第十四話 影と光(9)
「それは母上の召使いたちが……」
映る自分の姿を見つめながらルキウスは言った。
「やっぱりそうか。当時の貴婦人は召使いに鏡を持たせ、いかなる時もそれを持ち運ばせたと本に書いてあった」
「だからどうした?」
ルキウスは顔を曇らせた。
「まあお前にはわからんだろうな」
ズデンカは太陽を見た。もう四時近くなって、濃さを増している。
ルキウスから大分距離を取って、座席の上に坐った。
鏡を自分の側に向けたまま手で持ちながら。
ズデンカは吸血鬼なので、影もなければ鏡にすら映らない。
――うまくいっているのか? 地縛霊でも映るのに、あたしが映らんとは。
戸惑いを覚えるのだった。
「お前は言ったな。槍が自分を貫く前に、影と光を見たってよ」
「そうだ。だからどうした?」
鏡面が大地に反射され、細長い影が出来た。それはルキウスが立っているところまで届いた。
「お前の見たのはこの影じゃないのか」
そのままズデンカは座席を移った。影もそれにつれて動いた。
鏡を太陽の側へと向ける。するとその光は屈折して地面に落ちた。
「……」
ルキウスは黙っていた。
ズデンカは鏡を動かした。光はルキウスを照らす。
「何をやりたいのだ、貴様は」
「お前が目の前で見た光は、たぶんこれだよ」
「そんないたずらをして、誰が得するのだ?」
ルキウスは冷然と言い放った。
「いたずらじゃねえよ。お前に気付かせたかったやつがいたんだ」
「どういうことだ?」
「あたしが読んだ本の中じゃ、廷臣は召使いの女を連れて宮中に出入りしていたって話だ」
「だからどうした? 召使いなど誰も気にしない」
「お前に好意を寄せているやつがいて、殺害計画を耳に入れた。だが、お前に伝える術がなかった場合、どうすると思う? お前も牢獄に入れられていたよな。あたしに言わなかったけどよ」
「……」
ルキウスは黙った。
「そいつは闘技場に引き出されたお前に、鏡を使って知らせようとしたんだよ。槍で狙われてるってな。だが、生憎お前は気付かなかった」
「わかるわけもないだろう」
「だが、周りの人間にはわかったんだろうな、その名もない召使い女の行動が。だから、殺された。それも皆殺しだ」
そこまで言うとズデンカは黙って、ルキウスを静かに見つめた。
ルキウスにはっきり戸惑った調子がうかがえた。
「助けようとしてくれたのが誰か、わからないだろうな。お前はそれほど無関心だった。世界を一方側からだけしか見ていなかった」
「……」
「もう、納得いったか? それなら消えるがいい。あたしには何の得もなかったよ。そもそもお前は殺した相手を知りたかったのか? うすうす分かっていたんじゃないか? 誰しもが自分を憎んでいることに」
我ながら馬鹿馬鹿しくなりながらズデンカは言った。
「……」
既に陽は没しかけて、あたりは暗くなり始めていた。
闇が押し寄せ、ますます研ぎ澄まされる視界の中でズデンカは微笑んだ。
「なあルキウスよ。あたしにはなんも出来ねえ。あたしの主人がいたら、お前の願いを一つ叶えてやることが出来るかも知れないがな、今はいないんだ」
「叶えてなぞ貰わなくて良い! 私は満足した! だから帰れ」
ルキウスは言った。
「そうか」
ズデンカは歩き出した。だが、また後ろを振り返った。
「いつかまた会えればいいな。一人だけ、お前を気にかけてくれていたやつに」
呟いた。闇の中にずっと佇んだままの、ルキウスには聞こえないぐらい小さく。
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