第六十六話 名づけえぬもの(28)
――させねえ。
ズデンカはまず身体が動いていた。全速力でダッシュし、蚕の羽毛に縋り付き羽へ登った。
物凄い力を込めて両の
雪のように鱗粉が舞った。
『名づけえぬもの』は物凄い声を上げた。
全身が物凄い勢いで揺すられる。
ズデンカはその触角に縋り付いて歯がされまいとした。
ふと振り返ると、ズデンカが潰したはずの翅は再び生えそろっていた。
物凄い回復速度だ。
潰しても潰してもまた生えてくるだろう。
――こいつ自体を破壊しなきゃならねえ。
ズデンカは両指を蚕の背中へ突き込み、強力で皮を引き剥がそうとした。
とたんに。
紫の液体が溢れ出し、ズデンカの掌を生暖かく濡らした。
なかへ、なかへと。腕が吸い込まれていく。
――なるほど、あたしを取り込んでやろうってわけか。なら、望むところだ。内部から叩き潰してやる。
正直、耐えられるか自信はなかった。『名づけえぬもの』の養分にされてしまう可能性の方が高いだろう。
――このまま手を
翅を何度も千切り、再生までの時間を稼ぎながら、ズデンカは半身を頭蓋の肉汁のなかへと浸していた。
――なんか、気が遠くなってきたな。人間を止めてからこのかた、そんなことはなかったが。
久しぶりの感覚にズデンカは襲われた。ヴルダラクには睡眠すらないのだから、意識が飛ぶことなど普通は起こり得ないのだ。
「ズデンカ!」
ルナだった。
――ケッ。普段は名を呼びもしないくせにこんな時だけ。
「ズデンカ! ズデンカ!」
ルナは連呼する。顔を赤くし汗を滴らせながら。普段クールぶるルナらしくない必死の形相だった。
「今すぐそこから出て、逃げてきて!」
「逃げられるかよ。こいつはあたしが葬る!」
ズデンカは叫び返した。
バルトロメウスやヴィトルドも遠くから心配そうに眺めているだけで近寄ろうともしてこない。
――まったく。頼りにならねえ男どもだなあ! だが、あたしは違う。あたしは、こいつに勝ってみせる!
ズデンカは脚をジタバタと動かし、蚕の脳を掻き乱した。
『名づけえぬもの』はより一層不愉快な鳴き声を奏で続ける。
だが、とうてい心臓である三賢者カスパールに行き当たりそうもない。そもそも蚕に心臓があるのだろうか。
意識が、遠くなっていく。
だがズデンカは必死に抗った。
――こんなとこで、終わって、たまるかよ!
さっきまでとはまるで反対のことが、思い浮かぶ。
ズデンカは生きたかった。
いや、吸血鬼だから、存在し続けていたい、だろうか。
――年貢の納め時だな。変な光景が浮かんで来やがる。
ルナと歩いている自分の姿だ。
お互い目も合わせず、でも確かに相手の存在を感じている。
ズデンカの場合、ルナの息遣いもよく聞こえている。
――また、あんなことができたらな。
そう思った一刹那あとだ。
物凄い閃光が眩くズデンカの眼球を撃った。
ルナだ。
ルナが、光を『名づけえぬもの』に向けて当てている。
これまでとは比較にならないほど物凄い光量だ。
――そんなことをやったって無駄だ。こいつの心臓は、カスパールは、どこかへ消えてしまっている。
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