第三十八話 人魚の嘆き(3)
煉瓦塀の建物が簷を連ねる中で一軒だけの木造小屋だった。
扉に雑に結った縄で掛けられた看板には「刺青」と書いてある。
電話もないので 飛び込みで行くしかなかった。
とりあえずノックする。
「はーい」
落ち付いた声が響いてくる。
扉が開かれた。
てっきり店主は大柄の男だと想像して、多少身構えていたが、目の前にいたのは女だった。
年もルナとそう変わらないだろう。
しかも背は低く、漆黒な髪を団子のように頭の上で巻いていた。
眼が細く、肌は皮膚は黄色に近い。東洋人だとすぐにわかった。
今まで会ったことはなかった。本で読んだことは無論ある。
だが、目の前にしたことはまだなかった。
実際はたくさんトルタニアの各地に居住していると訊くので、単に俺が世間知らずだっただけなのだろう。
「君がルナの友達のフランツか」
首からぶら提げた眼鏡を掛けながら女刺青師は言った。
「情報が入っていたのか」
俺は思わず呟いていた。
「もちろん。俺はシンサンメイ」
訊いたこともない発音だった。俺は戸惑った。
「シンでいいよ。君の名前は?」
「フランツだ」
自己紹介はそれで済んだ。
「早速始めよう」
部屋の中に入ると煙草の臭いが充満しているんで嫌になった。
食卓として使っていると思しき机に置かれた灰皿には紙巻きが幾つも擦り付けられている。
さすがはルナの知り合いだけある。
出来るだけ顔を背けながら奥にあった寝台へ横になり、シャツを脱いで背中を見せた。
恥ずかしいもなにもありゃしない。こいつとは、これだけの縁だ。
「早くしてくれ」
「痛いけど、それは覚悟の上だよね」
シンサンメイは幽霊話をする前に訊き手を恐がらせるような良い方で言った。
「ああ」
当初は怖ず怖ずと答えていた俺だが、ルナを相手にしているようなもんだと思えば自然とリラックスしてきた。
「……とは言え、良いものがあるんだ」
「麻酔か? 効き目はどうなんだ」
麻酔は粗悪なものもある。使ったことでかえって命を縮めることになった例も訊いた。
俺は痛みを耐えても良いと思ったのだが、無痛で済むならもちろん、そっちを選ぶに決まっている。
だが、それで死んだら話は別だ。
スワスティカを狩り尽くすまでは死ねない。
しかも、こんな、どうでも良いことで。
だが、今さら命惜しさで逃げ帰っては男が廃る気がする。
「いいも悪いも、これ以上の極上品はないよ」
「じゃあ打ってくれ」
破れかぶれだった。
良いと言うから良いんだろう。
「打つんじゃないよ。塗るってわけさ」
シンサンメイはそう言いながら高めの椅子の上に腰掛けた。
身長もあって、こうしないと客に手が届かないのだろう。
アルコールで浸した布で背中を吹かれる。
冷たい。
「本当は麻酔を使用したらだめだとかなんとかあるんだけど。俺はもぐりだからね。こういうことが出来るのさ」
シンサンメイは自慢げに良いながら横に置いてあった蓋を開け、なかのクリームを取り出して、俺の背中全面に塗りつけた。
ひりひりする。
「これぐらいは我慢できるでしょ」
煙草をくわえながらシンサンメイは試すように言った。
「煙を俺に向けるなよ」
「口答えするんだね」
とめんどくさそうに答えながらも横に置いてあった別の灰皿に押し付けた。
「さて、これからちょっと質問がしたい」
「これ以上何を訊く」
俺は不快だった。
「図柄だよ。どんな刺青にしたい? それを言っておくれじゃないと、とても始められないよね」
シンサンメイは眼鏡を外して服でグラスを拭いていた。
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