第3話 手を伸ばした先で

 そこには一体の巨人が、手足を投げ出して瓦礫に身を横たえていた。


 ライニーズで見る魔装ティタニスよりも角張った装甲に、深い青を基調としたデザイン。表面は土埃に汚れ、所々装甲がなく、内部構造が露出していて、見るからにボロボロといった状態だ。


 しかし、その巨大な人型は間違いなく魔装ティタニスだ。


「うわぁ……」


 目の前の光景に、ウィナだけでなく学園の同輩たちからも声が漏れる。


 馬車で何時間も揺られ、到着した鉱山で、ウィナたちはさっそく遺跡の中へと案内された。中はかなり広く、人間の手では不可能なほどに滑らかな岩肌を見せている。


「アドリアーナのとこの嬢ちゃんか?」


 ウィナが巨人の形姿に感服していると、壮年の男性が近づいてくる。アドリアーナとはウィナの母の名だ。男性を顔を見てウィナは目を丸くした。


「ラウルのおっちゃん?」


 おっちゃん、と呼ばれて男の顔がこぼれるような笑顔に変わる。


「やっぱりそうか! いやぁ、久しぶりだなぁ! その服装、今は領主様んとこのメイドだっけか?」


「そうだよ。フィロメニアと一緒にいる。元気そうだね」


「おうよ。嬢ちゃんこそタッパと胸はあんまり育ってねぇようだが、美人に育ちやがって嬉しいぜ……!」


「前半は余計だよ!」


 まるで自分の子供の成長を喜ぶように目頭を熱くしたラウルに、ウィナははにかんだ。そのまま思い出話に突入しそうな雰囲気だったが、恐る恐る案内役の兵が間に入る。


「技師長……」


「あいや、そうだったな」


 ウィナの後ろで置いてけぼりを食らっているバルネットたちに気づいたのか、ラウルは頭を掻いて気を取り直した。


「そっちは頼んだ。嬢ちゃんに見せろって言われてんのはこっちだ」


 そう言ってラウルは奥へとウィナたちを手引きする。後ろでは兵の指示に従って、バルネットたちが魔装ティタニスの足元へ向かっていった。





「遺跡から出てくるものの大半はガラクタでな。遺物ってのはこういう物のことだ。どうだ?」


 ラウルは布の上に広げられた様々な形の金属片を指して言う。


 ウィナはしゃがみ込んでそれらを凝視した。リタも興味があるようで、隣で同じように膝を折る。


「うーん……」


「例の夢に出てくるもんはねぇか?」


「触ってもいい?」


「好きにしな。多少傷ついても誰も気にしねぇよ」


 仮にも遺物と言われる物の大雑把な扱いに「そういうものなんだぁ」と漏らしつつ、折り重なるように置かれた金属板を除けてみる。

 土埃や錆に塗れたそれらをよく見ると表面に文字や記号が記されているのに気づいた。ひとつを手に取って表面を手で払う。


 改めて並ぶ文字を目で追うと――。


「っ……!」


「リタお姉さま?」


 咄嗟に顔を背けて目を引き剥がしたウィナに、他の遺物を眺めていたリタが気づいた。


「……ううん、ちょっと埃吸っちゃっただけ」


 そうウィナが言うとリタは苦笑して、すぐに遺物へと視線を戻す。どうやら本当に惹かれるらしく、眺めるさまは真剣そのものだ。

 楽しそうだし連れてきてよかったな、とウィナは小さく息を吐くと、再び遺物の文字へと目を走らせた。


 視界の中で文字が光る。


 汚れや傷などで形が不完全となっていると思われる文字をウィナの視界が勝手に補完しているのだ。その他にも記されている文字の側に何かを表示したり、形状の異なる文字を浮かべたりしている。ウィナには古代文字の知識がないからそれらの意味は理解できない。


