第7話 はじめての、キス


「じゃあ帰ろっか。りん」 

 

 カッコよかったと言われたのが、よっぽど嬉しかったらしい。

 雫さんはご機嫌な様子で防具を前かごに押し込むと、自転車のハンドルを握った。


「はい、後ろ乗って」

「あのさ、雫さん」

「ん? なあに?」


 雫さんの目には、遠はどう映った?

 遠はお眼鏡にかなったの?


 気になるけれど……今この話題を持ち出したら、雫さんのご機嫌を損ねてしまいそうな気がする。


「ううん、なんでもない」


 ひとまずその話は家に帰ってからかな。

 なぎなたを抱えて後ろの荷台に座ろうとした時、稽古着のまま遠が駆け寄ってくるのが見えた。


「ちょっと……待って!」


 全速力で走ってきたた遠は、息を整える間もなく雫さんの前に立った。


「タダノさん。さっきはすごかった! また会えた時はぜひ試合をしよう」


 握手を求めるように手を差し出す。

 遠は緊張と興奮で耳まで真っ赤だった。


「…………わかった。覚悟しておけ」


 ニヤリと笑うと、がしっと遠の握手に応える。

 ……雫さん、美少女キャラはどこに行った。


「じゃあ帰ろっか。りん」


 もう遠の相手をするつもりはないらしく、さっさとサドルにまたがった。わたしも荷台に座ろうとすると、遠が責めるような声を上げる。


「なんで花宮が後ろなんだよ。タダノさんが大変だろ」

「遠くん。わたしがりんを乗せたいの」

「でもさあ」


 だよね。でもこれ、雫さんの希望だからなあ。


「今日ワンピースだから。しず、さんが……ペダル漕いだら裾がめくれちゃうからって」

「花宮の足なんて、見えたって誰も気にしないって。それに稽古の時に、そんな服来てくるなよ」

「……そうだよね」


 普段なら気にしない一言なのに。

 ああ、わたしってつくづく遠に女の子扱いされていないんだって、改めて気付いてしまった。

 屋敷神様にお願いなんかしても、きっと無理なんだろうな。


「口を慎め。小童こわっぱが」


 突然、雫さんが厳しい声を上げた。


「やはりお前には任せられない。行くぞ、りん」

「……うん」


 逃げるように荷台に座ると、雫さんの背中になぎなたごと抱き着いた。

 その背中の温かさに、涙が出そうになった。


* * * *


「りん、今日はゴメン……」


 雫さんの謝罪が背中越しに聞こえてきた。背中に耳を当てると、くぐもって声が響いてくる。


「本当はさ、この姿で遠をそそのかしてやろうと思っていたんだ」


 やっぱりそうだったんだ。


「わたしのお願い、叶えてくれないの?」

「基本的には、りんの願いは叶えてあげたい。でも、ずっと見守ってきた大切な女の子だから……おかしな奴には渡せないよ」

「ふうん……」


 遠は雫さんのお眼鏡に叶わなかったってことか。


「まあ遠はまんまと引っ掛かってくれはしたけど、わりと良い奴だった。でも」

「でも?」

「りんを傷付けたのは……許せない」


 途端、自転車がふわりと浮いた。


「雫さん!」

「大丈夫。しっかり掴まってて」


 雫さんは、いつの間にか男の人に戻っていた。

 足元が地上からどんどん離れていく。怖くて雫さんの背中にぴったりとしがみついた。


 学校や住宅街が、河川敷でサッカーをする小学生もミニチュアみたいに、どんどん小さくなっていく。


「どうして浮いてるの?!」

「りんと二人きりになりたかったから」


 照れくさそうに言ってるけど、こっちはそれどころじゃない。


「そうじゃなくて!」

「りんはボクが神様だってこと忘れてない?」

「忘れてた!」

「あはは、やっぱり」


 雫さんは自転車から飛び上がった。しがみついているわたしも、雫さんと一緒に宙に浮いた。

 バランスを崩して小さく悲鳴をあげる。


「ほら、大丈夫だよ」


 差し出された手を掴むと、ゆっくりと引き寄せられる。さらに地上から遠ざかっているのに、不思議と恐怖は薄れていった。


「空の散歩も悪くないでしょ」

「うん」


 雫さんの笑顔につられて笑うと、ぎゅっと抱きしめられた。


「し、雫さん?」

「やっぱり、ボクにしておかない?」

「……どういう意味?」


 それは一瞬の出来事だった。

 雫さんの顔が近付いたかと思ったら、柔らかいものが唇が重なった。


 神様の唇も柔らかいんだ……じゃなくて、今のは……わたしのファーストキス?!


「こういう意味」


 まるで獲物を見つけたかのように、物騒な笑みを浮かべた。


 

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