第二十話 ねずみ(6)

「ハウザーはわたしたちが関わった事件を全て知っていた。本の近くで起こっている出来事を監視できていると考えておかしくない。つまり、わたしたちがランドルフィに入国していて、タルチュフさんと会っているってことも知ってるだろうね」


 滔々と語るルナを前にズデンカは、それならもっと前に教えてくれと考えたが、


 「戻らねばな」


 と一言だけで済ませた。


「いやいや、まだやることが残ってるよ」


「はぁ?」


 ズデンカは腰に手を当てた。


「鼠の話さ」


 ルナはピンと親指を立てる。


「はぁ?」


 ズデンカは繰り返した。


 ルナは答えずに歩き出した。


「そこにいらっしゃるのでしょう。バルタザールさん?」


「どうかされましたか」


 狭い書棚の隙間から鼠の頭がひょっとり現れた。


「少し聞きたいことがありましてね」


 ルナは笑顔を引き攣らせながらも、応対した。


「本のことですか?」


 バルタザールは気恥ずかしげに顔を顰めた。


「関係があることですよ。あなたの蔵書で『鼠流本一説』に纏わる本はあらかた読ませて頂きました。お陰さまで未知の情報にたくさん出くわせました。ありがとうございます。で、整理していく中で、ある種の疑問が浮かんできたんですよ」


「なんでしょうか?」


 バルタザールは身を竦めた。


「説によれば、鼠の先祖は三賢者にあるってことになっている。彼らはこのトルタニア大陸の中央部に位置するアララト活火山から数千年前に湧き出てきたものだとされていますよね。で、そこから単なる鼠と鼠獣人とに分かれていったのだと」


「ええ、もちろん。それは常識ではありませんか?」


「そう。常識だ。鼠の中ではね。でも、どの書物を引っ繰りかえしても、賢者たちのそれぞれの名前がない」


「その質問はどなたも答えることが出来ないとではないかと思います。太古のことですので」


「いいえ、わたしは今その太古を目の前にしているのです。バルタザールさん」


 バルタザールは黒いボタンのような目を丸くした。


「なっ、何を仰ってるんですか?」


「あなたこそが、その三賢者の一人だと言いたいのですよ」


「根拠は?」


 バルタザールの全身は震えていた。


 一瞬ズデンカは何か仕掛けてくるのではと身構えたが、よく監察すれば、恐怖のあまり震えていたのだった。


「『鼠であることの惨劇』にあるのです。あの本は別に思想書としては大したことが書かれていない。でも、こんな一節がある。『ぼくはあの賢者がバルタザールであると知っている』と、ね。作者の鼠が頭の中に湧き上がる妄想を書き連ねた箇所で、読み飛ばす人も多いでしょう。ましてや稀覯本だ。眼に触れる者も滅多にいない。それをあなたは自分からタルチュフさんに示した。なぜでしょうか」


「……」


 バルタザールはひたすら押し黙った。


「別に答えなくても良いのですよ。それなりに推測はつく。ずっと孤独だったあなたは、自分の存在を誰かに知って貰いたかったのでしょう。まずはタルチュフさんに。しかし、彼はそれに気付くことが出来なかった。たまたまわたしが通りかかって、気付いたと言うわけですね」


「……」


 バルタザールはなお黙っていた。


「気にすることはないですよ。何千年、何百年生きてる知り合いはわたしにはざらにいますし」


 ルナはそう言いながらニヤリとズデンカを見詰めた。


 何だか腹の立ったズデンカはそっぽを向いた。

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