第8話 誰かのために
『ウィナフレッド。痛みを感じる箇所はありませんか?』
再び行われた装従席の中での治療を終えて、ミコトが顔を覗き込んでくる。
「うん、大丈夫」
体中の感覚を確かめたウィナがそう答えると笑みが返ってきた。彼女はウィナの手に触れると静かに目を閉じる。
『この機体はウィナフレッドのものです。当方はその意志に従います』
それはウィナに対し、かしずくような物言いだ。バルネットの言っていた、騎士を選ぶというのはこういうことだったのかと思い至る。
もしこれが幼い自分だったら諸手を挙げて喜んでいたかもしれない。しかし、今のウィナにとっては困惑の気持ちの方が大きい。
なぜ自分が
だが――。
「色々聞きたいことはあるけど……ありがとう、ミコト」
ウィナはゆっくりと頭を垂れる。この不思議な少女とは、主従ではなく友人として接したいと思った。
「頭の中がごちゃまぜで、これからどうすればいいのか全然わかんないんだけど――けど、生きてるってことが凄く嬉しい。ありがとう」
短く何かを訴えるような短音が鳴って、暖かい手が頬に触れる。
『いいえ。当方もウィナフレッドと再び言葉を交わすことができていることを、嬉しく感じています』
見れば紅の瞳はすぐ近くにあった。その視線を受け止めて、ウィナは静かに息を吐く。
『おい! 忌獣が死んでるぞ!』
「わっ!?」
突然の声にびくっと体が跳ねた。ミコトも同じように目を丸くして手を離す。
『この
『ああ、間違いない。誰かが乗ってるのか?』
『技師長を呼んでくる!』
声は独特の響きを帯びている。どうやら外部の音のようで、ウィナはミコトと顔を合わせた。
「とりあえずみんなに顔を見せて、ミコトが助けてくれたって言わないとね」
紹介しなきゃ、と席を立つが、当人は人差し指を顎に当てて困ったように首をかしげる。
『当方の姿はウィナフレッド以外には視認できません。当方はウィナフレッドの呼称する【精霊】と類似する存在です』
精霊とはその名の通り、神の末端である微精霊の上位存在だ。微精霊とは違い、自らで存在を保っていられる力を持つが、認識できる人間が限られる点では同じだ。微精霊の見えないリタがいい例だろう。
しかし、ウィナは思い至る。
「こんだけ滅茶苦茶やってるんだから見えないくらい、どうってことない話よ」
そう言うとミコトの顔がぱっと晴れた。
『おーい! 誰か乗ってんのか!?』
野太い声と金属を叩く音が響く。その声には聞き覚えがあった。
「おっちゃんだ! ミコト、開けて!」
『胸部装甲、開放します』
ミコトの手のひらで魔術式が発動し、装従席が開かれる。外に出ると森の青臭い香りに交じって、嗅ぎなれない不快な匂いが鼻孔を刺激した。
これは化け物の死骸の匂いだ。
深く息を吸い込むのを我慢しつつラグナの足元に声をかける。
「おっちゃん!」
「じょ、嬢ちゃんか……?」
こちらを見上げたラウルはこれ以上ないほどに目を開いていた。それこそ幽霊を見たかのような表情に慌ててラグナの手を伝って地上に降りる。
「うん! ごめん、心配かけて、どこから説明すればいいかわかんないんだけど――わっ……」
言いながら駆け寄ると、大きく硬い手に肩をがっしりと掴まれた。驚いてラウルの顔を見る。
そこには大粒の涙が流れていた。
「死んだかと……死んだかと思ったじゃねぇか! おめェが死んだら俺はどうアドリアーナに……」
「……ごめんなさい」
ラウルは怒鳴りながらも、その声は徐々に消え入るような涙声に変わる。肩を掴む彼の手は震えていることに気づき、ウィナはしおれるように詫びた。
涙を地面に落としていたラウルはひとつ長いため息を吐くと、泣くのをやめて顔を上げる。そして、傍らに膝をついたラグナを見上げた。
「こいつを呼んだのはまさか、嬢ちゃんじゃねぇだろうな」
「たはは……。それがまさかなんだよね」
