第七十九話 雌豚(5)
「ああ、何か聞いたことある名前だね。そんなお偉いさんがうちみたいなところに何か用があるのかい?」
中年女は顔を顰めて訊いた。
「いえいえ、
ルナは穏やかな声で語った。
「なるほど、うちの誰に話を訊きたいんだい?」
「レギナさんです」
「レギナ! まだ十才になったばかりじゃないか。ろくな話なんかしやしないよ」
「でも、今朝もドロタさんと一緒に散歩をしていらっしゃったじゃないですか? 何かそれにまつわる
「ドロタさんだって。冗談はやめとくれ。ただの豚じゃないか。あの子が勝手に名前を付けてるだけだよ。私らにとっては商売道具だ。レギナがあの豚だけを贔屓しているんで迷惑しているよ。いずれ食卓に並ぶんだからね」
レギナはドロタを抱え上げて、ギュッと抱きしめていた。
おっかない言葉を聞いて、恐がっているようだった。
「ドロタは貰い子でね。独りぼっちだから、友達を作って慰めているだけさ。大きくなったらそんなものすっぽりと忘れるんだよ」
女は椅子に腰を掛けた。
「なるほど、でも、幼い頃に人生を決定付ける出会いをする人だっているでしょう?」
ルナは飽くまで穏やかに言った。またウイスキーの入った水筒を煽る。
「豚で人生が変わったら、苦労しないよ。私ら夫婦はもう何百匹も屠殺場に送ってきたけど、なんの罰も当たってないよ、お金も其れほど儲からないけどね。はあ」
そして女はため息を吐いた。
背が高くもじゃもじゃした黒髭を生やした男が部屋の奥からやってきた。
「さあ今日も仕事だ。おいレギナ。その豚は柵のなかに戻しとけよ!」
男は言葉少なに命じた。
ルナたちがいることには関心すらないようだった。
どこにでもあるような家庭。
だが、何かが冷たい。
レギナの心の寂しさに、ズデンカはふと肉薄出来たような気がした。
「はい」
レギナは素直に飼育場の方へと歩いていった。ズデンカもなぜか知らないが後を追った。
「また、ね」
レギナはドロタにキスをして、柵の向こう側へ戻した。
だがドロタは仲間の方へ向かっていこうとはしない。
寂しそうにレギナの顔を見詰めている。
「また、今度ね。ちょっとの辛抱だから」
ズデンカはその光景を見て思わず胸が熱くなった。
目元も湿ってきている。
――あまり泣きたくはないんだが……。
恐がらせてしまうと思って跫音を殺して立ち去る。
「おや、どうしたの、君?」
ルナは目敏く反応してくる。
「何でもねえよ」
「レギナさんを追っていったんでしょ」
「ああ、そうだが」
「で、感動しちゃったと」
「感動してねえよ」
「でも、現に君は泣いてる」
「わははははははあっ、ズデ公ってあの程度で泣いちゃうの?」
大蟻喰がバンバン机を叩きながら笑い出した。
「うっせえ」
ズデンカは大蟻喰の頭を強か撲った。
「いてっ、何すんだよ」
大蟻喰はズデンカに飛びかかった。軽く取っ組み合いが始まる。
ただならぬ力を持つ者同士がぶつかり合えば自然と周りを破壊してしまう。
ズデンカは注意を払いながら、大蟻喰を家の外まで押し出していった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます