第十六話 不在の騎士(14)

「これ、どういう意味なんでしょうね?」


 オドラデクは首を傾げた。


「ボリバルは物体を複製する能力を持っていた。自分自身でさえもだ」


「なるほど。厄介な能力ですねえ。もし出くわしたりしたら注意しなきゃ」


 オドラデクは身を縮こまらせるふりをした。


「何体出ようが叩き斬ってやる」


 フランツはオドラデクと眼を合わせずに答えた。


「ぼくが使われるんでしょう。やだなぁ」


 オドラデクはそう言いながら、またテュルリュパンの手記を読み始めた。


 

 こんなところはもういられない。俺は執務室を飛び出した。


 ハウザーはどこへ行ったのだろう。


 実際、『火葬人』に選ばれて以来、あいつとあまり話をすることは少なくなっていた。指令は直接ではなく伝令を通して伝えられることが多かったし、あいつも俺たちもスワスティカ領の各地を飛び回っていたからだ。


 いつの間にか姿をくらましていたようだ。


 こんな身体では部下どもに話を訊けるわけもない。


 クソッ。一人だけ逃げ出しやがって、卑怯な奴だ。


 俺はあたりの物を叩き落としてやりたい衝動に駆られた。


 だが、そうしたことで何になる。俺の姿を人が見ることは出来ない。独りでに落ちたと思われるのがオチだ。


 馬鹿らしくなり、俺は廊下を駆け抜け続けた。


 それでも、誰一人気付かれない。


 このまま静かに去ろうと考えた。


 だが、そこで思い出したのは自分の身体のことだ。


 実験室に冷凍されたままになっている切断された胴体。


 ハウザーもいないのだ。取り返してやってもいいじゃないか。


 俺は湧き上がる悦びを感じながら、実験室への道を辿った。


 既に俺が『火葬人』に選ばれて三年余りが経過していた。


 スワスティカも終わりだ。元の人間に戻ってもいいじゃないか。


 扉を勢いよく開けた。誰も閉ざしていなかったのだ。


 全く管理がなっていない。


「君か」


 声がした。涼しい声だ。


 ビビッシェだった。


 飛び掛かるように、俺は近付いた。


「ここにいたのか」


「君も同じことを考えていたようだね」


「ああ」


「君には一つ願いをかなえて上げなければならなかったね。それは約束だったから」


「叶えて貰えなくても、身体はそこにある」


 俺は歩き出していた。


 冷凍庫を開くと寒々しい風が部屋に満ち広がった。構わず中を進む。


 鉤で天井から吊り下げられた己の身体を手で触った。


 しかし。


 触れない。


 擦り抜けてしまう。今まで人間の首をいくらでも掴んでねじ曲げてきた。


 なのに。


 どうして自分の身体だけ触れないんだ。


「やっぱりか」


 ビビッシェは悲しそうな顔をして、俺の横を通り、吊り下げられた身体に触れた。


「君は透明な存在になった。だから、元には戻れない。戻れるとしたら、それは死んだ時だ」


「なぜだ!」


 なぜだ、なぜだ、なぜだ。


 俺は怒りに満たされていた。


 どうして戻れないんだ。


「君はすでにこの身体からは離れてしまって、別個の幻想として存在するようになった。だから、ここにはもう還ることは出来ないんだ」


 訳が分からなかった。理解できたとして到底したくなかった。


「そうか。この身体が問題なら、燃やしてしまえば良いんだ。ビビッシェ、処分してくれ!」


「処分しても無駄だよ。これは抜け殻なんだ。君が新しい身体を得るのは、君が死んだ後だ。幻想が終わったときなんだよ」


 ビビッシェは諭すかのように悲しく言った。


 俺は冷凍庫から飛び出した。


 もうどうにでもなれ。そう思っていた。

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