頭の後ろに手を当てて誤魔化すように言うと、ラウルは広めの額に手を当てて空を仰ぐ。
「嬢ちゃんがこいつに転げ落ちた時から――いや、遺物を見に来るって聞いた時から予感はしてたぜ。そういうもんなんだろうな」
「なにが?」
「引かれ合うんだろうよ。騎士と
そう言うラウルの表情を見て、ウィナはスカートをぎゅっと掴みラグナへ視線を移す。
ラグナとの邂逅は様々な偶然が重なったもので、運命的なものを感じる部分はあるだろう。しかし、それを語る彼の表情は暗かった。何かを悼むようなその顔は、ウィナを通して別の誰かを想っている気がした。
ウィナが口をつぐんでいると彼は踵を返しながら言う。
「細けぇことはあとで聞きゃいい。いったん顔を見せてやんな。みんな嬢ちゃんが死んだと思ってンだ」
言われて、自分が直前までどんな状況だったかを思い出した。死に瀕して送り出した少女の顔が頭に浮かんでウィナは声を上げる。
「リタは!?」
◇
「ウィナお姉さまぁっ!」
ラウルと共にキャンプへと徒歩で戻ったウィナは、走ったままの勢いで飛びついてくる少女をなんとか受け止める。リタのスカートはあちこちほつれたり、土汚れがついていたりと、ここに至るまでの過酷さが伺えた。
それでも抱き締めてくる力は苦しいくらいに強い。ウィナはそれに応え、包み込むように小さな体を抱き締める。
「リタ……! 無事でよかった! 本当にごめん。怖かったよね」
腕の中から声にならない声が上がって、そこには涙と汚れでぐしゃぐしゃになった顔があった。
「生ぎてでよがったぁ……! お姉ざまぁ……!」
リタはそう言うと火がついたように泣け叫び始める。彼女のこんな姿を見るのは初めてで、ウィナは困惑しつつも頭を撫でた。
少女の体温と涙を吸った服が熱い。気を抜くと一緒になって泣き叫んでしまいそうで、リタの髪に頬を擦りつけて耐える。
「ラウル。本当に彼女が……?」
軍服を着た男が近くでウィナ達を傍観していたラウルに囁いた。
「嬢ちゃんの言うことを信じればな……。まぁ他にいねぇだろ」
「血の為せる業か」
「嬢ちゃんは養子だ。直接言うんじゃねぇぞ」
二人のやり取りを聞いて、ウィナは視線を向けずにむっとする。
本人たちは聞こえないように話しているつもりなのだろう――実際は丸聞こえだが。
このまま会話をされるのも居心地が悪いため、ウィナはあえて話を振った。
「他のみんなは? バルネットは無事?」
「ひよっこは全員、中にいたからな」
返答にじゃあ外の人は、と聞こうとして思いとどまる。
ラグナに乗っての戦闘中、倒れている
その時は気に留める余裕がなかった。あれに乗っていた騎士はどうなったのだろうか。
「そんな顔すんな」
悔しそうな声で我に返る。ラウルは大きく首を振って周りを見た。
「お前さんがいなけりゃ、俺たちは仲良くくたばっちまってンだ」
キャンプを見回すと綺麗に張られていた天幕は無残にも倒れ、遠くには煙が上がっている。ついさっきまでシチューの香りが漂っていたはずの場所に、今は微かだが確かな死の臭いがあった。
「隊長!」
若い兵が走りながらこちらに呼びかけてくる。反応したのはラウルと話していた男性で、息を切らした兵は彼に駆け寄った。
「報告です。ライニーズに向かっている忌獣は――」
「待てバカ野郎!」
突然、ラウルが怒号を上げる。その気迫に兵は閉口したが、ウィナは彼が言いかけたことを聞き逃さなかった。
「ライニーズ? どういうこと?」
尋ねると、ラウルが苦虫を嚙み潰したように顔を歪ませる。
報告に来た兵の様子はただ事ではないように思えて、さらにウィナは問い詰めた。
「ライニーズにあの化け物が向かってるの?」
「いや、違げぇんだ。嬢ちゃんが心配するこたない。まずは二人とも座って休んでな」
ラウルは顔の前で手を振って、リタと共に残っているテントへと移動させようとする。