 そのはずなのにある一文に目が留まって、知らずのうちにその音を口から漏らしていた。


「らぐな」


 ――その時、澄んだ鈴の音がした。


 はっとして周囲を見回すが、それらしいものはない。近くで鳴ったような、遠くで響いたような、そんな鈴の音が聞こえたというのに。気がつけば真横でリタが目を丸くしていた。だが、彼女の反応はウィナの予想とは異なるものだった。


「ウィナお姉さま、古代文字が読めるんですか?」


「え?」


「だって、今……」


 確かに聞こえた鈴の音。ウィナの独り言よりもずっと場違いなものだったはずだ。しかし、リタには気にした様子はない。慌ててウィナは取り繕う。


「た、たまたま! 偶々知ってるのがあっただけだよ! ほら、学園でもちょこっと教わるし!」


 口から出任せを言いつつ、本当のことを言えるわけがないとウィナは思った。この視界のこと、読めないはずの文字を見ただけで発音してしまったことなど。


「そうなんですか! さすがウィナお姉さまです」


 不思議そうだったリタの顔がぱっと明るいものに変わる。どうにか誤魔化せたようで、ウィナは心の中で胸を撫で下ろした。


 鈴の音は何かの音が跳ね返ってそう聞こえただけかもしれない。坑道に来たのも初めてだと理由でウィナはいったん納得しておく。


 だけど凄く綺麗な音だったな、とウィナは思った。





「すまねぇな。こんなとこまで来てもらったのに」


 ウィナが夢に関連する遺物について、大した収穫がなかったことを伝えるとラウルは申し訳なさそうに言った。

 彼のせいではないだろうに。


 人の良い技師にせめて魔装ティタニスだけでも見て行けと言われ、ウィナはバルネットたちの横に立った。


「なにやってんの?」


「装従席が開くか試している」


 見れば馬車でこちらに来た兵らが一人ずつ、魔装ティタニスを覆うように組まれた足場に乗って、胸辺りを触ったり叩いたりしていた。


 その動きを不思議に思って、バルネットに問いかける。


「あんなんで開くの?」


「水祭前の魔装ティタニスは装従席を開く場合、二通りの方法がある。ひとつは外から特定の場所にある、開閉器に触れる方法。これなら技師でもできる。そして、もうひとつは操縦する資格のある者が開けと命じる方法。つまり、装従席を開く時点で選定が始まっているということだな」


「へぇ~、ロマンある~」


 先ほどから交代して降りてくる兵が大きく肩落として落胆しているのは、そういう理由だったかとウィナは納得する。


「そうだな。だが選ばれるというのは正直、気持ちのいいものじゃない」


「なんでさ」


魔装ティタニスといえど、あれは兵器だ。兵器に選ばれるというのは、兵器の一部になるという気がしてならん」


 その言葉にウィナはバルネットの顔をちらりと見る。腕組みして眺める幼馴染は、苦虫をかみ潰したような顔をしていた。ずっと前、魔装ティタニスを見る彼は目を輝かせていたはずなのに。


 ウィナはバルネットから視線を外し、「そうかもね」と相槌を打つ。


「バルネット候補生! 貴様が最後だ!」


「はっ!」


 バルネットは呼びかけに応じて足場を登る。ちゃっかりと後ろにくっついて近くまできたウィナは、巨人を見上げた。意を決した表情で、バルネットは装甲に手を当てる。


 だが、しばらくして、首を横に振った。


「……駄目だな」


 バルネットの声に同輩たちからも溜息が漏れる。これで全員が選ばれなかったようだ。自分たちが選ばれなかったことはもちろんのことだろう。それに加え、この巨大な鉄の塊を、これから街まで運ぶための作業が発生するという事実への落胆も含まれているらしい。


 ふと見るとウィナは胸部側面の一部が手のひら程度の大きさに光っていた。だが、近くにいるバルネットは気づいていない。


 意気消沈した様子で足場を降りようとするバルネットに、ウィナは声を張った。


「バルネット! もうちょっと頑張りなさいよ!」


「いや、無理だ。魔力の流れすら感じない」


「いいから! ほら、そこの横辺りちょっと光ってるじゃない!」


 ウィナは巨人の胸当ての一部を指差しながら言う。しかし、言ってから気がついた。もしかして見えているのは自分だけなのでは、という懸念が過ぎる。だが今更気のせいだったと引っ込めるのも嫌で、幼馴染に花を持たせられるという期待も込めて続けた。


