マイゴのマイゴのマイゴマン

サムライ・ビジョン

第1話 マイゴマンとたこ焼き

 マイゴマンと呼ばれる若い男がいた。


 その男は春になると黄色いカーディガンを羽織り、夏には赤いアロハシャツ、秋にはネイビーブルーのシャツを着て、冬は深緑のモッズコートに身を包んだ。


 今はまさしく黄色い季節。古びてさえないマンションの、薄いピンクの扉がきしむ。平日はゆったりとしているが、休日はむしろ、朝早くから外へ出る習慣があるようだ。

 彼が「マイゴマン」と呼ばれる所以ゆえんは、これからおのずと明らかになるであろう。


「あら舞原まいはらさん、おはよう」

 ゴミ出しをしている彼女は同じマンションに住む女性だ。残念ながら、私は彼女の名前までは知らない。

「おっ、山田さん。おはようございます」

 挨拶をしたマイゴマンによると、彼女は山田さんというらしい。それはこの際どうでもいいことではあるが。


 この日もマイゴマンは、まっすぐと公衆電話のもとへ歩いていった。キャラメルのような革のリュックを背負って、マンションから通りに出て100メートルほど。つぶれた美容院のすぐ隣に、縮こまるようにして公衆電話がそびえている。人も車もまばらである。


 あたたかい春の日差しを遮るように茂る植木うえきが、マイゴマンがマイゴマンであるための息づかいを、少しだけ隠してくれる。


「う〜ん…」

 受話器を手にとったマイゴマンは、何やら腕組みをして考える仕草を見せている。誰かに電話をかけるなら打ち込めばいいものを、マイゴマンは迷っている。


「090…0429…」

 しばらくの深慮が終わり、彼はそれぞれの数字に指を滑らせた。0429というのは、おそらく今日の日付だろうと思う。これから始まるゴールデンウィーク中の「マイゴ」がかかっているのである。…やがて彼は、受話器を耳に構えた。

「もしもし、すいませんねぇ突然…僕は舞原まいはら遊子ゆうごという者なんですがね?」

 彼のマイゴはここから始まる。


「少ぉしばかり、僕の迷子に付きあってもらいたく…」

 きっと相手方あいてかたは奇妙に思ったであろう。見ず知らずの男からかかってきた電話。その内容が、迷子のお誘いなのだから。


「なぁに、心配には及びません。今この瞬間から…『迷子』は約束されたのですから!」

 きっと相手方は恐れをなしたであろう。知らない人間から、突如として宣言された「迷子」なのだから。理解が追いつくことはないであろうと思う。


「それでは名もなき協力者様…この受話器を置けばとうとう永遠の別れとなります。あなたに迷子のぉ! …あれ?」

 きっと相手方は通話を切ったのであろう。付きあってやる義理はないと思って。


「まぁいい。僕の目的は…果たした!」

 彼は受話器をかけた。私がまばたきをしているうちにも、彼は。彼はあの公衆電話に入っては知らない番号にかけ、相手の反応などお構いなしに自らの目的を果たす。

 まったく、いやらしい人だ。この私が、休日に早く起きるのが苦手だと分かっていての行動だろうか? そうだとすれば、より一層いやらしい人だと思う。

 私はこれだけを見届けると、迷子のひとつでもしようかと背中を向けたのだった。


▲ ▼ ▲ ▼


 ここ最近はなんだか視線を感じるな。ここ最近…つまりは新学期や新社会人など、門出にありがちな4月に入った頃なのだけど…まぁそれはそれとして…


 一体ここはどこだろう?


 いやはや、早くも参ってしまうではないか。どこの街かも…下手をすれば海すらも超えているかもしれないが、僕がいま立っているこの商店街がどこなのか、まったくもって見当がつかないのだ。

 とりあえず、僕の背後を確認するに…先ほど電話に出てくれた女性の家であり職場でもあるのが、ここなのだろうと思う。


「まっちゃん堂」


 商店街の良いところは、こういった力強い「地元感」であると考える。おそらくここの店主は松本やら松浦やら、名字に松の字が入る人物であるはずだ。どうやらこの店ではたこ焼きが売られているらしく、よく見るとソフトクリームの文字もある。

「すいませ〜ん!」

 一体どうしたものか。店番をしている者が誰もいなかったので、店の奥まで届くように僕は叫んだ。


「は〜い! ちょっと待ってくださ〜い!」

 聞こえてきた声は電話をしたときと同じ、うら若き女性のものだった。そして案の定、その姿もまた若かった。

「いらっしゃいませ」

「え〜っと…とりあえず、この8個入りのたこ焼きをお願いします」

 この店には親切にも青いベンチが備えつけられている。あの名曲と同じ青いベンチだ。年季が入っていて、座ると商店街の通りから丸見えだ。繊細な人であれば、ここで食べるには少しだけ勇気が必要かもしれない。


「8個入りですね、分かりました! 少々お待ちくださいね〜」

 ところどころ色の落ちたベンチに座り、僕は改めて彼女を見た。女性の年齢を詮索するのは失礼というものだろう…

 しかし僕は聞く! 聞かせてもらうぞ!

「松本さん!」

「…うぇ? わ、私ですか?」

 たこを入れる手が少しだけ跳ねたが、さすがは店の者。たこ焼きは無事に焼けている。

「あー…ひょっとして松浦さんですか?」

「あ、いえ、私は増田です」


 ますだ…確かに「まっちゃん」でも間違いではないが…まぁいいだろう。

「増田さん、随分とお若いですねぇ」

「まぁ…はい。高2です」

「へ〜え! 高2! まだまだ若くて、まだまだ遊びたい盛りじゃないですか! それでお店に立つなんて…偉い! 舞原、感動しました!」


 拍手をすると、彼女ははにかんだ。そうこうしている間にも、青のりによるピリオドが目視で確認された。

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