第四十五話 柔らかい月(1)

ゴルダヴァ中部――


「ふにゃあ」


 綺譚蒐集者アンソロジストルナ・ペルッツはトロけていた。


 自分は鞄一つしか持っていないのに、太陽光に照らされて、はややられてしまったらしい。


「軽い日射病だな」


 メイド兼従者兼馭者だが、今馬車はないので馭者ではない吸血鬼ヴルダラクズデンカはルナを引き寄せて額を触った。


 熱い。


 ルナは身体が強い方ではないのに旅が大好きだ。


 冬も夏も、長歩きすると体調に変化が起こりやすい。


 以前、まだ春と呼べる頃、ルナはランドルフィで日射病になりかけたことがある。


「ルナさん、大丈夫ですか?」


 そう問いかけるナイフ投げのカミーユ・ボレルは元気いっぱいだ。中部都市パヴィッチで貰った麦藁帽子をまだ頭に被っている。


 あの時は氷嚢をくれる人間が運良く見つかったが、今回はそうもいかないだろう。


 ゴルダヴァ南部は未開発な地域も多く、青々とした森と険しい山脈や深い谷戸が続くことが多いのだった。


 ズデンカにとっては自分の庭のような物だ。二百年前とほとんど何も変わっていないのだから。


 移動は簡単としても、人が住んでいる場所を見付けるのは用意ではない。時代と共に変化するのだから。


 『ゴルダヴァ地誌』によると、中部には寒村が幾つか点在するとあった。


――そこに行くか。


「ふにゃにゃああ。とりあえず、氷」


 ルナが手を開くと、犬の心臓ぐらいの大きさの氷が現れ出た。


 ズデンカはそれを受け取り、すぐにルナの額に当てた。


「そんな芸当が出来るんなら日傘なりなんなり遮蔽物を出せよ」


「ふにゃにゃん。体力が持たないよ」


 ルナはふにゃふにゃとズデンカの腕の中で崩折くずおれた。 


――馬車でも雇えば良かった。夏場に徒歩とは、とんだ失錯だったな。


 季節の変化にはとんと鈍いズデンカは悔いた。


 そういう腕や手には幾つもトランクや鞄を通し、持っている。その中でさらにルナの面倒まで見ないといけないとは。


「私に任せてください!」


 素早く動きカミーユはズデンカの腕からルナを抜き去った。


「おい、お前……」


「ズデンカさん、手一杯でしょ! よしよし、暑いでちゅねえ」


 とルナを撫で撫でする。


「ずっとそうしてて」


 なついたルナは更に柔らかくなっていった。


「馬鹿らしい」


 ズデンカは腕を組んでそっぽを向いた。


 だが若干、イライラしてもいた。


「とにかく、村を捜すぞ」


「はい!」


 カミーユもルナの手を曳いて歩き出した。


 だんだん路は下っていく。谷戸が近くなったのだ。


 頭の中に入れた『ゴルダヴァ地誌』を反復してみる。


 正確にこの場所かは判りかねたが、谷間に小さな村があったはずだ。


 だが、ズデンカは田舎付き合いというものをよく知っているが、なかなかに閉鎖的だ。


 旅人が突然やってきて、おいそれと家を貸してくれるかは疑問だった。


「下りなら楽だろ」


 カミーユの運動神経は相当なものだ。急な勾配にも足を取られず、すたすたと降りていく。山慣れしたズデンカも下手をしたら追い抜かれそうなほどだ。


「ふにゃあ」


 ルナは液状化しそうなほどカミーユに抱き付いていた。


「……」


 ズデンカはこっそりそれを目の端で追いながら降りていく。


 聚落しゅうらくが見えてきた。


――この道で正しかったか。


 ズデンカはとりあえず安心した。

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