音楽群像劇
水神鈴衣菜
青
小さい時から、音楽が大好きだった。流行りとかはよく分からなかったため、とりあえず気になった曲は何度も何度も聞いて、覚えた。だから僕の頭の中にはたくさんの音楽が溢れている。
歌曲も好きだが、ずっと好きだったのは吹奏楽の音楽だ。とある大きな高校の吹奏楽部の動画を見て、その圧倒的なサウンドと熱量、音の厚み、迫力に惚れ込んだ。それからずっとその学校に入ろうと決意して、それが僕の勉強のモチベーションになっていた。吹奏楽の音楽にはずっと救われてきた。
僕の中学校は小さく、吹奏楽部も小さかった。部員は例年20人行くか行かないか。けれど部員の全員が、音楽を心から楽しんで部活に参加していた。僕もそのうちの1人だった。
最初に吹奏楽部の動画を見た時から僕はトランペットに憧れていて、もちろん楽器の第1希望はトランペットにしていた。しかし吹奏楽の花形とも言えるトランペットは人気だし、小学校の時ブラスバンドでやっていた、みたいな人もいたため僕がトランペットを手に取ることができたことはほとんどなかった。
僕の持ち楽器はクラリネットになった。ある曲のソロがとてもすごかったなという印象しか無く、結構難しい楽器ということもあまり知らなかった。
先生曰く「君の唇は木管向きだね」ということらしかった。僕にはよく分からなかったけれどなんだかちょっと嬉しかった。
先輩は優しかった。3年生の女の先輩。いつも笑顔が絶えず、明るい声で僕に話しかけてくれた。
全くの初心者で音感だけはあるが楽譜も読めない僕に音符と音階を一緒に書いたルーズリーフをくれて、この音がドなんだよ、と実際に楽器を吹きながら教えてくれた。配られた楽譜には音階を書いてくれていた。あんなに親切に教えてくれるとは思っていなかった。
だからこそ、先輩の引退が怖かった。
あっという間に1年が過ぎ、僕は先輩になった。後輩は小動物みたいな可愛らしい子。先輩が僕にしてくれたように、彼女にもいろいろと教えてあげたいと思った。
後輩はピアノを習っていたことがあると言う。ならば楽譜は読めるし音感もあるだろう。
「……ピアノのシのフラットがあるでしょう」
「はい」
「あれが、クラリネットのドになるんだ」
「……音がズレて書かれてるってことですか」
「そう、そういうこと。最初は楽譜を見て混乱すると思うけど、慣れれば大丈夫」
「頑張ります」
あぁ、彼女はきっと大丈夫だと、なんだか分からないが思った。クラリネットのことを好きになってくれるだろうと。彼女が最初に何を希望していたかは分からないが、どこかに根拠の無い自信がある。
季節は過ぎ、夏になった。吹奏楽コンクールが近づき、部全体が何とも言えない緊張感に包まれる。昨年のコンクールは顧問の先生の事情、部員の入院などの理由が重なった結果参加を辞退することになってしまったため、3年生以外は初めてのコンクールになる。
難しい曲で、全員で1曲を通すのがやっとではあったが、今の自分たちにできる精一杯を舞台にぶつけたい。
そうして、本番。極度の緊張しいの僕は朝から調子が悪く、学校での最後の練習も、会場でのリハーサルでも思ったように演奏ができなかった。そしてその事実が、僕をまた追い詰めている。
「先輩、大丈夫ですか」
「大丈夫……ではないな。本当にすごく緊張してて」
「先輩上手ですもん、本番にはすごく強くていつもよりもっと上手に吹けるかもしれません」
「そんなことできないよ、朝もリハもリードミスするし指はもつれるし」
「もう……そうやってぐるぐる考えるのもダメですよ! 先輩、自分のことダメダメだって思ってますけど、本番くらい『自分上手だな、今日も上手く行くだろ』って思ってなきゃ。ピアノの発表会の時にお母さんが教えてくれたんですよ、自己暗示っていうんでしたっけ」
「……僕なんかが」
「ほらまた! 先輩は上手ですし、いつも吹いてる時とっても楽しそうなんです。今日の先輩は楽しそうじゃなかった」
その言葉にハッとした。本当は僕が後輩のことをよく見てあげるべきなのに、僕の方がよく見られていたようだ。
「いつもみたく楽しそうに吹いてくださいよ、私まで心配になっていつもより間違えちゃいますから」
「……君もいつも楽しそうだったね」
「はい、だって楽しいですもん、みんなで音を合わせて、曲を作っていくのって」
「そうだよな、緊張してもいいから演奏を楽しまなきゃ……」
「先生がよく言うじゃないですか、『演奏してる側が楽しまなきゃ聞いてる人は楽しくないんだよ』って。いつも通りでいいんですよ先輩」
「分かった。ありがとう、頑張ろうね」
「はい!」
後輩は全力の笑顔を向けてくれた。自然と僕の頬も緩む。久方ぶりに笑えた気がした、少なくとも今日はこれが初めてだった。額に滲んだ汗を拭い、深く息を吸って短く吐いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます