第七十九話 雌豚(2)

 カミーユが牙を剥いてくることも十分考えられた。


 ズデンカ独りであれば、負ける不安はない。


 だが、大事なのはルナの命だ。


 殺し慣れたカミーユならルナの隙を狙うことができるだろう。


 もっともカミーユにルナを殺す気があるのかもよくわからない。


 何が目的でルナの綺譚蒐集の真似事をしたのかも不明だった。


 長らく旅してきた仲間に、こんな疑いを差し挟まねばならないのはズデンカも辛かった。


 涙もろく、優しいカミーユ。殺人者の人格を隠していたなんて。


 本人も語っていたように優しいカミーユの人格と、今の恐ろしい人格は別だろう。


 自分が恐ろしい人殺しだと知れば元のカミーユは耐えられるはずもないからだ。


――もし、カミーユを殺してしまったら、もう一つの人格の方も殺すことになる


「賑やかなほうが楽しいですよね! それと比べたらサーカスでの移動はほんと退屈だったな……」


 カミーユは遠い目をしている。


「ルナさん、ルナさんー」


 ズデンカの肩へ鼠の三賢者のメルキオールが駆け上ってきた。いや、メルキオールだけではない。小さな白い毛並みの鼠がその後ろに続いていたのだ。


「あ、そちらは」


 ルナの表情が少しだけ和らいだのがズデンカにとって救いだった。


「はい、カスパールです。悪魔モラクスの首の一部を拝借して復活させることに成功しました」


 メルキオールは後ろ足で立ち上がってちょこんと頷いた。


 鼠の三賢者の一人であるカスパールが目覚めたということは先ほど訊いていたのだが、時間がないため後回しになっていたのだ。


「初めまして……」


 後ろで踞ったままのカスパールは小さな声を上げた。


「初めまして! わたしはルナ・ペルッツと申します。カスパー・ハウザーの心臓に使われてしまっていたなんて、災難だったでしょう?」


「いえ、それがまったく記憶がないもので……」


 カスパールは恐縮した。メルキオールとは対称的に控えめな性格のようだ。


「それにしても三賢者全員と知り合いになれるとは! わたしは果報者です」


 ルナは微笑んだ。


「確かに……われわれ全員に会った人間は少ないかも知れませんね」


 メルキオールが言った。


「実はわたし、世界各地を巡って面白い綺譚おはなしを探しているのですが、あなたほど長い歳月を生きてこられたなら、とっておきのものを持っておられるんじゃないでしょうか?」


 ルナは訊いた。


――やはりそこか。

 ズデンカは呆れた。話なんてルナはそこらの人にだって訊いている。


「あいにく、記憶がなく……少しづつ思い返しているところでして……」


 カスパールの声は相変わらず小さかった。


「それは残念」


 ルナの顔がまた曇った。そして、水筒を懐から取り出して煽った。


「お前、また酒を買いやがったな」


「ウイスキーをちょっとね。ゴルダヴァのお酒は美味しいし」


 ルナの頬は赤くなっていた。


 あまり強くないわりにルナは酒が大好きだ。


――まあ飲まなきゃやっていけないぐらい動揺しているのだろうな。


 ルナは想像よりも繊細だ。カミーユの態度がおかしいことはとっくに気付いているだろう。


 答えは何か出しているのかも知れないが、それを口にするのは怖いに違いない。


 と。


「あ、向こうから人がやってきますね!」


 いきなりカミーユが駈け出した。

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