洋館の記憶
ヤン
第1話 引っ越し
四月になって、母の実家のあるこの町に、とうとう引っ越してきた。ほとんど馴染のない場所。ここでこれから新しい生活が始まる。
母が、勤めていた会社で何かがあって病院に通うようになって二年くらい。限界が来たのだろう。去年突然会社を辞めてしまった。
「ここに帰ってきたらいい。一緒に暮らそう」
祖父の申し出に、母はなかなか「そうします」と言わなかったが、
「助けてもらえばいいじゃん」
私のその言葉で、母は決心した。
ちょうど中学三年で受験の時期だったので、学校を決めて試験を受けなければならなかったが、何とか上手くやった。それからは、荷造りの日々だった。
それまで付き合ってきた友人たちと別れることは残念だったが、思い切るしかなかった。母に養われている身だから、仕方のないことだ。
電車を降りホームに立つと、風が強く吹いた。今までいた土地よりも、ずっと寒くて、まだ冬みたいだ。思わず体が震えてしまい、マフラーをしっかりと巻き直した。母が私をじっと見て、はーっと息を吐く。
「
「寒くない」
強がりを言うと母は肩をすくめ、自分の肩にかけていたショールを私にかけてくれた。あったかい。
十分ほど歩いた所に、祖父母の家がある。モダンな洋風建築だ。広い庭にはいろんな木が生えていて、もっと暖かくなれば花もたくさん咲く。かなり前の記憶ではあるが、今もたぶんそうだろう。誰が管理をしているのだろう。
門を開けて入り、玄関でベルを押すとドアが開けられた。あまり記憶にないが、祖母のようだ。
「寒かったでしょう。中に入りなさい」
背筋の伸びた、しゃんとした女性だ。母とはあまり似ていない。
祖母に言葉を掛けられ、母はお辞儀をしてから、
「ただいま、母さん」
笑顔もなく言った。病気になってから、あまり笑わなくなった。当然かもしれないが。
私は、母に倣ってお辞儀をした後、
「えっと、お邪魔します」
ついそう言うと、祖母が私の肩を軽く叩き、
「薫ちゃん。今日からはここがあなたの家なんだから、『ただいま』でいいのよ」
「あ、そうか。ここが、家なんだっけ」
今さらなことを口にした。まだ全然実感が湧かない。が、「ただいま」と言い直してから上がった。廊下が長い。
今までほとんど母と二人で暮らしていた。父のことは何も知らないに等しい。母も父について語らない。離婚なのか死別なのかすら私は知らない。いないものはいないんだから、聞いても意味がない。そう思って生きてきた。これからもたぶん、同じだろう。
二人でのアパート暮らしに慣れていたので、この大きな洋風建築の家で暮らすのは、何だか不思議な気がする。
(これからどんな人生を送ることになるんだろう)
期待と不安がない交ぜになっていた。
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