも遠もまだ小学生のままなんだろうな。

 武藤先生は安心したのか、遠の頭をポンポンと叩いて「頑張ってね」と言い残して着がえに行ってしまった。

 遠とふたり残されて、気まずい空気が流れる。


「……お前も断れよ」

「先生の頼みを断れると思う?」

「…………だよな」


 遠は深いため息をついた。

 そんなにイヤなのかと思うと、ちょっとだけ傷つくんだけどな。


「あ、他の子も誘おうよ」


 お互い仲がいい友達を誘えばいいんじゃないかな。と思って提案したつもりだったけど。なのに。


「え、タダノさんに声掛けてくれんの?」

「え? ちょっと待って。しずちゃんを呼ぶなんて言っていないんだけど」

「頼む!」


 拝まれても困るから!


「しずちゃんに聞きもしないで決められないよ。でも断られる可能性もあるから!」

「わかった! でもできるだけ頼む!」

「無茶言わないでよ」

「取りあえず頼む!」

「えぇ……」


 遠ってば、しつこい! もっとクールだと思っていたのに、こんなにしつこい奴だったなんて。

 このままじゃ帰れないし、どうしよう……雫さん、助けて!


「…………わかった。しずちゃんに聞いてみるから。もししずちゃんが来たら、連絡先とか自分で聞いてね」


 よし。遠のことは、雫さんに任せてしまおう。


「もちろん! さんきゅ!」


 遠はものすごくいい笑顔を浮かべるものだから、どきっとしてしまう。

 全然クールじゃないし、わたしのこと女の子だとおもっていないし、お姉ちゃんからしずちゃんに心変わりしちゃうし、もうこんな奴なんて、と思うけど……やっぱりまだ好きって気持ちが残っているのかな。


「じゃあな、また来週!」


 ウキウキとした足取りで体育館を去っていく遠の後ろ姿を見ながら、思わず大きなため息をついた。

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