「いや、もうちょい横だって!」


「どこだ! 何も光ってないぞ! 灯りが反射してるだけじゃないのか?」


「あー! もう!」


 ウィナは我慢できずに足場をよじ登り、バルネットの袖を引っ張ってズカズカと魔装ティタニスに歩み寄る。


「そこだって! アタシじゃ手届かないわ」


「ここか? そんなことで開くわけ」


 バルネットがウィナの勢いに押されて、言われるがままに右手を伸ばした。半信半疑の様子で冷たい装甲に軽く触れる。そして――。


 ――その瞬間、猛烈な勢いで胸部装甲が展開した。


 周囲に鋭い金属音が響き渡り、火花を散らして装甲板が回転する。凄まじい轟音と速度に傍観していた者からどよめきと悲鳴があがった。


「……」


 坑道の中を静寂が支配する。


 危うくバルネットの右手が持っていかれるところだった。


 ウィナとバルネットは無言のままお互いの顔を見交わす。バルネットは真っ青な顔を引き攣らせており、たぶん自分も同じような顔なんだろうと思った。視線をウィナに寄こしたまま、ガクガクと震える手を引っ込めて。


「……右手、ちゃんとあるか?」


「あ、アタシのなら」


「俺の右手の話だ!」


 憤慨するバルネットを他所に、呆気にとられていた皆が正気に戻り始める。


「二人とも怪我ねぇか!?」


 ラウルが慌てた様子で駆けつけてきた。ウィナとバルネットが五体満足であるのを確認してほっと安堵する。


「気をつけろよ……。こいつは戦争するための道具なんだ。下手に触ると死ぬぞ」


「ごめんなさい」


「肝に銘じます」


 さすがに今のは危なかった。ウィナとバルネットは青い顔でうつむく。ラウルは「まぁ開いたのはよかったがよ」と開放された胸部を見やった。


「バルネット候補生! お前に反応したように見えたがどうだ!」


「わかりません! 整備用の開閉器を触ったのかもしれません!」


 下からの曹長の声にバルネットが返す。好奇心を抑えられないウィナはラウルと共に装従席の中を覗き込んだ。


 中には騎士が座るであろう椅子と鐙を中心に、左右に広がる軌条とそれに沿うように取り付けられた桿が見えた。さらに奥には空間があって、余裕のある広さが伺える。


「意外と広いんだね」


「あぁ? 俺には暗くてよく見えねぇぞ。おーい! 誰か灯りを持ってきてくれ!」


 ラウルが手を振って部下の技師に指示を出した。その間、ウィナはまじまじと中を眺めていると。


「えっ?」


 何気なく吐息が漏れた。状況が理解できず、思考が鈍化する。


 最初の感じたのは背中に受けた柔らかで軽い衝撃だ。すると薄暗い空間が見る間に迫ってくる。そして自分の身体が支えを失って落下する浮遊感を経て、ウィナは装従席へと落下した。


「ウィナッ!」


「いてっ……」


 体は椅子に受け止められたようで、さほどの衝撃はない。バルネットの取り乱したような声を聞いて、そこでやっと理解する。誰かに背中を押された。だが、ラウルは足場の下に意識を向けていたし、バルネットは遠くにいたはずだ。


 じゃあ誰が? と浮上する疑問を焦りが押しのける。


 下手に装従席内を触るのはマズい。またすぐに危ない目に遭うのは御免被りたい。薄暗い空間から光の見える方向へ這い出ようとした瞬間――。


「嘘でしょ?」


 先ほども聞いた鋭い金属音と共に、唯一の出入り口が狭まってゆくのが見えた。ウィナの視界が徐々に暗闇に支配されてゆく。


 岩壁に反射して飛び込んでいた最後の光の筋が消える頃、同時にウィナの意識も闇に飲まれていた。

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