第4話 コミュ力高めな雫さん

 なぎなた教室は、近所の体育館を借りて稽古をしている。

 体育館に入る前に、まず確認しないといけないことがあったのを思い出した。

 

「雫さん。名前どうする? 苗字ってある?」

「苗字はないよ。ただの『しずく』だから」

「あ、今のはどう? タダノが苗字! タダノシズクでいいんじゃない?」


 我ながら名案だ。雫さんのことだ。「いいよ」って言うかと思っていたら、驚くことに首を横に振った。


「それはダメ。神様たるもの、名前をそう簡単に教えてはいけないんだよ」

「でも……」


 初対面で、あっさり自分から名乗ったよね?

 するとわたしの疑問を読み取ったかのように、雫さんは笑った。


「りんは特別だから」


 予想外の言葉と、向けられた優しい眼差しに、思わずドキッとする。


「それって……」


 どういう意味? と尋ねようとした時だった。


「凜ちゃんおはよう!」


 背後からの元気な声にさえぎられてしまった。この声は……。


美沙みささん、おはようございます」

「今日ワンピースだ。可愛い! 似合うよ!」

「あ、ありがとうございます」


 さっそくワンピースに気付かれてしまった。

 嬉しいけど、褒められるのは、少しこそばゆい。


 美沙さんは、なぎなた教室の先輩せんぱいだ。美沙さんは社会人で、デザイン会社で働いているらしい。

 年齢は「永遠の十六歳よ!」って言っているけど、この前「今年で三十路みそじに突入だよ……」と嘆いているのを聞いてしまったのは内緒である。


「あら? お友達?」

「はい。オトモダチです……」


 しまった。まだなんて呼んでいいか聞いていないのに。

 どうしよう。思わず雫さんを振り返る。すると、雫さんはお行儀よく、ぺこりとお辞儀をする。 


「はじめまして、タダノと申します。今日は突然で申し訳ありません。りんちゃんからお話を聞いて、なぎなたに興味を持ってしまって……今日は見学させていただいてもよろしいですか?」


 そこには清く正しい美少女がいた。まるで雫さんとは別人みたい。

 思わず見惚れてしまったのは、わたしだけじゃなかったみたい。美沙さんも目を丸くして、雫さんに見入っていたから。

 でもそこはさすが社会人。美沙さんはすぐに気を取り直すと、嬉しそうに頷いた。


「そっかあ。なぎなたに興味を持ってくれるのは嬉しいな。待ってて、念のため先生に聞いてくるから」


 先に行くね! と言い残して美沙さんは走り去った。重たい防具と長いなぎなたを持っているのに元気な人だ。


「……えーと、苗字はタダノということで……下の名前はなんて呼べばいい?」


 改めて尋ねると、雫さんは「うーん」と宙を見上げて考え、不意にぽんと手を打った。


「じゃあ『しず』」

「え?」

「だから、タダノ、シズ。よし決まり!」


 え? 「しずく」だから「しず」ちゃん? さっき名前は簡単に教えられないとか言ってたよね?

 なのに、この安易あんいなネーミングって。


「…………ワカリマシタ」


 ちょっとでもドキッとした自分がバカだった。




 体育館に着いた途端、教室の人たちは大騒ぎだった。


「凜ちゃんのお友達なんでしょう?」

「あらまあ、きれいなお嬢さんね」

「シズちゃんっていうの、よろしくね」

「見学だけじゃなくて、よかったら体験もしていかない?」


 普段は落ち着いている武藤先生まで、うきうきとしている。

 この教室はわたしと遠以外は、皆社会人だ。きっと若い人が増えて欲しいんだろうなって思う。


 でも皆さん、ごめんなさい。雫さんは遠を品定めしに来ただけなんです。

 皆の嬉しそうであればあるほど、申し訳ない気持ちになっていく。


「凜ちゃんと同じ学校の子じゃないわよね。どこで知り合ったの?」


 美沙さんと仲良しの志保さんが尋ねる。

 しまった。どんな友達かまで考えていなかった。

 救いを求めるように雫さんを振り返る。すると「まかせて」とウインクをしてきた。


「りんとは、文通友達なんです」


 文通?! 今時ないない!

 慌てて二人の会話に割って入った。


「えっと、ネットで知り合ったんです。SNSでなぎなたやってるって書き込んだら興味持ってくれて」


 ね! と同意を求める。雫さんも話を合わせて、ニコニコとしている。


「へえ、さすが今時の中学生」


 志保さんは感心したように頷いた。


「でも個人情報流したら危ないから、ほどほどにしたほうがいいよ」

「はい」


 なんとか誤魔化せたようだ。うっすらかいた冷や汗を拭う。

 ふと気が付くと、雫さんがいない。


「あれ? しず……しずちゃんは?」

「ああ、とおるくんと一緒にモップがけ手伝ってくれているよ」


 すでに稽古着に着替えたあおいさんが、体育館の片隅を指差す。

 そこには稽古着の遠と雫さんが、モップを手にして何やら話をしている。


「いつの間に……」

 

 すごい……コミュ力高いな雫さん!

 そうじゃなくて、いつの間に遠に近付いたの?!


「ふうん。うちのなぎなた男子も美少女には弱いのかな?」


 美沙さんのひと言は、それはもう的確にわたしの心を貫いた。

 遠は普段愛想の欠片もないくせに。ずいぶん楽しそうだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る