第二十一話 永代保有(5)

「誰だ?」


「お邪魔しています。実はお店の書棚に、自分の持っている本と同じものをお見かけしまして」


 フランツは出来る限り慇懃に問い質してみた。


「あれは売りもんじゃない」


 老人はしゃがれ声で答えた。


「いえ、買いたいわけじゃないんです。お孫さんのメルセデスから、作者と知り合いだったと伺いまして」


「やつのことか……」


 老人は上を向いて、唸った。


「はい。俺にとっては思い入れのある本ですから、何か少しでもあれば」


 フランツは熱心に言った。


「どうしても訊きたいって感じだったから、ね」


 メルセデスが助け船を出すように言った。


「何も考えていないようなやつだったな」


「何も、ですか」


「言葉に対する信念もなければ、拘りもない。ただ適当に書き殴っているような碌でもない男だ」


 老人の言葉は辛辣だった。


「それは違います!」


 思わずフランツは身を乗り出していた。


「あの本を読んでから俺の人生は大きく変わりました」


「だからどうした……ゴフゴフ」


 老人は何度も咳をして、弓なりに身体を折り曲げた。


「もういいでしょ? フランツ」


 喧嘩になりそうな雰囲気を感じ取ったのかメルセデスが優しく言った。


「あの男はな。この店を俺に押し付けて。自分はどこかに消えたんだ」


 老人はフランツの顔も見ず独り言つように言った。


「どういうことだ?」


 思わずフランツは声を荒げた。


「自分勝手な奴だ。まず、二人で店を始めようと言いだした。金は全部俺が出した。やつは品物を仕入れに行ってくると告げて、二度と帰らなかった。代わりに下らん本ばかり送りつけてきやがって」


「……」


 フランツは好きな詩人が目の前で貶されるのが我慢ならなかった。拳を握るとブルブル震えた。


「自分の好きな作者が馬鹿にされた時はね、空を見て大きく息を吸う。そしたら怒りは自然と消えるさ」


 昔ルナに言われた。だが、今その空はない。


「芸術なんてせんずるところみんな嗜好品だ。自分の好きな作品を合わない人がいたって当然。おかしなことだと思っちゃいけない。そんな時はね、心の中でこっそり、あーこの人とは友達になれないなって呟いておくんだよ」


 ルナはいつも繰り返していた。


 老人の怒りは詩の内容よりもやられたことに起因するようだったが、一時期何度も何度もあの詩集を読み込んでいたフランツにとっては聞くのが嫌な言葉の数々を並べられた。


「独りで商売をやらなくちゃいけなかった。だが幸い今まで続けられている。この地所だけは俺のもんだ。この土地は死ぬまで離れないぞ」


 老人の話はすでに詩人を離れ、この店の土地に移り始めていた。


「親を亡くしたメルセデスを引き取ったのも、この土地を継いでもらうためだ。俺が死んでも、何代も何代も。俺が汗と涙で守り続けた場所だ。死んだ後に手放なされるかと思うと耐え切れん」


「爺ちゃん!」


 メルセデスは祖父に走り寄って掻き抱いた。それを見てフランツの怒りは急に静まった。


「もう話さなくていいよ! 苦しいでしょ?」


「……」


 何も言えなくなったフランツは咳込み続ける老人を見ていた。


「フランツ、だいたいのことはわかったでしょ? だからさ、今はもう戻って? ね」


 ややあって、メルセデスはフランツへ振り返り、懇願するように言った。


「ああ」


 フランツも、メルセデスから頼まれては仕方なく引き下がるしかなかった。

 二人はストーヴのあった店頭へ戻った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る