「でも今――」
「ライニーズに忌獣が向かっている。準大型一体、中型三十以上、小型に関しては百以上だ。守備隊だけでは到底守り切れんな」
なおも食い下がろうとしたウィナに返事をしたのは、隊長と呼ばれた男だった。
「てめぇ……」
唸るような声は決して大きくないが、先ほどの怒号を上回る怒気を含んでいる。
隊長にラウルが詰め寄ると、ウィナはリタと共に距離を取った。
野生の熊のようなラウルに鼻先が触れそうなほどの距離に迫られても、隊長は平然と話を続ける。
「ラウル。君にとってその子は孫娘のような存在なのだろうが、私には獰猛な獅子の類にしか見えない。少女とはいえ
「隊長さんよぉ。すまねぇが引っ込んでろ! 領主様から嬢ちゃんのことは俺に一任されてンだ!」
「できるだけ彼女の好きにさせろと、だろう?」
ウィナが間に入ろうと体を動かすと、ウィナのスカートを握る小さな手に力が入ったのがわかった。
目の前で怒鳴り散らすラウルは自分を庇ってくれている。それはライニーズが襲われているという事実から生じる不安と恐怖と――戦いからだ。
隊長の言うことの全てが本当なのかはわからない。もしかしたら忌獣はライニーズに行かないかもしれないし、仮に襲撃にあっても街の軍隊が撃退できるかもしれない。
でも、とウィナの脳裏にフィロメニアの顔が浮かんだ。
もし彼女の身に何かあればウィナは生きる意味を失う。フィロメニアだけではない。自分を気にかけてくれた人、言葉を交わした人、共に時間を過ごした友人が街にいる。
考えられる最悪の結末。それを回避できる可能性がウィナにはある。
「二度と嬢ちゃんはあれには乗せねぇ。てめぇみたいな汚ぇやつの思い通りにはさせねぇぞ」
「なんとでも言ってくれていい。あそこには妻と子がいるのでな。それに私の思惑など意に介さんだろう。――そういう目をしているぞ彼女は」
隊長の目がこちらを射抜いた。
不快な視線だ。わかったような事を言って、人を動かそうとするそのやり方は確かに汚い。
ウィナは手櫛で後ろに束ねた髪を梳かしながら答える。
「うん……。まぁ正直何を言われてもって感じ。顔はベタベタするし、髪もゴワゴワだし、体もバリバリだし。お風呂入りたいなーって」
自分でもびっくりするほどやる気のなさそうな声が出て、ラウルが毒気を抜かれたような顔で振り向いた。
「でも」
付け加える。リタが顔を上げてウィナのスカートを引っ張るが、言葉を続けた。
「フィロメニアに今日中には帰ってこいって言われてるんだよね」
その場に沈黙が流れる。
「お、お前ェ……子供の使いじゃねぇんだぞ……。わかってンのか!」
怒鳴られて、ウィナは左腕に巻き付いた腕輪を空に掲げた。
ここに来てほしい、と腕輪に祈る。
遠くで衝撃と土煙が上がった。何事かと兵たちがどよめく中、数拍置いてキャンプを振動が襲う。
「
ウィナは体を見せつけるように両腕を広げた。その後ろには、巨大な人型の影――ラグナを背負いながら。
ウィナの白いエプロンは赤く染まり、暗い色のワンピースからも乾いた血がぽろぽろと落ちる。
目を見開いたラウルはよろめいて言葉を失った。
ウィナは振り向いて、ラグナの手を伝って装従席へ潜り込む。
「ミコト。もう少し頑張らなきゃいけないみたい。付き合ってくれるかな」
声をかけるとミコトは座席の後ろ側に光を伴って現れた。
『はい。それがウィナフレッドの願いであれば』
紅い瞳の少女はにこっと笑い、手を差し出してくる。その手を握り、導かれるように座席に体を収めた。装甲が閉められると共にウィナは結晶の鎧に覆われる。【眼】がその形を変え、緑玉色の計器を映し出した、その時――。
『行くな、ウィナ!』
――呼び止めてきたのは目を赤くはらした幼馴染だった。
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