第十五話 光と影(1)

――ランドルフィ王国西端パピーニ某所


 綺譚収集者アンソロジストルナ・ペルッツは現在地下に作られた洞窟に起居していた。


 思ったよりずいぶんと時間が経ってしまったと感じた。もう二日ぐらい戻っていない。


 洞窟のあるじで野ネズミの獣人カルメンが何くれとなく世話を焼いてくれるので、居心地がよくてまったりと暮らしてしまったのだ。


 とは言え、帰れない理由はもう一つあった。長い洞窟を抜けて地上に出るには、上に大きく飽いた穴へよじ登らなければならない。火事などが起こった時逃げやすいようにか、出口自体は幾つもあったが人間のルナがすんなり出れる穴は一つもないのだ。


 気絶している自分をどうやって運んだのかカルメンに聞いてみたら、


「引きずってだよぉ」と答えた。



 なるほど確かに服を見てみたら草の汁や泥でひどく汚れていた。


――ズデンカにまた怒られる。


 そう思うとひどく切なくなった。


――帰らないと。


「出たいんだけど。どうすればいいの」


「簡単だよぉ。よじ登っていけばいいだけぇ」


「君は簡単かも知れないけどさぁ……」


 ルナは口ごもった。


 また引きずって外に連れ出してくれ、とも言い出しかねる。


 服がさらに汚れてしまうし。降りるのと登るのではカルメンにかかる負担も労力もぜんぜん違うだろう。


――自分で這い上がるしかない。


 ルナは子供の頃から体育全般がからっきしだ。身体もとても硬いし、少しストレッチでもしようものなら痛みが走る。どうしようもないほど弱かった。


 いきなり登るなんて出来る訳もない。


 頭上高くを見上げた。ぽっかりと開いた光が輝いている。そろそろ正午だ。


 カルメンが焼いてくれるパンケーキでお腹はいっぱいだったが、外へ出たい感情は嫌がなしに高まる。


「なんでそんな不安そうな顔をしてるのぉ」


 暢気そうに黒い目を輝かせてカルメンは聴いてきた。


 陰惨な過去を背負いながら、カルメンには少しも暗さが見えない。


 どこか自分と同じものを感じるから居心地が良いのかも知れない。


――ズデンカにはどこか苦みがあるから。


 でも、そこがまた良いのだ。自分と違ったところがピリッと刺激になる。


 そんなに顔を合わせていない訳じゃないのに、恋しいのだ。


 ルナは立ち上がった。


 パイプを取り出す。


「『幻解エントトイシュング』すれば何とかなるかも」


 洞窟の入り口まで歩いていく。


 ルナは煙をぷかぷか吐きだした。


 頭の中で強く縄梯子を想像した。洞窟の入り口に掛かっていて洞窟の中まで垂れている。


 すると瞬く間に縄梯子が目の前に現れた。


――こう言う使い道もあるんだよ。


 『幻解』は人の精神に影響を与えたり心に思い描いたことを実体化したり、さまざまなことが出来る。それは元スワスティカのカスパー・ハウザーにとって喉から手が出るほど欲しい力らしかった。


――カスパーと出くわさないように気を付けなきゃ。


 ルナの『幻解』に対抗する手段を編み出しているかも知れないし、手下の『詐欺師の楽園』ルツィドール・バッソンピエールがいつ襲いかかってくる可能性だってある。


 ルナを狙撃したのが連中なら、子の近くを絶対に探しているはずだ。


――気を付けなきゃ。


 そう思いながら縄ばしごに足を掛けた。


 だが。


 ぐらぐら、ぐーらぐら。


 身体が左右に大きく震え、ルナはきちんと登ることすら覚束なかった。


――落ちちゃう。


 何段か上がってみたが、まだ足元は揺れ続ける。悪酔いしそうだった。


――でも、頑張らなきゃ!


 ぐらぐら、ぐらぐら。


 十段も上がるとルナは全身汗だくで顔が真っ赤になっていた。


――真冬なのに。

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